● 平家伝説


 平家伝説は全国各地に言い伝えがあり、物部村にも縁が深いようで、壇ノ浦の戦いのあと、平清盛の次男越後守国盛が安徳天皇を連れて落ち延び、阿波を経て久保の韮山(今の久万山)に住み、その後五在所山へ移ってきたと言われています。
 安徳天皇を祭る御陵も、阿佐の栗枝・五在所山・宮の奈路・高板山ニノ森の頂上と様々な説があり、謎に満ちあふれています。
 安徳天皇が亡くなった後、国盛の子孫は韮生の久保に入って久保姓を名乗り、韮生の豪族として代々栄えました。しかし、源兵衛盛利の代にカラ川(唐金)流しのたたりで、天明8年7月26日の夜、ふいに山崩れがあり、主従28人の他、屋敷・田畑・所蔵の宝物などことごとく埋まり、一家は断絶しました。時の藩主は家名が絶えるのをあわれみ、盛利のいとこに家名を相続させたといわれています。