● 碇石は中国大陸との古くからの交流の証

   
―小値賀町歴史民俗資料館学芸員・塚原博さん

 成形された最長3mにも及ぶ碇石は航海の必需品で、船乗りにとって命に等しいものです。それが海底に沈むということは船の沈没を意味するとして、蒙古襲来時のものとする見解を示している識者も少なくありません。
 しかし、小値賀町歴史民俗資料館学芸員塚原博さんは異なる見解を示しています。
 まず小値賀には元寇襲来の痕跡も伝承もないこと、次に小値賀で発見された中世の大陸からの商船が運んだ貿易陶磁器は11世紀後半から16世紀に及ぶ長期にわたるものであることです。博多湾に沈んだ碇石が元寇襲来時のものであるという可能性を否定するわけにはいきませんが、少なくとも小値賀島前方湾に沈んだ6本の碇石が語ることは、平安時代前期から中世期末まで小値賀島がわが国の門戸として大陸文化と深い関わりを持ってきたことの証として捉えるべきであろうというのです。発見された6本のうち1本は引きあげられることなく、今なお前方湾を臨む神島神社沖約200mの海底に眠っています。