●歴史と伝統文化を現代に受け継ぐ町づくり
 室町時代から続く飛騨の匠の技とプライドを受け継ぐ古川の大工たちは、現在、総勢160人あまり。彼らが作る木造建築は、深い軒に小庇(こひさし)を持つ独特の造りです。特に小庇の下の肘木(ひじき)に彫られた木の葉模様や唐草模様は「雲」と呼ばれて、古川だけに見られるものです。
 大工のほかに、指物、建具、一位一刀彫りといったさまざまな木工の技術者を含めると、町民の50人に1人が伝統の技に関連した職に就いているといわれています。まさに、伝統文化を現代に受け継ぐ町づくりが行われていると言っていいでしょう。
 さらに、江戸時代に栄えた町人文化を象徴する数々の祭りも今に引き継がれて、毎年盛大に行われ、多くの観光客をひき付けています。特に4月に行われる古川祭りは、ダイナミックな「起こし太鼓」で有名です。これらの伝統文化を紹介し、起こし太鼓試し打ち、千鳥組木パズルなど色々な体験もできるのが、「飛騨の匠文化館」「まつり会館」「飛騨の山樵館」などの数々の施設です。町では観光施設の充実に力を入れ、観光客に好評を博しています。

●地域見直しワークショップの中から生まれた「朝霧」
 ただ、古川町は飛騨高山観光の一部として、通過型観光が多いのが悩みの種でした。そこで、今回のモニターツアー実施をきっかけに、数日間滞在して、豊かな自然と歴史・伝統文化に富んだ町をじっくりと楽しんでもらうにはどうしたらいいかと、町が中心になってワークショップを立ち上げたのでした。その結果、豊かな歴史ロマンに、自然・風土とそれを活かす人々の生産や暮らしがつながった地域づくりをめざすことになったのです。
 その過程で、谷筋に立つ「朝霧」のすばらしさに気づき、朝霧を資源として活用することになりました。
 「ここらでは、今日も霧ごんどるで、ええ天気になるな(今日も霧がかかっているので、いい天気になる)と挨拶するんです。みんな、朝霧が立った日は晴れることを知っています。が、なぜなのか、気にもしないで生活しているんです」(地元で朝霧研究家として知られる下畑五夫さん)。というように、朝霧は、地元の人たちにとっては生活の一部ではあっても、そのメカニズムはもちろん、山頂から見たその美しさを知っている人はほとんどいなかったというのです。  
 朝早く山頂から見ると、眼下にまさしく霧の海が広がり、やわらかく盆地をすっぽりと覆っています。やがて、霧の中から、道が、建物が、吉川の街並みがゆっくりと現れると人々の一日が始まるのです。

●夢ふるさと案内人
 古川を訪れた人に、町のすばらしさを知ってもらうためにボランティアで組織された「夢ふるさと案内人」は現在16人。予約が必要ですが、人数に限らず町を案内してもらえ、町への理解がさらに深まり、旅が思い出深いものになると大変評判です。
 案内人は、ゆったりとした飛騨弁で人気の足腰達者なおばあちゃん、左官と鏝絵(こてえ)の技を見込まれて屋台蔵の一つ「鳳凰台」を修理した職人、町の歴史をコツコツと研究し続ける自営業者などなど、町をこよなく愛する人たちばかりです。
 また、モニターツアーを準備・実行する中で、地域の多くの人材が発掘され、活かされ、ネットワークができていきました。たとえば、3年前に横浜から畔畑(うねはた)に移り住んだ女性は体験プログラムでクリスマスリースづくりを指導し、キノコ採りの名人にして籠作りの達人は野歩きの案内をして協力しました。味の良い有機野菜を作る一徹な農業者は芋煮会に3種類の芋や飛騨ネギを提供しています。
 こうして、多くの宝、豊かな人材が発掘され、歴史ロマンの里・古川は飛騨の匠ゆかりの町というこれまでの宝をさらに発展させ、訪れる人たちとの交流を深めていこうとしています。