● 縄文の遺跡や頼朝にまつわる伝説に事欠かない村


 三芳村では、縄文時代の貝塚や横穴など、古代人の暮しをしのばせる多くの遺跡が確認されています。その一つ、谷向貝塚は昔から「貝塚畑」と呼ばれ、縄文時代早期の打製石斧や石鏃などの石器や土器が多数出土しています。標高70メートルの高所にあることから、房総半島が大隆起した証としても貴重な遺跡となっています。また、村内各所に散在する横穴群のなかでも池之内大作の西端山腹にある一群は大小70余りの横穴からなり、家型横穴の壁面に人や梯子帆船などの線刻画を施したものもあり貴重なものです。
 また、三芳村には源頼朝にまつわる伝説が多く残されています。石橋山の戦いに敗れた源頼朝が安房に逃れてきたのは1180(治承4)年のこと。三芳村池之内にあった平松城主安西景益は、頼朝が鎌倉に本拠地を定め、再起の兵を挙げるための参向を促したといわれています。頼朝が隠れたといわれる池之内の姫ヶ井(隠井戸)や千代の五十騎橋、下滝田の百不足(取)などの地名が当時の将軍頼朝の苦難を彷彿させてくれます。