『農村文化運動』 193号 2009年7月

日本の「むら」から未来を想像する
――哲学者 内山 節


[目次]

第一章 戦後体制の終焉――それはいかに進行していくのか

一 はじめに――1929年にはじまる世界恐慌と今日の危機
二 アメリカを中心とした戦後体制とその変化
三 ドル体制の危機と市場原理主義
四 戦後の世界的な政治経済体制の危機をどう超えるか

第二章 市場経済と貨幣の価値

一 貨幣の成立と国家
二 非市場的世界と使用価値
三 経済学における貨幣への挑戦
四 非市場的交換と「半商品」
五 冷たいお金、温かいお金

第三章 個人の社会・共同体の社会

一 共同体は機能論では語れない
二 民衆的信仰世界と国家思想の確執
三 日本の近代化と民衆の精神世界の破壊
四 自然と人間が結ばれた世界であった日本のむら
五 共同体とは場所なのか
六 都市社会に共同体はつくれるか

第四章 資本主義・市民社会・国民国家

一 近代社会がつくりだしたものとは何か
二 これからの社会が求めていくもの



はじめに

 金融危機からはじまった世界同時不況は、投機とは関係のない企業や人々までをも巻き込んで進行し、深刻な影響を与えている。

 この不況について、哲学者の内山節氏は、一九二九年の世界恐慌がニューディール政策によってではなく、強い統制をはかることのできる戦時体制の確立と大戦による生産力の破壊によって克服されたことを引き合いに出しつつ、現在の不況の克服もそう簡単ではないだろうとし、かつ、この危機は、産業革命以来の近代の経済のかたちが限界にきていることを示すものだと指摘されている。

 つまり、手を打たなければ自滅、手を打っても破綻のリスクが大きいという進退窮まった経済状況の下で、近代の枠組みそのものの根本的転換が求められているというのだ。そこで内山氏は、人々の生活から自立した巨大な経済システムや、いまや権威と化した貨幣の克服をめざし、「貨幣愛」へのケインズの危惧、地域マネーの元となったゲゼルの「劣化する貨幣」、取引きのなかに文化を見いだした渡植彦太郎の「半商品」の概念などを紹介。

 その上で内山氏は、近代市民社会の「自由」や資本主義経済の「発展」と引き替えに、自然との関係や人間の共同性を失ってしまった現代社会にとって代わるべき新しい社会の像を、かつての日本のむらの共同体から提起。かつてのむらは、人間だけでなく、農業をとおして結びつく自然をも含んだ〈自然と人間の共同体〉であり、欲望を捨てて自然と一体化し自然の世界に還ることを理想とするむら人の〈生死を超えた共同体〉であった。むらの機能だけでなく、このような農村的な精神世界全体を取り戻さねば近代を超えることはできない、と内山氏は指摘する。

 しかし、不況の克服は難しく、社会劣化の可能性は大きい。内山氏は、一方では、政治や経済の具体的な動きを見守りつつ、しかし根本的には近代の枠組みの転換が必要であるとして、これまでと異なる価値観で農村に入る若者が増えていることに期待を寄せ、暮らしの次元からのローカリゼーションを提起している。

(社)農山漁村文化協会


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