●遣唐使船の寄港を物語る碇石発見
 小値賀町は五島列島北部に位置する大小17の島々からなる町です。古来遣唐使船に代表される中国大陸との往来に欠くことのできない中継地点であり、近世には捕鯨基地でもありました。
 多くの遣唐使船が小値賀に寄港したことを雄弁に物語るのが、小値賀島前方湾で発見された碇石です。長い航海に耐える船には停泊のための碇が必要ですが、現在のように金属製の錨が登場するのは14世紀以降のことで、それまでは木製のかぎ型と重し石を一体にしたものが使われていました。木製のかぎ型は海中で腐食してしまうので現存しませんが、碇石は日本近海で約40本発見され、そのうち6本が小値賀島前方湾で発見されています。

●長い眠りから覚めない遺跡が数多く残る
 昭和57年、道路工事の際に発見された黒島神ノ崎遺跡からは、衝撃的な出土品が見つかりました。古墳時代の石棺墳墓が約30もあり、うち一つの石棺にはヒスイ製丁字頭勾玉や硬玉製・軟玉製の管玉約40個も副葬されていました。なかでも同時に副葬されていた弥生時代中期の鉄斧2点は韓国南部産のもので、少なくとも2100年前のものであり、同種のものとしてはわが国最古のものであることがわかりました。しかし、発掘されたのはこれでもまだ一部。残りの墳墓は発掘作業を待ったまま長い眠りから覚めてはいません。

●進む島の無人化
 小値賀には発掘・調査を待つ遺跡や史跡が数多くありますが、これを保存していくのはとても難しい仕事です。現在、小値賀町が対策を進めているのが野崎島。小値賀諸島のなかでも特異な景観を持つこの島には原生林が残されており、野生のキュウシュウ鹿が約450頭棲息しています。また、沖神島神社という五島列島最古の信仰の対象があり、徳川幕藩時代に迫害を受けて隠れ住んだ隠れキリシタンの島でもあります。島の中央部には県指定の重要文化財でもある野首天主堂の荘厳な姿があり、神島神社の背後には今もって謎に満ちた巨石王位石が残っています。
 しかし、この自然と人間の歴史が原形で残された貴重な島も年々島民が流出し、今では沖神島神社の神官岩坪さんの家族が最後の住人となってしまいました。その岩坪さん家族もみな高齢になり、島を離れる日が近づきつつあります。

●島の歴史資源を再確認し、島づくりに取り組む
 小値賀町は野崎島の無人化に備えて、数年前から対策を立ててきました。廃校になった小学校を改装して野崎島ワイルドパーク自然学塾村を立ち上げたところ、夏期を中心に訪れる人は徐々に増えてきています。学塾村の構想には小値賀町人材育成塾や長崎ウエスレヤン短期大学にも協力を仰いで19世紀に無人島となったスコットランドのラム島の事例も参考にしました。
 町では今後、宿泊施設も兼ねた学塾村管理とワイルドパークをコーディネートできる人材に常駐してもらうべく公募も視野に入れて検討を進めています。

●町の活性化に大きな役割を果たす「小値賀会」
 小値賀町の人口は4000人弱ですが、島を離れても本籍だけは小値賀に残す人が8000人にものぼります。そうした島出身者が出先で福岡小値賀会、長崎県北小値賀会、関西小値賀会、関東小値賀会を組織しています。そこには、島出身者同士が親睦を交わすだけではなく、島の産物と出先の産物を交換する統計にあらわれない生活経済があります。島の宅配便業者の話では、このような交換経済は1年を通じて絶えることがないとのことです。
 季節や行事に伴い、小値賀の産物が各地へ届けられていく代わりに、島外からはお彼岸用のイヨカン、ブドウ、クリやナシ、お歳暮のミカン、リンゴが届き、おすそ分けという形態での物々交換経済が成り立っているのです。
 小値賀町観光協会でも、こうした小値賀の特産品をギフトセットにして売り出しています。ネーミングは「神様の贈り物」、特産品「鰹の生ぶし」のラベルには「海神様ご用達物 献上節」とあります。観光協会事務局長の尼崎豊さんは新たな販路を求めて東京浅草まで出かけ「海神様ご用達物、鰹の生ぶし」を販売してきました。フランス人観光客も気に入って、土産に買っていったといいます。

●島おこしのリーダー育成のため町が主宰する人材育成塾
 小値賀町は、島おこしのリーダーを育成するため若者を中心に人材育成塾をつくりました。今、この人材育成塾のメンバーがユニークな活動を続けています。最近では、島外の大学生たちと合同のフィールドワークを行なって集落調査や島外の小値賀出身者へのアンケート調査を実施したり、自分たちの住む小値賀とはどんなところかということを考えるために、塾生たちが17の島すべてにキャッチコピーをつけてみるなど、小値賀町の良さを再発見するための活動に取り組んでいます。
 小値賀町では平成12年11月19日に「小値賀の歴史ロマン」と題したセミナーを開きました。「小値賀の歴史を知ることから始まるまちづくり、小値賀の未来をともに考えてみよう!」と人材育成塾メンバーや大学研究者・学生が島の歴史資源を改めて確認して島づくりについて語り合いました。小値賀の遺跡・史跡を新たな観光資源にできないか、実際に「歴史ロマンの散歩道」ルートを作ろうというのです。
 小値賀ではひところ少なくなった結婚式が増えてきました。こころの本籍を島においた島出身者が、歴史と文化が息づく島の暮らしにかけがえのない価値を再発見しているのです。