『農村文化運動』 172号 2004年4月

「国連・持続可能な開発のための教育(ESD)の10年」――私はこう考える


[目次]

はじめに

I 自然と人間が調和した持続可能な未来社会への展望

ESD−J運営委員長・立教大学社会学部教授 阿部 治

II 地域をベースにESDを考える

  1. 地域からこれからの開発教育を考える
    早稲田大学文学部教授 山西優二
  2. 持続可能な社会の実現は「校区コミュニティー」の形成から
    (社)農山漁村文化協会専務理事 坂本 尚
  3. コミュニティ・エンパワーメントをめざして
    NPO法人ECOM代表 森  良

    「地域を変えていくことができる」という自信を生みだす“大人の学び”を支援する
    ――沖縄県国頭村での地域づくり運動から――
    持続可能な地域づくり・人づくりコーディネーター 大島順子

III 日本の環境教育の歴史とESDの展望

地球市民教育総合研究所所長 新田和宏

IV ESD国連決議までの経緯とESDをめぐる国際的な動向

岡山ユネスコ協会理事 池田満之

付 「持続可能な開発のための教育の十年」国際シンポジウムの概要
鹿児島大学生涯学習教育研究センター助教授 小栗有子

ESD−J設立趣意書
ESD−J入会案内


はじめに

 「持続可能な開発のための教育」(Education for Sustainable Development  ESD)とは、「持続可能な社会」をつくるための教育――、思いきり意訳をすれば、自然と人間が調和し、人間と人間が調和する未来社会を形成してゆくための教育である。このような画期的な教育の運動が、2002年8月のヨハネスブルグサミットで日本のNGOと日本政府の共同提案のかたちで提案されて、実施文書に盛り込まれ、同年十二月の国連決議を経て、2005年から10年間、世界各国で取り組まれることになった。

 *

 この場合、教育とは単に子どもの教育だけを意味していない。もともと教育の根源には、種の保存や、生活・地域(社会)の持続と繁栄、そして文化の継承への強い願いがあるからだ。

 ESDの具体実践としての自然と人間が調和した地域づくりで、大人が学習して力をつけてゆくことと、子どもたちがそのような地域づくりの「場」のなかで、ともに学び育っていくこととは、表裏一体の関係にあるのである。ESDは、そのような意味で、すでに日本の全国各地で行なわれている「持続可能な地域づくり」の運動に他ならず、そのような創造的な場において子どもたちを育んでいく「地域教育」の運動に他ならない。

 ただしその際、その地域づくりの運動は世界に向かって開かれている。グローバリズムが世界中を席巻し、地球環境問題などの自然と人間の関係や、人間と人間の関係の矛盾が激化するなかでその解決が切実に求められている世界的視野での問題と、日本各地の「地域づくり」の課題がどこかで交差しており、相互の連携のもとに解決をはかっていかねばならない、ということがESDには含意されているのである。

 *

 そこで本号では、日本でESD運動を展開すべく結成されたESD―J(「持続可能な開発のための教育の十年」推進会議)の運営委員を中心とする主要な論客に、それぞれの「私の考え」をご執筆いただいた。

 なぜ、「私の考え」なのか。それはESDが、環境問題や貧困問題の解決、人権、平和の問題等々、自然・社会・人間の三側面からの総合的なアプローチをその内に含んだ、非常に包括的で運動的な概念だからである。しかもESDは、個性ある地域の多様性に根ざし、各々の地域の人びとの自己決定こそが持続可能な社会実現への道だと考える。そのような意味で、ESDは不確定な概念なのだ。

 このようなわけで、本号にあるそれぞれの「私の考え」を下敷きにして、ESDについての自分の考えを整理し、深め、自らの「地域ビジョンづくり」に取り組んでいただければ幸いである。

 *

 大量生産・大量消費の時代は終わった。経済成長路線をひた走りに走り壁にぶつかった日本であるが、その反省はいたるところに生まれている。新しい生き方と新しい社会システムの形成が求められているのである。


戻る