● 春の娯楽として伝承されてきた福浦歌舞伎

 ―福浦芸能保存会前会長・田中正七さん

 福浦歌舞伎が始まった当時(明治23年)、福浦は14戸の小漁村でしたが、全戸を挙げて歌舞伎に参加し、伝承につとめました。歌舞伎は台本があるわけではなく、すべて口で伝えなければなりませんでした。意味のわからない言葉や方言に置き換えられているところもあります。それを代々、口で伝えていくのですから、伝承のための練習は真剣で厳しいものでした。しかし、厳しい冬を耐えて首を長くして春を待つように、佐井村の人にとって歌舞伎は大きな喜びをもたらしてくれるものだったようです。
 福浦芸能保存会前会長の田中正七さんは、「福浦の歌舞伎 百周年記念誌」(昭和63年)で、当時を次のように振り返っています。
「物ごころついた頃からお祭りが近づくと芝居のことが頭をはなれず、あの寄せ太鼓の音を聞くと、身の毛がよだつようになり、じっとしていられなくなるのでした。旧暦三月十日のお祭りに歌舞伎が上演されるので、春を待つ心はいつしか芝居を待っており、芝居と共に春はやってくるのでした。……われわれの時代には小学校を卒業すると同時に、青年会員として郷土芸能を習うのですが、春先きの冷々とした夜、火の気のないお宮の板の間で先輩にしごかれながら練習を続けるのでしたが、みなが少しの時間も惜しんで真剣に打ち込んでいたものです」