月刊 現代農業2011年6月号 イネの苗箱処理剤が赤トンボを減らしていた
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赤とんぼ

〈農薬をめぐる話題〉

イネの苗箱処理剤が赤トンボを減らしていた

上田哲行

日本の多くの地域で赤トンボが群れ飛ぶ風景が
失われつつあります。もちろん、田んぼに行けば、
ちらほらと見かけることはできます。
しかし、赤トンボは群れ飛んでいてこそ赤トンボです。
なぜこんなことになったのでしょうか。

急激な減少は2000年頃から

 一般に赤トンボといわれているのはアキアカネという種類です。アキアカネは主に水田で幼虫(ヤゴ)時代を過ごします。トンボになって(羽化して)2カ月ほどは高地で過ごしますが、秋に再び平地に下りて来て、田んぼに産卵します(図1)。

図1 アキアカネの1年
図1 アキアカネの1年
図2 石川県野々市町の水田からの アキアカネ羽化数の変化 (水田1筆当たり調査1回当たりの 平均羽化個体数)
図2 石川県野々市町の水田からの
アキアカネ羽化数の変化
(水田1筆当たり調査1回当たりの
平均羽化個体数)

 図2は私の大学の近くの水田でアキアカネの羽化数を調べた結果ですが、1989年に比べて、ここ数年はずいぶん少なくなっていることがわかります。いつ頃から減り始めたのかを示すデータはありません。ただ、夏の白山山系で調べた結果を見ると1989年と1999年では大きな差はなく、それが2007〜09年になると100分の1以下になっていました。また、日本各地のトンボ研究者へのアンケート結果から、2000年頃から急激に減少し始めたという印象を持っている人が多いことがわかりました。

 これらのことから、1990年代後半から広く普及し始めた育苗箱施用剤(箱処理剤)の成分であるアドマイヤー(イミダクロプリド)やプリンス(フィプロニル)といった殺虫剤との関連が浮かび上がってきました。

箱処理剤を使うと赤トンボは羽化しない

 そこで、共同研究者の宮城大学の神宮字寛さんは、ライシメータというミニ水田に、一定量のアキアカネの卵あるいは幼虫を入れて、そのうちどれだけが羽化するかを調べました。プリンス処理区では早い時期から幼虫が見られなくなり、何度実験を繰り返してもまったく羽化が見られませんでした。アドマイヤーやスタークル(ジノテフラン)処理区からは、少しは羽化してきますが、無処理区の2、3割程度でした。

 石川県各地の100筆ほどの水田で、農家の人に2年間赤トンボの羽化調査を行なってもらいましたが、プリンスを使った水田からは、やはりまったく羽化が見られませんでした。

なぜ箱処理剤が打撃を与えるのか

 箱処理剤は、イネ苗といっしょに水田に埋め込まれます。そして粒剤から溶け出した殺虫剤成分が根から吸収されてイネに移行するので、イネを食害する害虫に的を絞って殺すことができます。粉剤や液剤のように周囲に飛散しないので、「環境にやさしい農薬」といわれています。

 では、なぜイネを加害しない赤トンボの幼虫も死んでしまうのでしょうか?

 共同研究者の東京農工大学の渡邊裕純さんは、箱処理剤の殺虫剤成分が水田内でどのように分布し、拡散し、変化するのかを追跡しました。それによると、粒剤から溶け出した成分の一部は水に溶け出してしまい、移植直後に高濃度になります。その後、急速に濃度は低下しますが、一部は、光分解や微生物の作用によって、かえってアキアカネの幼虫に対して強い毒性を持つ代謝物に変化します。田面水を使った私の研究室の実験では、幼虫はすぐには死なないのですが、歩行できないなどの行動障害が早くから生じました。

 箱処理剤は、害虫発生を未然に防ぐという、いわば「保険」のようなものです。省力化という面から、従来の殺虫剤よりずいぶん早い時期に施用されます。そのため、初夏には水田を後にする赤トンボにも打撃を与えることになったと考えています。

箱処理剤でどれくらい減るか

 殺虫剤ですから、ある程度トンボが死ぬのは当然です。問題は、それによって広域的に個体数が大きく減少するほどの影響を及ぼすかどうかです。そこで、都道府県別の農薬の出荷量を元に、主要な三種の殺虫剤成分(イミダクロプリド、フィプロニル、ジノテフラン)を含んだ箱処理剤を使った水田の比率を推定しました。全国レベルでは2009年で44%でしたが、半数以上の県で50%を超えていました。

 次に、こうして求めた各農薬の施用面積比率に神宮字さんがライシメータで明らかにした生存率の減少の程度をかけて、ある年にアキアカネがどれくらい減るかを計算します。そして、生き残ったもので来年の子孫を残す……というように計算していくと、2000年頃から急激な減少が始まり、2009年時点で驚くべきことに半数以上の府県で、1990年の1000分の1以下に減少しているという結果になりました。

図3 箱処理剤の流通量から推定した 石川県でのアキアカネの減少曲線
図3 箱処理剤の流通量から推定した
石川県でのアキアカネの減少曲線

 他の条件は一定とした非常に単純な計算ですが、石川県の推定値の経年変化と先に述べた白山山系での観察結果はかなりよく一致します(図3)。また、箱処理剤の使用量には著しい地域差がありますが、少なくとも新潟を含めた北陸四県では、推定値とアキアカネの個体数の地域差がよく対応していることもわかりました。

 このような計算と観察から、2000年頃からの急激な減少の主要因は箱処理剤であると考えています。

生きる力を与える赤トンボ

 この原稿に取りかかろうとしていた矢先に、東日本で大きな地震がありました。こんな大変なときに、トンボの数がどうしたと、まさに極楽とんぼのような話をしていてよいものだろうかと筆がなかなか進みませんでした。

 そんな中、阪神大震災のとき「赤とんぼ」の歌が瓦礫の下の老夫婦の命を支えたという新聞記事があったことを思い出しました。赤トンボが、老夫婦の子供時代、ふるさとを思い起こさせ、生きようとする力になったのだと思われます。だとしたら、人々の暮らしの復興とともに、赤トンボが舞う風景を復活させることも大事なのではないかと思い直しました。

赤トンボを増やす方法

 では、赤トンボを増やすにはどうしたらよいでしょうか。

 アキアカネを増やす方法はそれほど難しくありません。箱処理剤の問題を別にすれば、中干しの影響も大きいのですが、これは、春の水入れを少し早くして水のある期間を60〜70日ほど確保すれば、影響をかなり回避できると思います。

「保険」としての箱処理剤については、コストという面からも再検討の余地があると思いますが、万が一を考えると、なかなかそうはいかないのかもしれません。減農薬栽培であっても、箱処理剤としてフィプロニルやジノテフランなどを使う限り、赤トンボを増やす効果は期待できません。ただ、すべての箱処理剤が悪い影響を及ぼすかといえばそうではなく、いまのところパダン粒剤(カルタップ)は、赤トンボにほとんど影響を与えないことが私たちの研究でわかっています。ただし、他の生物への影響は不明です。

 アキアカネはイネ刈り後の田んぼにできた浅い水たまりに卵を産みます。もし、翌年にパダン以外の箱処理剤の使用を予定しているのであれば、イネ刈り後は水はけをよくし、水たまりができないようにして産卵を防いでください。翌年にムギやダイズなど転作作物の栽培を予定している田んぼも同様です。

(石川県立大学)

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現代農業 2011年6月号
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現代農業 2011年6月号

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田んぼの生きものたち 赤とんぼ 田んぼの生きものたち 赤とんぼ』新井裕 文・写真

田んぼに暮らす多くの生きものたちの、子育て、食餌、天敵、冬越しなど、四季の暮らしを活写し、生きものと生きもの、人と生きもののつながりを考え、生きものに思いを寄せる「田んぼの生きものたち」シリーズの第2弾。田んぼから飛び立ち、田んぼに産卵する赤とんぼ8種の四季の暮らし方や苦労、喜び、悲しみをオールカラー写真で紹介。なぜアキアカネやミヤマアカネが少なくなってしまったのか、共存するにはどうしたらよいのか。トンボ研究に生涯をかけた著者が240余枚のカラー写真で物語る。 [本を詳しく見る]

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