『農村文化運動』 162号 2001年10月

「総合的な学習の時間」の理論と思想


[目次]

はじめに

第1部 地域の力が教育を蘇らせる

 

第1章 子どもの社会力を育てる教育こそ教育改革の真の課題
     ―地域での大人との交わりが子どもの社会力を育てる―   

筑波大学 門脇 厚司

第2章 教育を地域にとりもどす
     ―生活文化と村の「学問」の世界から―

哲学者 内山 節

第3章 江渡狄嶺(えどてきれい)の「場の教育論」に学ぶ
     ―学校をイエとムラに埋め戻す「単校」教育―

愛知大学 岩崎 正弥

 

第2部 食農教育で地域の力を引き出す

 

第1章 生活文化の語り部・農村の高齢者
     ―山を愛し、山の暮らしを誇りにするキクちゃんたちの暮らしから―   

山口県周東町教育委員 藤井 チエ子

第2章 農村地域とともにひらく学びの場
     ―教師の卵たちはムラで何を学んだか―

福島大学 鈴木 庸裕

 

第3部 食農教育の国民的な運動展開に向けて

1 教育改革と地域の教育力

文部科学省 山中 伸一

2 農業体験学習の持つ可能性

農林水産省 齋藤 京子

3 JA学童農園から地域に広がる食・農教育

全国農業協同組合連合会 郡司 雅史

4 地域の食と農に関する学習への農政からのアプローチ

農林水産省関東農政局 神井 弘之

5 人と人との出会い、かかわりあいをコーディネートする社会福祉協議会

全国社会福祉協議会 諏訪 徹

6 「田んぼの学校」で「ふるさと」の豊かさを学ぶ

農村環境整備センター 加納 麻紀子

7 子どもたちへの食教育で健康を守り育てる生活文化の形成を

厚生労働省 古畑 公

 


はじめに

 二〇〇二年四月から、小中学校で「総合的な学習の時間」が完全実施される。「総合的な学習の時間」は、算数や理科のような「教科」ではなく、時間の枠はあるが教科書がない。それぞれの学校が個性的な学習を展開することができる「時間」なのである。これまで学校は、全国一律の普遍的な科学的知識を教科書で教えてきた。そこからの大転換である。

 国際教育到達度評価学会が二〇〇〇年十二月に発表した「国際数学・理科教育調査」は、日本では子どもの学力低下は起きていないが、学習意欲が顕著に低下していることを浮き彫りにした。「総合的な学習の時間」創設の背景には、このような子どもたちの学習意欲の低下と、その背後にある、自ら課題の解決に立ち向かう「生きる力」の減退に対する危機感がある。これらの学習意欲の低下や「生きる力」の減退の原因を突きつめると、家や地域の共同性の希薄化と、生産・生活との乖離による子どもたちの知識の断片化にたどり着く。

 かつては、地域に生業が幅広く存在し、人々の働きや共同性が子どもたちの目にもしっかりと映じていた。そして子どもも何らかの仕事や役割を持ち、それを通して家や地域の生活文化を受け継いだ。学校で学ぶ知識は、日々の暮らしのなかで身体化され、総合化された。このようにして、自分の仕事や役割を通し、家や地域の老若男女の生きる姿に学ぶことによって、「生きる力」が獲得されてきたのである。

 しかし高度経済成長と生産・生活の近代化によって、地域の人々の働く姿が見えなくなり、家と地域の共同性は希薄化し、子どもたちが学ぶ知識は生産・生活から乖離して断片化した。子どもたちは、人間や自然から切り離された抽象的な存在になっているのである。学習の目的意識を持てないのも当然である。

 家や地域の共同性は、共同をなして地域の自然に働きかけ、暮らしを立てる営みのなかで育まれてきた。高度経済成長によって商品経済が浸透し、地域の自然との関係が断ち切られるとともに、家や地域の共同性が弱まってきたが、ここで「地元の学校」に結集し、共同性を回復することに注目したい。

 いま「総合的な学習の時間」で、高齢者がソバなどかつての郷土食の技や生活文化を「孫」の世代に伝えるなかで、その「孫」の親の世代(つまりは子の世代)にソバ打ちが流行し出したというような事例が方々で生まれている。かつては古臭いと捨てられた技や生活の文化が、総合的な学習によって復活再生してきたのである。このような形で「地元の学校」に拠点にして、地域の自然と調和した生活文化を再生し、地域の共同性を回復していく。「総合的な学習の時間」の創設は、その絶好の機会である。

 子どもたちの学習意欲を高め「生きる力」を育むために、そして自然と人間の調和についてのまともな感性を育むために、なんとしても「総合的な学習の時間」を食農教育で成功させたい。

文化部


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