かつて「鯖街道」の宿場町として栄えた朽木村では、12年前から毎週日曜日に朝市が開かれ、にぎわいを見せています。出店は自分で生産、加工することが条件。村の特産品の鯖のなれずしと栃餅は、出店者がそれぞれ味に工夫をこらし、京阪神一帯から常連のお客さんがどっと出かけてくるほどの人気を呼んでいます。

● 朽木村 DATA●
 朽木村は福井県小浜市から京都にサバを運んだ鯖街道の宿場町として栄えてきた。近年は観光事業に力を入れ、温泉やキャンプ場を兼ね備えた多目的施設「グリーンパーク・想い出の森」をオープン。京阪神からの利用者が年々増加している。

● 人口
2,504人(平成11年3月現在)
● アクセス
・京都市内から国道367号線経由で車で約1時間
・JR湖西線安曇川から江若バスで約30分
● 問い合わせ先
・TEL:0740−38−2398(朽木村観光協会)
http://www.kutsuki.or.jp/
(朽木村観光協会、朽木村商工会)



●若狭から京へサバが運ばれたことからついた「鯖街道」
 朽木村を南北に走る国道367号線は、別名「鯖街道」と呼ばれます。鯖街道とは、13世紀初期にできた若狭街道のこと。若狭の国(現在の福井県)、小浜城下から京の出町柳あたりまでの約80kmの街道で、若狭の海でとれたサバがこの道を通って京へ運ばれたことからこの名がつきました。
 当時、朽木村は鯖街道の宿場町として栄え、たくさんの物や人が行き交うことで、都の文化や技術を吸収しては各地に伝える「歴史と文化の交差点」としての役目も果たしていました。
 そのなかで誕生したのが、いまや村の顔とも言える「鯖のなれずし」です。鯖のなれずしといえば、発酵作用を上手に利用した保存食で、山里の人々にとっては冬場の貴重なタンパク源です。初夏になるとサバは脂肪が少なくなり食味が落ちますが、そのほうが酸化しないので発酵させるには好都合です。ちょうど値段も下がる初夏のサバをうまく利用して、鯖のなれずしという名物を生み出したのは、山里に暮らす人々ならではの知恵と言えるでしょう。


●山間の知恵「栃餅」の伝統の味が復活
 何百年にもわたってつくり続けられてきたなれずしは、まぎれもなく朽木村の伝統の味です。これに対して一時途絶えながら、17年前、一村一品運動がきっかけで製法が再現されたもう一つの伝統の味が「栃餅」です。
 村内でも栃の木が数多く自生している雲洞谷地区では、昔から山でとれる貴重な食材として各家庭で利用されていました。しかし、栃の実はモチ米の代用品、増量材として使われるだけで、栃餅も白いお餅の代わりでしかなく、あまりおいしいものではなかったといいます。そのため、米が増産されるようになってからは、栃餅はつくらなくなってしまいました。
  そんな栃餅が再び日の目を見て、なれずしと並んで村の顔にまでなったのは、雲洞谷地区の栃餅保存会の試行錯誤があったからです。製法が一時途絶えただけに、その技を掘り起こすことも必要でしたが、それとともに食味をレベルアップして特産品としての評価を得ることも大きな課題でした。
  栃餅保存会の努力が実り、栃餅は全国各地で開かれる物産展やイベントに村の特産物として出され、村のPRに一役買っています。その実績から、村の助成を受けて建てられた加工所「栃もちうまいもの館」の運営は保存会に任されています。


●むらの歴史・伝統から生まれた味が朝市に人を呼ぶ
 朽木村では、12年前から毎週日曜日に朝市が開かれるようになりました。2年前からは独自に朝市組合をつくり、現在45人の組合員によって支えられています。朝市には、京阪神一帯からどっと人が集まり、ふだんは静かな山里が活気に満ちあふれます。
 朝市に出店する条件は、扱っている商品を自分で生産、加工していること。そのため、朝市に並んでいる品々にはつくり手の個性が光っています。特になれずしの場合、漬け込むときの塩加減や加える薬味によって各家庭秘伝の味があるため、それぞれに固定ファンがついているそうです。
 朝市がピーク迎えるのは9時ごろで、午前中にはほとんどの商品が売り切れてしまいます。栃餅保存会の店先には人だかりができ、常連さんとの間で楽しい会話が弾みます。
 何百年もつくり続けられてきたなれずしと、製法が再現された栃餅。そのたどった過程は異なっても、どちらも村の歴史と伝統を象徴する味として、多くの人々を結ぶ架け橋となっています。