● 飛騨の匠


 飛騨盆地は槍ヶ岳、南岳、穂高連峰、乗鞍岳、御嶽山など3000メートル級の山々と日本三名山の一つ、白山に囲まれた文字通りの木の国です。すでに遠い昔、深い谷に暮らす人々は卓越した木工の技を身につけていました。そのため、奈良・平安時代、律令の制度下になると、納税義務である租庸調のうちの庸と調を免除されるかわりに、一里(50戸)につき1人の割合で年100人ほどが木工作業員(匠丁=工人)として都に徴用され、奈良・平安の都や寺院仏閣の造営などにたずさわったとされています。こうした飛騨の匠人の卓越した技術は、都の文化や帰化人との交流などで、さらに磨かれていったのです。
 ところが、都に徴用された匠人たちの仕事は過酷で、逃亡する者も多く、そのため、労働条件の改善が発令される一方で、逃亡禁令や捜索逮捕の指令が幾度となく出されました。逃亡した匠人たちをかくまったのは、当時台頭しつつあった荘園領主などの豪族たちだといわれています。富を蓄えた豪族たちには、幾多の建築のために飛騨の匠人たちの技が必要だったからです。
 逃亡以外にも、技を見込んでの引き抜きもあったことでしょう。このようにして、あちこちに散らばった匠人たちは、その技ゆえに用いられ尊ばれ、各地に足跡を残しています。日光東照宮の陽明門の「眠り猫」で有名な左甚五郎も飛騨の匠の一人とされていますが、確かなことはわかりません。