そこに住む人にも知られていない地域固有の歴史を見直したり、過疎化に伴って継承が危ぶまれていた伝統文化を再評価して活用する、魅力あふれる地域おこしが各地で試みられています。それは、いずれも地域住民の自発的・意識的な活動によって支えられ、しっかりと地域に根づいています。
 こうした地道な試みは、かつての地域おこしに対する反省に立ってのものとも言えるでしょう。以前は観光・レジャー施設を建設して都市部からの観光客を期待する方法が盛んでしたが、その多くは一過性の「人集め」に終わってしまいがちでした。都市文化のミニチュアでは、一時的なもの珍しさはあっても、永続的に人の心をひきつけて放さない唯一無二の魅力をかもし出すことはできなかったのです。
 その点、このむら、このまちならではの歴史を掘り起こし、伝統文化を活用するという方法は、それだけでむらおこし・まちづくりに独自性・創造性を持たせ、地域住民や訪れる人の想像力をかき立てるだけの魅力にあふれています。そして何よりも、地域住民自身が楽しめる活動でもあるのです。
 それぞれの取り組みを見てみると、発端となる歴史や伝統こそ各地域で異なりますが、その着眼点や手法には共通する特徴を見つけることができます。
 どこのむらやまちにも、必ず固有の歴史があります。その名残を町名や街道名からうかがうことができたり、特徴ある建造物や芸術作品として今に伝えられている例も少なくありません。が、その地域に住む人々の目にはもはや新鮮味が感じられなくなったり、由来どころか存在さえも忘れられていることがあるのも事実です。こうした埋もれた歴史を掘り起こし、固有の文化資源として地域おこしに活用している例が各地に見られます。
 例えば、千葉県安房郡三芳村では、名作の舞台であることを活用して都市と農村の交流を進めようとしています。三芳村は、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の舞台として知られていますが、これまで住民の多くはそのことに関心を持つどころか、それを知らない人も少なくありませんでした。もちろん、「八犬伝」は馬琴の一大創作であって実話ではありませんが、そのもとになる戦国から室町にかけての里見氏支配の歴史や、それをはるかにさかのぼる縄文時代の遺跡が数多くのこされるなど、三芳村は歴史の宝庫とも言えます。そのことを、学習活動を通して住民が見直し、子どもたちや村を訪れる人に伝えていこうとしています。
 長崎県北松浦郡小値賀町では、遣唐使船など大陸との交流の中継地として栄えたことを証明する史跡が至るところに見られます。しかし、過疎化や高齢化が進むにつれて、それを守り次の世代に伝えていくことが次第に難しくなっています。そこで町では、若者を中心に島おこしのリーダーを養成する「人材育成塾」をつくったり、近くの大学などの協力を得て歴史セミナーを開くなど、歴史文化を守るための取り組みを展開しています。
 芸能や民話など、伝統文化を活用する試みも盛んに行なわれています。
 青森県下北郡佐井村福浦地区には、全国でも珍しい漁村歌舞伎が伝えられています。明治時代、地回りの役者が、冬の楽しみのない漁師たちに教えたのが始まりとされ、高度経済成長期に出稼ぎや集団就職によって演じ手がいなくなり存続の危機を経験しましたが、今では子ども歌舞伎も盛んになって、地域や世代を越えた交流に発展しています。
 新潟県刈羽郡高柳町では、町に古くから伝わる「藤五郎狐」という民話をもとに、新しく「狐の夜祭り」という祭りが考え出されました。祭りの行列に加わりたいという人は毎年増えつづけ、祭りの動員数は町内外合わせて3000人ほども。新しい祭りであるにもかかわらず、いまや町の名物になっています。
 さらに、高知県香美郡物部村には、神社仏閣を持たず教義にも縛られない民間信仰形態「いざなぎ流」が今も残されています。その祭儀は特定の日時や場所がなく、求めに応じて太夫が各家庭に出向いて行なったため、村外者の目に触れることはほとんどありませんでした。村人の暮らしに根づいて生きつづけてきただけに、過疎化が進んだ現在では伝承が難しくなっています。そこで今、保存会によって次代を担う子どもたちに伝える努力が続けられています。
 伝統文化の継承は、かつては親から子へと世襲されるのが一般的でしたが、少子化や若者の都市への流出が進んだ今となっては、世襲に頼っているわけにはいきません。地域外の人にもその魅力を味わってもらい、後世に伝えていく努力が求められています。
 固有の歴史資源や特徴ある伝統文化があっても、それを地域おこしに活かすには、活動を積極的に推し進めるリーダーが必要です。
 三重県多気郡勢和村には、江戸時代につくられた立梅用水という農業用水があります。そのお陰で稲作が盛んに行なわれるようになり、村人の生活も豊かになったのですが、今では用水路がコンクリートになったため、景観は画一的になり、メダカやタガメなどの姿が田んぼから消えてしまいました。あじさいを植えて景観に変化を持たせ、メダカなどを呼び戻す活動が現在盛んに行われていますが、その中心になっているのは、土地改良区事務局長でボランティアグループ「ほてい葵」代表の高橋幸照さんです。
 北海道虻田郡ニセコ町で行なわれている「ニセコ歴史・ロマンの道」づくりでも、非営利の任意団体「しりべつリバーネット」事務局長の工藤達人さんのリードが光ります。工藤さんは20年ほど前にニセコに移り住み、ペンションを経営していた経験から、新住民と旧住民の共生を図るため、史跡巡りの散策ルートづくりを呼びかけています。
 高橋さんや工藤さんなど、地域おこしのリーダーは活動の提案はしても、決して一人よがりの活動はしていません。地域住民に呼びかけて多くの人を巻き込み、活動の輪を広げていっています。強力なリーダーシップとともに、多くの人の協力や地域を越えたネットワークの広がりも不可欠の要素だといえるでしょう。
 地域おこしは、最初から特産物を核に展開されることもありますが、副産物として地域の特産をつくり出すこともあります。
 福井県南条郡今庄町は江戸時代、宿場町として栄えたところ。当時旅人をもてなした「そば」が、いまや体験交流・地場産業の柱としてなくてはならない存在になっています。最初は「そば打ち」伝承を目的につくられた「そば道場」が、いつの間にか「そば打ち体験」という観光の目玉になり、今では「そば雑炊」「そば豆腐」「そばクッキー」など、さまざまな加工品として製品化されています。
 一方、熊本県上益城郡清和村は伝統の清和文楽が人気の村です。文楽の公演が行なわれる文楽館の隣にある物産館では、文楽に登場する主役の名前をとったお芝居弁当が飛ぶように売れています。「お鶴弁当」「お弓弁当」「お里弁当」「初菊弁当」「時姫弁当」―いずれも村でとれた山菜などを活かしたお弁当です。
 そもそも地域おこしがこうして経済活動につながることは、どこの村や町でも期待していることであり、都市住民との交流を活性化させます。それはさらに次の活動の原動力ともなるだけに、具体的な経済活動へ結びつけるアイディアや試みは貴重です。
 次につながるという意味では、教育現場への広がりも大切です。将来、地域の歴史や伝統文化を継承し、次代に伝えていくのは、子どもたちにほかならないからです。
 栃木県芳賀郡益子町山本地区では、むらづくりのイベントには必ず小学生を駆り出し、松本のお囃しなど伝統文化を継承する喜びと大切さを子どもたちに伝えようと努めています。
 島根県那賀郡金城町は石見神楽の伝承にまちをあげて取り組んでいますが、5年ほど前からは埼玉県の和光国際高校の生徒が農業・農村体験のためにやってきて、農家に2泊3日のホームステイをしています。その間に農作業を手伝いながら農村の生活を体験するだけでなく、神楽も見学します。ホームステイ先の家族との思い出とともに、神楽は金城町の印象を強くするに違いありません。
 このように、地域おこしを進めるためのポイントはいくつかありますが、「この方法なら絶対」というバイブルのようなものはありません。今は順風満帆に進んでいるように見える地域でも、さまざまに試行錯誤を繰り返してきたのです。まずは、忘れられつつあるわがむらの歴史や、時代の波に飲み込まれそうな伝統文化を掘り起こし、その価値を再認識することが第一歩です。いちばん身近な自分の足元をじっくり見直し、仲間たちと活動の輪を広げていく。そこから、新しいむらづくりが始まり、都市住民との交流も生まれていくのです。