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佐藤正(さとう ただし)
1927〜1987
略歴:1927年徳島県生まれ。旧制第六高等学校を経て1953年東北大学経済学部卒業。卒業後漁業労働者の運動に従事。58年東北大学大学院(旧制)中退、同農学研究所研究生を経て60年同助手。その後岩手大学に移り70年教養部教授。75年経済学博士(東北大学経済学部、学位論文「日本資本主義と近代的農民運動の構造」)。77年岩手大学人文社会科学部教授。1987年10月4日歿。
主な著作、論文
『沿岸漁業集約経営調査報告書・第1年度』(宮城県水産試験場、1958年、共著)
「岩手の農業を築いた人々(1)〜(25)」(岩手県農業改良普及協会、1964〜66年)
「出稼ぎ追放にとりくむ農協−岩手県志和農協の実践−」(『現代農業』1964年11月号)
『近代日本の地主と農民』(共著、須永重光編、御茶の水書房、1966年)
『宮城県農民運動史』(共著、中村吉治編、日本評論社、1968年)
『畜産物市場と流通機構』(共著、吉田寛一編、農山漁村文化協会、1972年)
「複合経営の論理」(『農村文化運動』50号、1973年)
『高度経済成長と地域の農業構造』(共著、吉田寛一編、農山漁村文化協会、1975年)
『日本農業の課題と複合経営』(共著、農山漁村文化協会、1980年)
『地域農政の指針』(農山漁村文化協会、1980年)
『産直−生協の実践−』(共著、日本生活協同組合連合会、1984年)
『国際化時代の農業経営様式論』(農山漁村文化協会、1991年)
『農業生産力と農民運動』(農山漁村文化協会、1992年)
<日本の風土に根ざした農業変革、農家・農協経営の確立に情熱を捧げ、理論と実践の統一に邁進>
佐藤正氏は広い視野をもった科学者であり、同時に優れた実践的活動家でもあった。学生時代の1950年5月、東北大学における反イールズ闘争の中心メンバーの一人であったことは知る人ぞしる有名なエピソードになっている。
学者・研究者の道に入ってからの数多い論考を大きく分けると、1960年以前は農民運動、漁業関係、60、70年代は農協、複合経営関係、80年代はそれらを包含しつつ理論構築した経営様式論関係のものが多くなっている。
農民運動研究について言えば、従来の農民運動史研究が多くは単に農民組合運動ないし小作争議の事件史的記述に終始していたのに対し、まず運動の主体を構成する農民経営・農民的生産力それ自体の展開過程との関係において農民運動を把握した点に優れた特徴があったと評価されている。しかもそれは一般論ではなく宮城県南郷村という具体的な村において農民の稲作生産力や農民的産業組合運動、自生的農家小組合の活動などの具体的分析を通じて、それと国家や地主、村落支配構造との対抗関係において運動を把握するという、理論的にしてリアルな農民運動論として提示された。「こうしたことは1960年代後半以降の農民運動史研究においては次第に当然な方法・視角とされていったが、佐藤の研究は50年代においてそれをなした点できわめて先駆性をもったものであった」(安孫子麟「『農業生産力と農民運動』解題」とされている。
こうした研究を出発点にして、60、70年代は岩手県志和農協の長期経営計画の策定に寄与、農家の複合経営を土台にした日本的農法変革と農協の自己改革等を次々と提案、論理的にして実践的な農業経済学者として多くの農家、農協経営者等に影響を与えた。当図書館の生みの親である農文協の活動にも多くの示唆をいただいた。
80年代以降氏が苦闘した「経営様式論」については専門的・学術的になるので紹介は控えさせていただくが、「故人は論理の上でも討論の場でもすぐれてポリミッシュであったが、このことは論理的確信と革新的情熱のあらわれであったように思われてならない」(吉田寛一・東北大学名誉教授『国際化時代の農業経営様式論』はしがき)と評される佐藤氏が60歳の若さで死去されたのは惜しまれる。
<蔵書明細表>旧館5階閉架書庫b列
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| 書架番号 |
件名 |
図書数 |
| 5F-STb−01 |
社会主義 |
125 |
| 5F-STb−02 |
社会主義 |
194 |
| 5F-STb−03 |
経済・哲学 |
222 |
| 5F-STb−04 |
経済・哲学 |
452 |
| 5F-STb−05 |
世界経済・文庫・新書 |
337 |
| 5F-STb−06 |
日本経済 |
241 |
| 5F-STb−07 |
日本農業 |
264 |
| 5F-STb−08 |
農民・農協 |
249 |
| 5F-STb−09 |
伝記・社史・地史 |
184 |
| . |
合計 |
2268 |
目録(1〜19)
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