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「現代農業ベストセレクト集」を読む【2】
「伝承という実践」が、生き生きと語りかけてくる
山下裕作
初夏、5月の候、『復刊60周年記念号 現代農業ベストセレクト集』を手に取り、この原稿を書いています。なんと60周年! おめでとうございます。
私は、茨城県つくば市にある農村工学研究所というところに勤める研究員です。ほうぼう歩いて、農村に代々伝えられた生活や生産の技術を、住民の皆様から教えていただいております。
地域の農家の方々が培った技術は、とてもとても大切なものです。それは、財産とか遺産とか、そんな単純な言葉で言い表わせるものでもありません。今に生きる人々が、自分自身の感覚と手足を用い、健全に暮らしを営んでいけるのは、親から子へ、祖父母から孫への、手渡しのコミュニケーションによる教えがあったからにほかなりません。ただし、それだけではありません。これから独り立ちしようとする子や孫は、自分自身の感覚で自然や社会に触れ、自分自身の手足で自然や作物、家族やむらとかかわり、そうして多様な技術の基を獲得し、次代を担っていきます。この繰り返しこそが伝承というものです。
伝承とは古い物事を指す言葉ではありません。世代から世代へ伝え承ける行為を通じ、村うちの生産と暮らし、人間関係を再生産することです。伝承は大切な実践そのものなのです。
このセレクト集を繰ってみると、記録や歴史などという過去のものではない、生きた実践そのものが60年分も積み重なっております。それぞれの記事がわれわれに語りかけ、生きた実践者の顔が見えるような思いがします。農村で篤実な生活者から直接話を聞いているような、そんな気になります。
これからの農村というものを考えたとき、決して楽観視はできないというのが正直なところでしょう。しかし、戦後まもなくに書かれた記事、増淵玉枝さんの「地方便り 新しいふるさとをつくる引揚者たち」(『セレクト集』26〜29ページ)を読んでいて思います。楽観はできないだろうけれど、そう悲観的になることもないのではなかろうかと。
この記事には、引揚者でつくる開拓農協が開設した託児所をめぐって、こんな一説があります。
「私はこゝでほんとうに働く人のための生きた託児所をみた。こゝでは子供達は少しもはにかむことなく2才位の子供はみしらぬ旅人である私の背で、安らかな寝息をたてゝいた。私は保母さん達が小さく小さくくだいて全部の子供にわけている一本のあめ、ひとつのりんごが、人里遠くはなれたこの地ではどんなに得難く尊いものなのかを思った。それだのに、そのあめの所有者である少年も、そのリンゴの持主である少女も、保母さんのなすまゝに、まかせて、あたりまえのような顔をしているのである。…」。
1949年の記事です。今から58年前、このころ2歳の子供であれば、今年でちょうど60歳、団塊世代の方々です。
私の上司にもこの年代に当たる方がいるので、あまりコメントはしたくないのですが、この世代の方々には共通する良い経験があるのではないかと思います。それは、貧しく苦しかっただろうけれども、平和、復興という光り輝く道筋の中で、親や周囲の大人たちが愛おしみ可愛がって育んだということ、そしてまた、貧しい時代であったからこそ、大人たちの手足による実践が、この子供たちの周りには満ちていたであろう、ということです。それは現代農業増刊『蘇る廃校』(06年11月増刊)を見ていてもわかります。
『セレクト集』のパートV「地域とともに、都市民も巻き込んで」(425ページ〜)にもありますが、この子供たちが、今、農業に本腰を入れたり、農村を目指しつつあります。祖父母や父母を想い、今の、そしてこれから生まれる子供たちのために、この農村育ちの人々が、自らの手足を使った実践によって、伝承に加わる。伝承という実践が多様な形で生まれる時代が始まっているようです。
今は田植えの時期です。農家が、田んぼで仕事をしています。その姿は篤実で、前向きで、そしてとても楽しげです。このセレクト集を読み、『現代農業』が、これからもずっと、伝承という実践に生きる人たちのための雑誌であることを、あらためて確信しています。
((独)農業・食品産業技術総合研究機構 農村工学研究所 農村総合研究部 都市農村交流研究チーム)
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