高柳町門出地区にある「門出かやぶきの里」は、伝統的な茅葺き屋を活かした宿泊施設で、農村の生活が体験できる交流の場として好評です。古くから伝わる民話をもとに新しく行われるようになった「狐の夜祭り」とともに、今では地域おこし対策の中核になっています。

● 高柳町 DATA●
 高柳町は、新潟県の中央よりやや南西寄りで、十日町市と柏崎市の中間に位置する純農山村。西北に黒姫山山系がそびえ、町の中央を鯖石川が流れる。冬期は積雪量が2mを超える有数の豪雪地帯でもある。

● 人口
2,504人(平成12年10月末現在)
● アクセス
・JR上越新幹線越後湯沢駅からほくほく線の十日町駅まで約25分。十日町駅からじょんのび村までタクシーで約45分。
● 問い合わせ先
・TEL:0257−41−2233
(高柳町役場地域振興課)
http://www.town.takayanagi.niigata.jp/ 
(高柳町)



●高柳らしさを残すために
 高柳町では、昭和40年代後半から過疎化が進み始めました。同じころ、改築や新築をきっかけに、茅葺き屋根はその姿を次々と消してトタン屋根が増え、何世代にも渡って住み継がれてきた家は減る一方でした。このままでは「高柳らしさが失われ町がなくなるのではないか」という危機感から、20〜30歳代の若者たちが町おこしに立ちあがりました。
 若者たち(水曜会)はメンバーの家に集まり、意見をぶつけ合いました。そして都市へ出かける交流と、都市の人たちを町に呼ぶための拠点づくりをという声があがったのです。
 昭和59年には埼玉県狭山市の朝市に出店し大成功を収めます。翌60年には東京池袋の西武百貨店「日本の村101村店」に参加し、売り上げは101村のうち第2位の好成績を収めました。


●都市との交流に住み継がれた茅葺き屋を活かす
 次は農村文化を都市の人に知ってもらうための拠点づくりです。「受け売りや借り物ではなく、高柳らしさを伝えるために消えていく茅葺きの家を活かそう」と、町の人たちの協力を得て茅葺き屋の修復が始まりました。
「水曜会」の仲間が資金を出し合って借り受けた茅葺き家は、廃屋寸前。畳は外され、床が抜け、茅屋根は傷み、とても使える状況ではありませんでしたが、修復はすべて仲間たちの手で行ない、昭和60年8月に完了しました。これが茅葺き屋を生かした交流拠点「おやけ」(本家の意)です。
「おやけ」は最初は民宿ではなく、「自然体験の里」としてオープンし、素朴な農村の生活が体験できる交流の場として、町内外の人々に利用されてきました。その後、高柳町「住んでよし 訪れてよしのまちづくり」ヴィジョンの周辺施設整備の一環として、町が増築改修して宿泊施設に衣替えしました。現在は、やはり民家を移築再生した「いいもち」(分家の意)とともに、門出地区の「ふるさと村組合」が管理しており、水曜会が目的とした「交流」の場としての精神が受け継がれています。


●町に伝わる民話をもとに新しい夜祭りを始める
 「水曜会」など自主的なグループの活動が目立ってきた昭和63年、高柳町は町の活性化を検討する「ふるさと開発協議会」を設置しました。40名の町民と9名の助言者が協力して、生まれたのが「住んでよし、訪れてよしのまちづくり」ヴィジョンです。
 さらに、このヴィジョンに基づいて「じょんのび村構想」が持ち上がり、平成4年には、温泉やふるさとレストラン、手づくり工房などを備えた宿泊施設「じょんのび村」が開業しました。この他、荻の島地区の「荻の島かやぶきの里」や門出地区の「門出かやぶきの里」などがサテライト施設です。
「じょんのび村」とともに、村の顔になっているのが、「ふるさと開発協議会」がきっかけで生まれた「狐の夜祭り」です。いたずら狐を退治した藤五郎の家が、狐のたたりで絶えてしまう、という栃ヶ原に伝わる民話「藤五郎狐」にちなんで始まったこのお祭では、白装束に身を包み、狐の面をつけた行列が、提灯をともして夕暮れの山道を練り歩きます。平成元年から毎年十月に開催されるようになった新しい祭りですが、今ではすっかり高柳町の名物になっています。
 こうして高柳町の地域おこしは、伝統的な茅葺き屋や民話を生かし、自然体で進められています。