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木村 修一



氏名:
木村 修一
ふりがな:
きむら しゅういち
肩書き:
東北大学 名誉教授
出身都道府県:
栃木県
生年(西暦):
1929
現住所:
宮城県
主な経歴:
1956年 東北大学農学部卒業
1961年 東北大学大学院農学研究科修了(農学博士)
1964年 ニューヨーク州立大学医学部リサーチ・アソシエート
1966年 東北大学農学部助教授
1971年 東北大学教授
1988年 東北大学農学部長、東北大学遺伝子実験施設長
1992年 東北大学名誉教授、昭和女子大学大学院教授
上記肩書き以外の「主な役職」:
昭和女子大学名誉教授
(株)加齢・栄養研究所所長
日本微量元素学会理事
日本国際生命科学協会理事長
健康日本21フォーラム理事
社団法人 日本栄養・食糧学会名誉会員
財団法人 みやぎ・環境とくらし・ネットワーク理事

■お話のジャンル・領域

<食文化>

食文化_日本

食文化_世界

食生活

高齢化社会と食

塩分摂取、アルコール摂取

<健康>

健康食

生活習慣病

食と栄養

エイジングと栄養・健康

■メッセージ

◎食のパターンと地域の文化
 世界の国々を歩いてみますと、いろいろと変わったものを食べているのが目につきます。中国の広州の街を歩いていたときなど、ゲンゴロウ(水田でよく見かける)が露店で売られているのには驚きました。しかし海苔だの納豆だの、ときにはイナゴなどと、日本人が食べているものも、外国人から見ると奇妙なものに映るに違いありません。なぜ、国により地域により、食のパターンがこうも違ってくるのでしょうか。それは、食べ物というものは、その地域にある野生の動植物をベースにし、試行錯誤をしながら選択し、それを食べ物にしてきたという経緯があるからです。
 しかも人間には、調理加工をすることによって食物の範囲を拡げてきた、工夫の歴史があります。一例をあげますと、豆はどんな豆でも毒をもっていると言ってもいいほどです。たとえば大豆にはトリプシンインヒビターという消化阻害物質が含まれていて、もし生で大豆を食べると消化不良となり大便にそのまま出てしまいます。これがあるために鳥などによって未消化のまま運ばれて、別の場所に糞とともに種播きしてもらえるというように、植物にとっては繁殖に都合のよい性質なのです。しかし人間は、加熱することでこれを不活性化し、消化できるようにしてしまいました。
 さらに大豆には甲状腺肥大物質が含まれていて、もしもヨード不足の状態でしたら甲状腺腫の原因になりますが、これは、海藻などヨードを含んだ食べ物と食べあわせると完全に防ぐことができます。ちなみに日本人は、世界的に見て大豆をよく食べる国民ですが、海に囲まれていて海藻もよく食べるので、世界中で一番甲状腺腫が少ない国です。このような食べ物の選択と調理の工夫の歴史が、世界のそれぞれの地域でみられるのです。
 しかも人間は、身のまわりの動植物をそのまま利用するだけでなく、生産を手にしました。育種をし農業的な工夫をこらして、計画的に収穫物を得るわけです。こうして、その地域の特性に合ったかたちで食料が生産され、そのうえにしばしば驚くような栄養的合理性の汲みとれる独自の食のパターンを築き上げてきたのです。このような食のパターンは親から子に伝えられ、それが地域の文化をつくり出してきたと言えるでしょう。
◎なぜ、食のパターンが崩れたか
 ところが日本では、このような食のパターンが昭和30年代以降、急速に崩れてしまいました。昭和30年前後に農村の食生活を情熱的に調査していたころ、私は、このような食のパターンはそうかんたんには変わらないものだ、とくに農家ではまず変わらない、という印象をもっていたのでした。農村の方がより封建的であるということも、その背景にあろうと考えていました。ところが、それが、いともかんたんに変ってしまったのです。なぜ日本の食生活は、これほど大きく変わってしまったのでしょうか。
 第一に考えられることは、家族関係の変化です。封建制の象徴の一つの家父長制度のようなものが崩れたことは大きかったと思います。お嫁さんの地位が上がったといったこともあるでしょうが、核家族化がすすんだことが大きく影響したと思います。
 かつての、三世代がそろった家族のなかでの献立づくりは、大変なことでした。それぞれの家族構成員の相矛盾した要求のなかで一つの献立がどう成立するかといえば、それは家族内の力関係で決まる、というのが私たちの仮説でした。つまり、親父(主人)の権力が強いところでは、親父の好きな酒の肴みたいなものが多くなるし、お嫁さんや子どもの主張が強くなってくると新しい献立が入ってくる傾向になるでしょう。そういう視点から家族内の力関係の変化を見ると、お嫁さんが自分の好きな献立を自由に立てることができる方向に変わってきたわけです。
 これと一脈通じた現象が、サルの社会でも観察されています。人間から餌をもらっているサルの群れほどボス支配が弱まり、新しく入ってきたキャラメルを食べるという摂食行為の普及が容易で早くなることが認められているのです。
 第二に、食事をつくる操作に、大きな変化がおきたのではないかと思います。囲炉裏の消滅と台所改善も、それを助長したと思われます。かつて囲炉裏端で調理をしていた時代には、調理するおばあさんやお母さんのとなりにお腹をすかせた子どもたちが座っており、会話も自然に交わされ、目の前でなされる調理の仕方を眺めていて知らず知らずのうちにそれを覚えるという形で、子どもへの伝承が行なわれました。ところが、調理の場が台所に移ることによって母親は子どもの目の届かない高い台所に立ち、しかもテレビが入ってきたため、子どもはテレビにしがみつくというような図式が出てきました。囲炉裏がもっていた機能が分散され、それとともに、その家の調理技術の伝承がむずかしくなってしまったのです。
 しかも、この変化とほぼ時を同じくして、食品加工が発達してインスタント食品などが増え、調理方法の伝承自体がさほど重要な意味をもたなくなってしまったという状況があります。こうしたなかで、強力なコマーシャルも子どもの嗜好に変化を与えたと思います。
 第三に、食事に対する態度というものが変わってきているということです。「食べる」ということは本来、「つくる」ということと非常に密接に関係していたはずなのに、これが大きく離れてしまったことが一つの原因ではないかと思うのです。
 本来、人間がものを食べるということの基盤には、前述のように、食料を生産することと調理することが必要条件としてあったわけです。戦後のひもじい時代はもちろんのこと、米を腹いっぱい食べたいという、米に対する日本人の愛着には大きいものがあり、そこでは、誰の視野のなかにも「つくる」ことが入っていました。「米をこぼしたらばちがあたる」「お百姓さんに申しわけない」というような感覚は、「つくる」ことを理解しているときにはじめて分かる言葉だと思います。
 しかし現在は、高級食志向の一方で、食べたくても食べられなかった時代の粗食とは違った意味での「粗食」志向が広がっているように思います。いつでも、どこででも食べられるので、食べることにあまり執着しないせいか、「口に入るものならインスタントであれ、何でもいいや」という状態が生まれています。これを、飽食の時代に育まれた<食べることへの不熱心さ>とでも言ったらいいのでしょうか。いまや流通は拡大し、世界中から食品が流入しています。どこでつくったか分からないものが、食卓にどんどんあがってくるのが現状です。「私つくる人、僕食べる人」というテレビコマーシャルが、かつてずいぶん問題になりましたが、「つくる」人と「食べる」人が、現代はあまりにも離れてしまっているのではないでしょうか。
◎「つくる」と「食べる」の分離がもたらすもの
 私の友人の一人、上野動物園の園長だった中川志郎さんが、「動物園で一番大変なのは、野生の動物をつれてきたときに、多くの動物が餌を拒否することだ」ということを言っています。アザラシの例だったと思いますが、数十日間、餌を拒否したそうです。その理由について彼は、野生動物にとって摂食行動というのは、本来、<探す−つかまえる−食べる>という一連の行動のはずなのに、動物園では、はじめの二つが省略されて最後の<食べる>だけになってしまうことが拒否の理由であろう、と考察しています。
 動物園の動物は、食べるのにいちいち餌を探したりつかまえたりする苦労がなくていい、と考えるのは怠惰な人間の考えであって、野生時代の彼らは、探す行為のなかで冒険心や探求心を満たし、餌を追いかけつかまえる行為のなかで狩りの緊張感や競争心を充足し、自分が次第に熟達してゆくことへの満足感を味わっていたと思うのです。ところが、動物園に入ることによって、そのような<生活の実質>が奪われてしまうわけです。これを人間の生活でみると、「つくる」部分にあたると思います。「働かなくてもよいですから、ごちそうを食べていてください」と、隠居を強いられるようなものです。
 これは、野生動物の「家畜化」にほかなりません。家畜とは、食べるだけで満足できる生物です。ローレンツという動物行動学者は、家畜の特徴として――、(1)歳をとってもいつまでもかわいらしい (2)依頼心が非常に強い (3)わがままで、自分のほしいものを衝動的にとろうとする (4)無責任である、の4点をあげております。何やら、この頃目立って増えてきたと感ずる人間の性格と似ているような気がしないわけでもありません。現在の食生活の「食べる」と「つくる」の分離が、人間を家畜化に追いやって、このような人を増やしているのではないでしょうか。
◎「食生活と健康」について総合的な観点から
 このような「食のパターン」の研究のほか、この十余年は、エイジング(加齢)と生理的条件、栄養・健康の関連や、運動と栄養等の研究をつづけてきており、「高齢者の食生活」「タンパク質・塩分・糖分の摂取と健康」「アルコール摂取と健康」「女性の健康」等のテーマについて、栄養素だけからではなく、年齢により異なる生理的条件や嗜好の変化、生活条件や社会的条件、幼児期からの食体験等「学習」の要因などなど、総合的な観点から「食生活と健康」を考えていきたいと思っています。

■主な著書・雑誌記事等


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