鹿泉市酪農技術交流訪日研修団来日をふりかえって6月、麦秋の季節。NGOの経費がまだ分からないのだが、昨年の経験でムギワラを貴重な粗飼料として使って欲しい、この季節にいくしかないと、自費覚悟で訪中に踏み切った。団長小沢さんの母上が体調が最悪の中での旅。今回は昨年の続きでエサの状況が悪いと心配。ムギワラの使用を検討する傍ら、アルファルファの栽培の視察と講習会をした。大人気の岩瀬団員が牛を見る。 鹿泉では4万頭増頭計画が持ち上がり、モデル地区の隣の大河鎮にも違うメーカーの工場ができたと聞き、駆けつけていった。日本のようなメーカーの酪農家争奪戦が始まるのか。牛の育成がしっかりせず、飼養技術や繁殖障害の対処が未熟のままでの増頭で結果はどうなる?乳価が下がり、牛がつぶれる、メーカーもつぶれる、酪農家がつぶれる。大きな課題を持ち帰った訪中だった。 1月、成田空港。削蹄師大野さんを除く団員が揃った。団員の強い要望で二本立て給与法創始者である渡辺高俊先生のご子息、元千葉共済参事広先生が初めての参加。支えた清子夫人も参加。 日本側:小沢禎一郎、越後谷幹雄、渡辺広、渡辺清子、鈴木孝雄、尾形茂、岩瀬慎司 中国側:鹿泉乳業協会王士偉、趙凱龍、張景鳳 事務局:斉藤春夫、葛嵐屏。 大規模な交流なため、農科院の日本農業科学技術応用研究室の薛桂霞女史も応援。 まず、交流団と乳業協会とモデル農家と会議。そして、農家まわり。「日中技術交流牛場」と大きく書かれている搾乳ホールが基地の入り口。 モデル農家5軒、協会2軒、訪日予定農家2軒。合わせて9軒の牛舎をエサと繁殖障害の両面で見る。子牛の出べそや膣脱が散見されることから、小沢団長と渡辺先生は粗飼料がサイレージのみで長いセンイが不足と話す。 岩瀬団員が牛の妊娠を診断中。「有!とまった」 初参加の渡辺先生も直検。「うんちから、粗飼料不足が分かる」と断言。 薬はやはり信頼をうける。中国でも作れるといいな。 3月来日予定の解さんご夫妻にサイレージを見せていただく「1頭1食の量だ」
春に播いたアルファルファは枯れて、来春にまた成長する。 翌日早朝乳を運び終わった酪農家を集めて講習会。渡辺広先生による「父と二本立て給与法」通訳つきのスピーチ。二本立て給与法と日本の乳牛の保険制度について。小沢団長は黒板を使って曲線で二本立て給与法を力説。日常的なやりかたとの違いに驚きが走るが、「信じるしかない!」自分の失敗を経験してほしくない。団長の思いが肺腑に伝わった。事務局で事前に作った通年サイレージのスライドを上映。 解さん宅訪問、立派なお宅。「日本に来たら、がっかりするね」と研修受け入れ先の鈴木団員。 賈さん宅にも訪問。夫人たちも安心。 初春の千葉。昨年度から迎えたかったのが、9月、10月とパスポートやビザで挫折。綿密なスケジュールが何度も変更。三度目の正直でやっとの来日。 3月3日、ひな祭り。まちにまった空港での握手。岩瀬団員が自ら車で出迎え。事務局斉藤と葛も。 初めて海を見た感激。 鈴木団員が早朝の搾乳を途中までやってトヨタの四駆ランドクルーザープラドを飛ばして100キロ以遠のホテルまでお迎え。親戚が来た感じで喜ぶ二人だった。 「鹿泉でお世話になったので、たくさんのところ案内したい」 まずは、酪農発祥の地、峰岡試験場。 牛を洗っている途中。種牛について詳しく質問。 農協訪問。農協には多大な関心を持つ。 鈴木牧場到着。家族揃って出迎え。 息子さんの案内でサイロをチェック。 尾形牧場では、元気なお母ちゃんがつなぎ姿で研修生らを感心させた。 「日本の女性は仕事がよくできるね。」 乳量と乳質を確認。尾形牧場は良質。 牧場に来たら、アイスクリーム召し上がれ〜。 お昼は1月訪中した渡辺広先生宅で。奥様の手料理でご招待。牛乳で作るトウフなど工夫いっぱい。少しでも牛乳の文化を伝えたい気持ちが伝わる。 ここでかつて日本を風靡した二本立て給与法の創始者故高俊先生の書斎に、20万頭の牛のカルテ。声が失った瞬間。 宏先生が飼っている牛にビタミンの青草。「ここは田んぼの少ない地だから、二本立て給与法があった」と説明し、納得。 「記念に書いていただきたいのですが。」書と絵がご趣味の宏先生に言われ、王さんは照れ照れながら応じる。団員と研修生の書の交流がここから始まった。 「友誼長存」「技術交流、造福於民」 さっそく宏先生主宰の勉強会。父故高俊先生が粘土で作った卵巣。病気の卵巣と正常の卵巣。「泌乳曲線と胸囲曲線」を説明。「これは父がNHKの番組に出たときに作ってもらったのだ」父を偲びながら。 鈴木団員はお母様の法事で午後参加不能。尾形団員の車で案内交替。須藤牧場のフリーストール。「日本草地畜産協会指定・低投入型酪農育成展示牧場」。「ここの特徴は電柱の廃材を使って作ったこと」と尾形さん。大きな鉄板で作るサイロ。自動給餌の牧野牧場には30年前から二本立て給与法。サイレージの多さに驚く。段階分ける育成に注目。 鈴木団員らの堆肥センター。こうしてパッケージして販売することに感心するが、高額な投資や気候の違いなどで眉間にしわを寄せる 夜、1日案内で疲れきった団員たちが集まって日本料理で三人をご招待。初めて体験する刺身に不慣れだが、団員の心遣いには印象に残ったのでは。波の音が聞こえる日本旅館で深夜2:00までこれからも交流を続けたいと話しが永遠に。くったくた。 朝太平洋をはじめて目にした研修生らは、岩瀬団員の車の案内で、新たな体験の1日が始まった。岩瀬団員はこの日のために休日勤務など日程を調整して迎えた。岩瀬団員が管轄した牧場、explained about よく出る病気。 小島牧場。20年前に千葉北部から入植してきたここの牧場では、牛を見る。そしてエサをチェック。木の家に憧れを持った王会長、帰国後、どういう行動を起こすのだろうか。 お茶のご招待。照れ屋のご主人と心地よく歓談。77のおばあちゃんは昔の手絞りで手が変形。いまは幸せだが、後継者がいない。王会長は、後継者を探してあげると本気で。後継者といえば、村田牧場のこの立派な青年がそうだ。自家製のヨーグルトで招待するのは、酪農家風。毎日給与するエサの量、種類、乳量、1年1産かどうか、細かく質問。ちょうど受精師と獣医と出加え、その様子を見学。お父さんは50年前の酪農を回顧し、「日中はライバルにならないで」と発言。研修生らはFather'sレベルの高さに感動。 つぎに、岩瀬団員が所長を勤める診療所で診療の内容を見学、説明。日本診療と保健保険システムを知る。 午後、県育成牧場(正式:千葉県畜産総合研究センター市原乳牛研究所)へ。布施紘一所長と村田宏之主席研究員により育成プログラムとエサを詳しく説明を聞く 牛の保育園を前に王さんは園長先生らしい顔になっていた。 県酪連でいままで2日間の所見を質問でぶつける。7000万の機械を見学。なんと王会長も購入して酪連を設立したいのか?組織作りのことが印象に残ったに違いない。よる10時東京到着。夕食終わって11時。岩瀬団員ご苦労さま。 東京で事務局により1日招待を経て、団長の小沢さんが待っている松本へ。昼着。大野牧場、中野牧場、岩垂牧場、奥原牧場、中平牧場、小沢牧場といろんなタイプの牧場を案内。夕食後の研修会には美ヶ原牧場畜産農協組合長百瀬城森氏、JA松本ハイランド農協畜産係長柳瀬太郎氏を講師として招き、育成牧場の必要性と施設、放牧方法、農協の役割(子牛の販売、廃用の販売、導入の飼料購入)について9:00まで勉強会。息のつまる日程に研修生らは驚く。 翌朝、松本城を見学しながら江戸時代の町作りについて勉強。 お昼は研修生の訪日の延期でさんざん計画変更させられた地元島内公民館と農業文庫の方々から歓迎を受ける。出張所、デーサービス、文庫、図書館を視察し、高齢化社会について考える。「熱烈歓迎中国友人」の垂れ幕に研修生らは強烈に印象付けられた。 生の交流会では本音のトーク。「農産物輸出で日本がやられる」との文庫側の声に、研修側は「中国は発展途上でいまは自分の食べ物を節約して日本に輸出するが、今後発展すると自国内で足りなくなる。心配しないように。」と答えた。この交流は地元の「信濃毎日新聞」ミニコミ紙、「タウン情報」に大々的に報道された。 小原克一稲農場(20ha)のトラクター(10台)、トラック(4台)とスライドトラックに研修生三人は興奮と驚きの顔。 協同乳業松本工場では吉沢工場長に懇切、丁寧な説明をいただく。吉沢工場長は来年定年後、三鹿乳業訪問交流を約束。いく先々交流の輪が広がる。 先に帰国する王会長は「毎日メモを取って勉強しなさい」と本格的に研修に入る解さんと賈さんに言い残し電車に乗り込む。二人は任務を負って研修先の小沢牧場へ 二本立て給与法を守り通している小沢牧場。今日からお客様が来ることを牛達は知っているのだろうか? 90歳のおばあちゃんの介護で大変なこの家に研修生がホームステーすることに。小沢夫人は二つの部屋の整理、布団の用意などで1週間前から大忙しい。研修生が到着すると、さっそく大野団員が駆けつけてくれた。日程の相談。解さんはコタツに慣れない。慣れないのは、これだけではない。 牛飼いはまず服装から。プロとして。「アメリカの牛飼いのつなぎ姿に俺羨ましかったよ。」小沢団長は30年前に初めて渡米したときの記憶を語る。「そのとき、俺は負けたくないと思った。同じ気持ちを持って中国に帰って頑張ってほしい。」きめ細かい考慮。さすがに団長。 頭絡作り。賈さんは覚えるのが速い。「昔馬とロバの頭絡を作っていたよ。もっと複雑なんだけどね。」二人は研修か仕事かで少し戸惑いぎみ。なにしろ、鹿泉では人を雇うのだから。事務局は体を使って体験することの意義を説明。段々と積極的にするようになった。 作った頭絡をさっそく小沢牧場の牛に使ってみる。 エサやりを見る。まずは見る。 この莫大な量のワラにはびっくりした。 アンモニア処理したワラを牛はよく食べる。来る前には信じなかったが。百聞は一見にしかず。 乾草ぎっしりの草庫。「このスペースは鹿泉ではないな」と解さん。 「このミルカーは中国より柔らかい。」と少し羨ましい。 「牛乳よく出るね。」この日から毎日集乳車が来たら乳量をちゃんと聞くようになった。 搾る手順の中で消毒が重要。 霜が降りた翌日、早朝から牛舎で搾乳研修開始、仕事着ばっちり、北アルプスは日の出を待っている。 「このミルカーは性能が中国よりよい。」写真撮影を解さんが依頼。 糞出しすると、二本立て給与法の粗飼料の多さにあらためて気付く。 搾乳終えての朝食は、小沢家30年のメニュー。すべてにヨーグルトをダシに入れている工夫も。 早朝の搾乳を終えた大野団員が削蹄を教えにきた。まず、本の勉強から。 大野団員の保定枠に小沢牧場の牛を入れる。 鹿泉でも教えたから、すぐできた。大野先生は念入りプロの削蹄師として蹄の美観まで丁寧に教える。 ロープの縛り方に学問が多い。賈さんは馬とロバを販売してきたので、見てすぐできてしまう。感心する大野団員。 「これが一級削蹄師の免許だ。中国でもなってな。」 4頭削蹄し、牛の見方、の実践勉強。乳房、二の背。「乳鏡は短いほうがいい」と大野団員。 角焼きの勉強。「何か月まで焼くの」と真面目に質問。 夕食をともにした加納ヘルパーは実は画家。買えば50万円もする乳牛のツルータイプの絵を書いてくれた。解さんと賈さんも書を交換。「彼女と鹿泉をいつか訪ねたい」と加納ヘルパー。「牛は文化だ」と小沢団長のご子息幸治くんが言った。そうなると、酪農交流は文化交流だ。当然の命題。絵もその一要素になる。面白くなった。これぞNGOや。 「頭にツル−タイプを入れて理想に近づく牛を飼う。」小沢団長の言葉とあったかい気持ちを胸に刻む。 大野団員のご自慢の優勝乳牛。いま牧場の半分がこの牛の子孫だそう。 大野夫人は旬のナズナのつけもので出迎え。「食べられるのかしら」と見守る。 さらに削蹄の練習。松本ハイランドの広報が話しを聞いて取材に来る。 共進会での牛の歩かせ方を指導。 地下式サイロの出し方「せっかくだから、たくさん見せたい」と大野団員。その後、牧場のエサやりなども全部体験。 松本特産氷餅自家製を解さんと賈さんにプレゼント。 お昼は大野夫人の手料理で、晩餐は大野団員が皆を焼肉にご招待、これも「牛文化」でしょう。 いよいよ松本を後にする。夜中、団長はカナダツルータイプの絵を手書き、早朝書いた「日中友好酪農発展」の書とともに贈る。解さんと賈さんからも書を残す。 増えた荷物を小沢団長ご夫妻がカバンを出して入れる。小沢団長は電車まで見送り。「松本でこれだけ体験したら、鈴木牧場ではすぐなれるよ」と気遣う団長、本当にありがとう。 千葉にU-タンしてきた二人をトヨタの四駆PRADOで出迎えたのが、これから12日間もお世話になるホームステー先の鈴木団員。この南三原駅はすぐ壊される予定だそう。 朝8時小沢邸を出て途中電車の故障も経験し8時間も及ぶ旅、「あ、やっとついた」とほっとする研修生。しかし、「始まったな」と鈴木団員は大変。さっそく小沢団長より助言のお電話。団員同士の友情も深い。これまでの報告と先の日程をチェック。机には音声の出る日中電子辞典が置かれている。事務局より中国語の会話の研修を行なう。 研修生も疲れが残ったままサイロ出しを頑張る。 エサやりから、搾乳、全部やる。「この写真を女房に見せたら女房は涙出るよ」「何で?」「中国ではこんな重労働しないから」と賈さん。 50キロの牛。壁に濃厚の量が書かれている。「3以下の値はトウモロコシのキロ数、3以上の部分は高蛋白の量」と鈴木団員が説明する。 搾乳が終わったら必ず消毒をする。鈴木団員は職人的にマイペースで一頭一頭の牛と付き合う様子。 翌朝、牧場境内のお寺を訪ねる。「牛年と馬年、お参りすると、運がよくなるよ」と鈴木団員。さあ、どんな運が待ち受けているのだろうか。 スーパーでの乳製品コーナーは事務局が代わりに写真撮影をし、研修生に見せた 何でも食べてみるが、納豆はさすがに一度きり。料理上手な解さんが餃子を作る。 慣れない異国に来る前に愛用のお茶瓶とお茶を持参。1日何杯も。大助かり。お茶を飲みながら、青色申告している鈴木団員より税金の話を聞く。「いつから税収があったの?」計算早いの賈さんは、自分達にも税金の封筒が来る日が遠くないと察し、強い興味をもった。 この日、朝の搾乳のあと、鈴木夫人の運転で買い物に。途中花屋による。房総と言えば、牛と花。「牛糞は花によい」「将来鹿泉で花を作って北京に売り出すか」との会話。 渡辺広先生ご夫妻が肉じゃがの差し入れに。鈴木牧場を訪ねたが、すれ違いになったので、買い物先の店で待ち合わせ。 買い物を付き合って、宏先生は解さんと賈さんの両お母様にシャツのプレゼント。おまけに、ラーメンをおごって頂いた。広先生が前後5回も鈴木牧場に会いにこられたことは、解さんにとってもっとも印象深いできごとだった(解さんインタービューより)。 鈴木団員は暇を見つけては房南酪農農業協同組合を案内。 7種類以上の乾草がアメリカより輸入されている。莫大的な量に驚いた二人は事務局に「中国にも輸入してくださいよ」と真剣な顔で言った。 3ヶ月の牛がいるので、角焼きをみせてあげる。「松本ではこういう道具を使った?解さんは鍛冶屋だったから、自分で作れる。」 「今日は松本と違う道具をやってみよう。この電動のやつを。」と鈴木団員。 「簡単だ。牛は3−4か月がよい。角の周りの皮膚を焼くのだ。」 「焼いたあと、自動的に脱落する。」 牛の鼻輪のつけ方も教える。これは力技だ。 牛の見方を勉強。松本の大野団員の教えの復習になる。 緊張な研修が続く中、遠い岩手にいる越後谷団員が研修生の解さんと賈さんに会いに来た。「ぼくの顔を見ると二人は喜ぶだろう。」越後谷団員も鈴木牧場は今回はじめて。研修生のおかげで、団員の間の親睦も一段と強まった。 渡辺先生と夫人は1日も研修生のことを忘れていない。この日、診療所で四変の手術があると知り、すぐ鈴木団員と一緒に解と賈さんに見せてくださった。 二本立て給与法をちゃんとやれば四変は減る。はじめて見たこの手術現場は研修生に何を印象づけたのだろうか。 房総の桜は早い。春風が暖かく吹く鴨川シーランドへ事務局が案内。研修生活のリフレシューに。 研修は終盤を迎えた。体を使った牧場管理や二本立て給与法のエサ実践は身に付いたかな。渡辺広先生は2日間を掛けて二人に計算や二本立て給与法の基本をもう一回教えた。 乳量と関係ある部位と関係ない部位の話、つまり牛の見方だ。中国に帰ったら、是非よい牛群を作ってほしいと願った。 いよいよ研修の最終日。千葉の団員が全員揃って解さんと賈さんを囲んで乾杯!松本の団長と大野団員、そして、わざわざ岩手から会いにきてくれた越後谷団員、事務局と通訳の皆さん、関係者の皆さん、お疲れ様でした。食卓には刺身と餃子、炊き込み赤飯。金箔入りの日本酒、10年陳の紹興酒、52度の中国白酒が並ぶ。 9時頃仕事を終えた岩瀬団員の到着。 待ちに待った終了証書の交付 渡辺広先生より渡される。拍手が沸きあがる。研修生に贈った拍手、と同時に、団員の皆さん、関係者の皆さんに贈った拍手でもある。大成功! 解さん第一号。 賈さん第二号。 これから、第三号、第四号、第五号......夢が膨らむ。大変だった21日だったが、初めて体験したこと、さらに深めたこと、広めたこと、数え切れないほどあった。教えること、教えられること、助け合うこと、ありがとう。双方の受け皿をさらに強化し、民間交流という太いパイプをもっと作りたい。民間交流の手助けを資金援助の面でしていただいたことを日本畜産技術協会に感謝したい。 二本立て給与法にお世話になった。日本に来てまたお世話になった渡辺宏先生ご夫妻と記念撮影。 同じ屋根の下で過ごしたくさんのことを教わった鈴木団員ご夫妻と記念撮影 「友誼長存、好牛造福」−よい牛は幸せをもたらす、友情は永遠に。鈴木団員から解さんと賈さんへ。 友情はさらに日本の皆さんから中国鹿泉の皆さんへ。 3月24日、桜満開。故郷へ心が飛んでいる研修生二人さん、5年後鹿泉の酪農も爛漫の春の如く明るくなるように頑張れ! 「自分からやり始める。成果が出れば皆も真似する。」解さんと賈さんが事務局斉藤理事に決意を語り、故郷鹿泉へと旅立つ。 戻る |