巻頭提言(3)
新しい農業・農村の時代を切り拓くのは
老人である

 「21世紀の日本と農業・農村を考えるための行動」呼びかけ人
  社団法人農山漁村文化協会専務理事 坂本  尚

未来に向けて成長するのは「老人層」
 わが国の65歳以上の人口は、別表1のとおり、昭和25年以来一貫して絶対数がふえつづけている。日本の総人口は平成18年をピークに減少に転じるという予測である。しかし、65歳以上は、その後もふえつづける。未来に向けて成長する「年齢層」は、「老人層」なのである。時代は、「青年層」に未来があるのではなく、「老人層」に未来がある時代に入っている。
 その先端を走っているのが日本の農家である。別表2のとおり、農家の総人口はすでに昭和40年から年々減り始めている。37年間一貫して減っている。ところが、農家人口が減っても、65歳以上の農家人口は、昭和30年以来、この50年間一度も減ったことはない。年々歳々ふえつづけているのである。農家の総人口は減っても、65歳以上の人口はふえつづけているのだから、農家総人口に占める65歳以上の人口の比率は年々高まっている。昭和35年8.2%だったのが、平成12年にはなんと28.6%。約3割が65歳以上の人口である。

国際競争力――老人労働の意味
 人口の高齢化は日本だけではなく、全世界の歴史的傾向である。世界各国は次々と高齢化社会に入りつつある。世界の先端を走っているのが日本であり、その日本で最先端を担っているのが農家である。
 世界の未来は老人にある。その世界の最先端が日本。その日本の最先端が農家。日本の農家こそが、世界の未来を担っているのである。つまり、日本の農家・農村のあり方が、未来の老人社会をリードする。経済の国際化のなかで、高齢者農業の果たす役割は極めて重要である。
 農業の国際化のなかで、国際競争に耐えて、日本の農業を担っているのは老人である。「2000年農林業センサス」によると、農業就業人口で65歳以上が52.9%を占めている。農業を担っている半分以上が老人である。農業国際化のなかで国際競争に耐えて、日本農業を守っているのは老人たちである。
 老人農業はなぜ農業の国際競争に耐え抜いていけるのだろうか。老人はすでに息子も娘も一人前にしてしまい、養育にお金がかからない。それに対して、若い経営者は子どもの養育にお金がかかる。子どもを大学に出すとなると、農業ではやっていけない。だから若い農業の担い手は農業を捨てて都会に出ていった。それに対して、老人は扶養家族をもたないばかりでなく、年金の支給を受けている。低コストの労働力で農業ができるという、極めて有利な経営条件をもっている。だから、海外の低賃金の農業や、労働生産性の高い大規模農業などとの競争に耐えて、日本農業の担い手としてやっていけるのである。
 アメリカのような経営耕地面積の広い大規模農業、あるいは中国農業のような日本の10分の1以下の賃金の農業に対して、規模拡大による農業経営の企業化で対抗することは極めて困難である。老人経営だからこそ、その意志さえあれば、外国農産物に負けずに農業を守れるのである。

老人技術が自然と人間の調和を生む
 老人農業の特質は、その農業技術にある。老人の筋力は衰えている。青年に劣る。老人は力を出さなくてもすむ技術を志向する。農文協ではこの技術を「省力技術」ではなく「小力技術」と名づけて、『現代農業』を中心にずっと以前から「小力技術」をすすめてきた。できるだけ作物や土のもっている力を活かす農法である。「小力技術」の農業は、老人が昔とった杵柄の多品目少量生産の技術である。結果として「有機農業」的になる。
 「小力技術」の農業生産物の売り方は、大量生産・大量販売の市場型流通に対して、産直型流通である。地元の産直販売店からスーパーマーケットの売場利用の産直まで、各種多様な産直が展開されている。
 野菜において典型的な流通経費、卸売・小売の販売手数料によって、農家の手取りは消費者の購入価格の3分の1しかない。それに対して、「小力技術」の農産物は、産直をすることによって、通常3分の2を占める販売手数料もふくめて農家の手取りとなる。トータルでみれば、これだけで3倍の生産性のアップに匹敵する。これもまた、国際競争力を強める大きな手段である。
 国際貿易では、直接消費者との直結によるコストの削減は不可能である。老人農業においては多品目少量生産だから、生産の仕方が産直型になり、そのことが競争力を強める。このように、農業の担い手の主力が老人になったから、国際競争に負けない農業生産を維持できるのである。
 経済国際化の時代に農業の国際競争力を強める道は、機械化による規模拡大や、肥料・農薬による省力化など、農業経営の近代化だけではない。伝統的な生産・流通を現代的条件に活かす老人の小規模経営の保持がある。
 老人の筋力の劣化に対応した多品目少量生産は、農業生産の有機農業化の方向にすすみやすく、結果として、農産物の差別化・個性化を促し、付加価値を高める。外国農産物に対して割高の価格で競争ができる。さらに多品目少量生産は、産直型販売に適し、流通経費の農業への取り込みを可能とする。流通経費の取り込みによって、外国農産物の価格と対抗できる。根本的には、老人農業は、扶養家族なし・年金付きの低コスト労働力で、労働力のコストダウンを可能にしている。
 そして大事なことは、このような競争力をもつ老人農業は、経済的動機からなされているのではないということである。「生きがい」や「先祖代々の土地を守る」「先祖の志を継ぐ」など、経済外的な動機や「道義の力」から農業が営まれる。中国の高名な経済学者レイイネイは、この力を経済における「道義の力」として新しい経済理論を構築している(『現代農業』1998年1月号48頁「むらを守り農業を守るのは『習慣と道義による調節』の力」を参照)。
 国際的にみると、人口の増加に対して、食料の増加は追いついていない。貧しい国々が飢えているのに、「金持ち国」がその食料を奪うことは、道義的に許されない。老人農業こそが、世界の未来を切り拓く農業なのである。

人生80年――ライフサイクルを変える
 多品目少量生産・小力技術の方向は、自然と人間の調和する方向での農業である。今日の人類的課題は、人口・食料・資源・環境問題である。
 食料・農業・農村基本法(平成11年7月成立)の第2章第3節「農業の持続的発展に関する施策」には、「高齢農業者の活動の支援」として、次のように述べられている。第27条「国は、地域の農業における高齢者の役割分担並びにその有する技術及び能力に応じて、生きがいを持って農業に関する活動を行うことができる環境整備を推進し、高齢農業者の福祉の向上を図るものとする」。
 環境保全・食料の安全等々、自然と人間の敵対矛盾関係を克服する道は農業就業者の多数を占める老人が生き生きと農耕をいとなめる環境をつくることにある。
 都市に比べて、農村には老人の活動の場が多い。老人の知識技能を活かせる場が多い。老人を福祉を受けるだけの受動的存在とするのでなく、働く場で老人の力を発揮させることによって老人の活力を高める。そのような「生産による福祉」という、人類史上画期的な「福祉」を実現することは、日本の農政においては可能である。
 農業の後継ぎは何も20歳というように、青年でなければならないことはない。50歳でも60歳でも後継ぎはできる。「人生80年」の時代である。60歳で後を継いでも、あと20年はある。老人が農業をつづけられる環境を整備することこそが、最大の「福祉」なのである。
 都市の大部分の人は「故郷」をもっている。高度経済成長の時代に都市に就職した人びとは、定年を迎えている。これらの人びとが「故郷」に帰ること、「定年帰農」という農文協が発明した用語が、一般につかわれるようになった。
 「定年帰農」によって、21世紀の新しい「ライフサイクル」を創らねばならない。それぞれの「好み」と「事情」に応じて、帰農する社会的習慣を創り、21世紀の新しい生き方を生み出そう。
 農村に多くの人びとが住むこと、農村の人口をふやすことこそが、新しい人類史の始まりである。人類の発展は都市によってリードされてきた。21世紀は農村に人びとをふやすことによって、自然と人間の調和する社会を創ることが可能になる。農村が都市をリードするのである。

「住」の変革が21世紀を創る
 これまで日本では、電化商品・自動車などに表徴されるような、大量生産・大量販売に基づく、画一化された商品の所有による画一的生活水準の向上がつづいてきた。今、豊かさの新しい段階がもとめられている。それぞれの個性にあった暮らしの創造こそが、新しい豊かさであろう。とくに「食」と「住」において、それぞれの地域自然の個性を活かした暮らしがもとめられている。
 高度経済成長がもたらした豊かさは、画一的豊かさであった。日本中どこへ行っても同じものを食べ、同じコンクリートの住宅に住む、豊かさである。
 「食」は産直によって、「地産地消」、それぞれの地域の個性を活かした、安全で新鮮な「食」に代わりつつある。そして重要なのは、「住」の個性をもとめる動きが起こりつつあることである。日本人の所得は世界で上位の水準を保っているのだが、「住まい」では、かなりの貧困を示している。画一的なマンション・アパートの非個性的な狭い「住まい」。日本人は潜在的に自然のある住宅、つまり庭のある一戸建住宅をもとめている。都会に密集した高層住宅を、庭付きの一戸建住宅にかえることは不可能である。
 しかし定年帰農の流れに表徴される老人帰農の流れは、日本人の念願の庭付きの一戸建住宅の実現を可能にしている。
 都会の住民の大部分は、「田舎」をもっている。定年が近づいた50代から「田舎」にわが家の第二ハウスを建てることは可能である。都会に一戸建庭付き住宅を建てることは困難であるが、「田舎の土地」に建てることはほとんどのサラリーマンに可能であろう。
 定年になったら、田舎暮らしをベースに都会の住まいは息子に譲り、1室だけは自分用に確保しておく。都会でなければ味わえないスポーツの観戦、音楽会に芝居、美術館めぐり等々に、趣味を満喫する。普段は田舎の自家菜園で人生の豊かさを味わう。さらに、少量多品目のおすそわけ型産直農業で社会参加し、人の役に立つ。これこそが生きがいの源泉である。
 人類史上、農村を土台にした新しい豊かな暮らしをつくるのが21世紀である。都市主導の文明による人間の発展から、農村がリードする個性的な地域文化による人間の暮らしの豊かさを実現する時代に入ったのである。
 隣国中国の少子化政策と都市化政策は、やがて中国農村を老人社会にすることはまちがいない。その中国にすすむべき道を日本の農村で示す。それが国際化時代に日本が果たすべき役割である。
 老人が未来を創る。老人よ大志を抱け。未来は老人のものだ。
(追記・この論文は、日本文化厚生農業協同組合連合会の機関誌「文化連情報」2002年7月号に掲載されたものを、一部変更して転載させていただいたものです。事務局)