作=飯野 和好(いいの かずよし)
1947年、埼玉県秩父生まれ。長沢セツ・モードセミナーで、イラストレーションを学ぶ。絵本に『わんぱくえほん』(偕成社)、『くろずみ小太郎旅日記』(クレヨンハウス)、『むかでのいしゃむかえ』(福音館)、『桃子』(旬報社)、『ヤギの絵本』『シイタケの絵本』(農文協)など。『小さな山神スズナ姫』(偕成社)で、第11回赤い鳥さし絵賞受賞。『ねぎぼうずのあさたろう その1』(福音館)で、第49回小学館児童出版文化賞受賞。旅がらす・あさたろうの姿で全国をめぐりつつ、読み語りをつづけている。また夜は、バンドSLEEPY
& IINOのブルースハープ奏者としてライブハウスに出演、こちらのファンも多い。
縁側は、こどもの私にとっては、遊び場であり、日向ぼっこの場であり、また夜には暗くて、ちょっと恐い戸締まりの手伝いの場であった。
農家の我が生家のむかしの暮らし。じつに我が人生の黄金時代と思っている頃である。山間に三軒の集落。まったく自然の暮らし、チョンマゲこそつけてないけれど、日本昔ばなしの世界だ。現在、農具民俗資料館に収められている農具という農具はすべて、当時、大切に使っていて、昭和30年代半ばすぎ、我が家に赤い小さなトラクターや荒縄製造器が来るまで、田んぼには牛が活躍し、米や麦の脱穀はもとよりすべて、手足を使った素朴な農具で、毎日毎日、祖父や両親はよく働いていた。
半酪半農、牛や豚、鶏、山羊、羊、羊は毎日毛糸屋さんが毛を刈りにきて、家族の着るだいじなウールを生産し、エライものであった。山を切り開き、段々畑をつくり、作物をつくる。なんでもつくっていた。
自給自足の生活。下の村へ行って、物々交換。いいぐあいにコミュニティは循環していた。里山は美しかった。沢の水は美味しかった。私は山間に差す貴重な陽を、その暖かな陽を縁側で浴びながら、ゴロンと横になり、とくに母親がずらりと布団を干すときに、その上にゴロゴロするのが大好きであった。ラジオからは、歌のおばさんの番組が流れ、猫をかまいながらそうしていると、ああ、ずっとこのまま時が動かずいられたらと思ったものだ。
その大好きな縁側にもうひとつ暮らしに大切な野菜を干し、貴重な保存食とする作業があった。軒にずらりと大根や柿、そして縁側に敷いたむしろの上に、一面にふかしたさつまいもをスライスしたのを干すのである。
それを眺めるとき、こども心にも、なにか、心豊かな気持ちになったものだ。大きな大きな安心感とでもいうか、作物、食料、一年四季折々、一生懸命働く親たちへの安心感とが、こども心に大きく暖かく残っているのである。
え=山本 孝(やまもと たかし)
1972年、愛媛県松山市に生まれる。大阪デザイナー専門学校編集デザインコース絵本科卒。「あとさき塾」「メリーゴーランド絵本塾」で絵本を学ぶ。平成うわさの怪談シリーズ(岩崎書店)、『十二支のおはなし』『わたしのおひなさま』ほか内田麟太郎作の行事絵本シリーズ(岩崎書店)、安房直子作『雪窓』(偕成社)の絵を担当。作・絵の絵本に『ちゃんがら町』(岩崎書店)、『むしプロ』(教育画劇)がある。趣味は散歩すること。そして、知らない路地に入りこむこと。あの、初めての感じ、そしてドキドキする感じがたまらんのです……ハイ……。
「えっ!?」最初に、この絵本の仕事を依頼されたときの率直な感想でした。理由はふたつ。
ひとつめは、この絵本の作者が「飯野和好さん」ということ。飯野さんといえば、僕にとって憧れの絵本作家であり、偉大なる先輩であり、恩師であり、とにかくすごい人なのです。
「そんな人といっしょに仕事をするなんて」
とてつもないプレッシャーに押しつぶされそうな僕は、遠のく意識のなかで「やっ、やるしかない……」と、呪文のように呟いたのでした。
ふたつめは、この絵本の主人公が「干しだいこんと、干しいも」だということ。そのふたり(?)が縁側で、のんびりと話を始める……。しかもその舞台はお寺。僕にとって「干しだいこんと干しいも」づくりは、原体験にない世界。そして「お寺」もまた、未知なる場所。
この日を境に怒濤の取材がはじまりました。
まずは、現代の利器パソコンで検索。でも所詮パソコンは、知識としての情報しか手に入りません。そこで実物を探すために近辺を散策。幸いいま住んでいる場所は、まだまだ自然も豊かで、田畑も多い土地柄。さっそく近所の居酒屋の前に、無造作に干された干しだいこんを発見しました。さらに近くの町で、干しいも屋さんも発見。のこるはお寺か……。
ざんねんながらお寺さんには知り合いがいませんでした。そこで編集部に相談して、どこかよさそうな古寺を探してもらうことにしました。
編集部がセッティングしてくれたのは、なんと絵本作家の菊池日出夫さんの地元のお寺。菊池さんは、原風景である農村とそこに遊ぶ子どもたちの世界を描いた作品で知られる作家です。その菊池さんの案内で、いくつかの古寺をみてまわりました。そして、とちゅう、アポなしで立ち寄った古寺では親切な大黒さまが、庫裏や中庭をみせてくださったのです。そこには、まさにイメージにぴったりの縁側が……。
こうして、いろいろな方に助けられて、絵が完成しました。
原体験というものは、きっと、こうしておとなになってからも、つくられていくものなのでしょうね
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