岐阜県古川町
「飛騨の匠ー千年の伝統を生かした地域づくり」

報告 高木真二氏
(古川町交流センター ホテル季古里)

 飛騨の奥座敷と呼ばれる古川町は、高山市から北へ15キロ、周囲を山々に囲まれた盆地にあります。16世紀から城下町として栄えた古川には、出格子の商家や白壁土蔵の造り酒屋など古い街並みが今でも残っています。これらの建物は「飛騨の匠」の流れを汲む大工達によって建てられたものです。現在も、160人いる大工をはじめ建具職人その他も含めると、町の人口の50人に1人が「飛騨の匠」に関わる人達ということになります。
 古川町は縄文時代以来の古い歴史を持ち、特に京都の雅の文化と江戸の粋が調和した歴史的・文化的遺産に恵まれ、ダイナミックな「起こし太鼓」が象徴する古川祭りなどが人々をひき付けています。
 しかし、今までは通過型観光が多く、新しい観光のあり方をワークショップ等を開いて研究しているところです。その結果、豊かな歴史ロマンに、自然・風土とそれを活かす人々の生産や暮らしがつながった地域づくりをめざすことになったのです。その過程で、谷筋に立つ「朝霧」のすばらしさに気づき、朝霧を資源として活用することになりました。
 平成12年11月の、都市と農村の交流を図る「古川モニターツアー」では、こうした町全体の宝を舞台として2泊3日のコースを組んで、もてなしました。ツアーは、「飛騨古川夢ふるさと案内人」ボランティアをはじめとする多彩な人々の協力によって実現し、町の豊かな人材とそのつながりの大切さを実感する機会でもありました。


高知県物部村(ものべそん)「杣里(そまざと)の不思議・古神事いざなぎ流が人を呼ぶ」

報告 小松英介氏(物部村企画室 参事)

 土佐最奥にある物部村は、古くから林業の盛んな土地でしたが、近年はユズが特産品として高い評価を得ています。最盛期の昭和30年には1万2000人を数えた人口も、今では3,300人へと減少し、過疎化に悩んでいますが、山村生活の見直しや伝統の継承といった新しい動きが出てきて、村に活力が生まれてきています。
 物部村には、平安時代から「いざなぎ流」(祭祀・祈祷・占いの総称)の神事が伝えられています。祭文・御幣・綾笠・仮面などのどれも独特で、陰陽道・修験道・仏教・神道などが混淆したものとされていますが、その根本は、森や水などの自然と神仏に感謝し畏れ敬う祈りの儀式です。呪法の一つ大工法は、飛騨の匠を本尊として伝えています。口伝によって村内で伝えられてきたこの精神文化が今注目され、また地域では次世代への継承に努力しているところです。
 この豊かな精神文化を育んだ森や川の自然を、川の上流と下流が共同で保全縦承していく取組みが「のいち・ものべ村交流会議」です。風間深志氏・宇崎竜童氏ら提唱の「地球元気村」も開催され、いざなぎ流についても熱心な意見交換が行われました。また、地域の農家が田畑・野山の産物や、弁当など家庭の味を持ちよる「ふるさと市」が大変好評です。平成12年10月の2泊3日の「物部モニターツアー」は、物部独自の歴史的な精神文化と地域に根ざす生活文化を体験、物部のこころに触れてもらう旅として企画し、大好評でした。