特集:送粉生態学の最前線―花と昆虫の関係をさぐる
●巻頭言:『還元主義を超えて』を超えて(長野敬)……129
「ゲノム塩基配列解読や機能ゲノム学から湧き出るデータについて,その重点は生物学において,還元主義から理論的・実験的解析を基盤とする系へと移行しつつある.」なにやらぎくしゃくした日本語で,内容も,半可通の評論家が研究の現状を論じているように受け取られるかもしれない.しかし文章の出来栄えはともかく,これはNatureの日本印刷版が冒頭の数ページに日本語に訳して載せている内容要約の一節である.
●序文:送粉生態学の最前線(湯本貴和)……130
送粉の生物学,花とその花粉を媒介する動物との関係についての学問が日本に紹介されたのは,ずいぶんと古い.東京帝国大学農科大学教授を務めた石川千代松の『動物の共棲』(1903)では,日本で最初に共生(共棲)という術語が解説されているが,いまでも中学校や高等学校の教科書に載っているような,ヤドカリとイソギンチャク,アリとアリマキ,カツオノエボシとエボシダイなどの例が図入りで紹介されている.このなかには,花とハナバチとの関係も入っている.花と送粉者(ポリネーター)との関係は,共生の古典的な例といってよいだろう.
●大橋一晴:ポリネーターとの利害の対立がもたらす花の形質進化
―虫をあやつる植物の戦略―……132
植物とポリネーターのあいだにみられる協同関係は,両者が互いの繁栄のために進化した結果ではない.植物は低コストでポリネーターに多くの花粉をはこんでもらうため,ポリネーターは低コストで花から多くの餌を手に入れるため,両者は互いを出しぬこうとする拮抗的な進化を今もくり広げている.よって両者の対立がもたらす花の形質進化を正しく理解するには,ポリネーターの感覚・学習能力や採餌行動についても,われわれは多くのことを知る必要がある.近年,こうしたアプローチを取り入れた送粉生態学の成果として,動けない植物はポリネーターにたいして完全に受け身ではなく,ポリネーターにとっての行動の最適値を植物にとってのぞましい値に近づける,という巧妙なやり方で主導権をうばう可能性があることがわかってきた.本稿では,株内訪花数をめぐる花と昆虫のかけ引きがもたらす花の形質進化を例に,このような送粉生態学の最近の潮流とその成果を紹介する.
キーワード:ポリネーター,株内訪花数,隣花受粉,花のかたち,採餌理論,学習
●牧野崇司:送粉者の個体から眺める送粉系〜花数と訪問数の関係を例に〜……142
送粉系の研究の多くはこれまで,送粉者の個体をとくに識別することなく進んできたが,個体に目を向けるといままで気づかなかったことが見えてくる.野外調査の結果,同じ株には複数の個体が訪れ,その株をくり返し訪れる個体から,たまにしか訪れない個体までいることがわかり,さらには両者で花粉を運ぶ距離が異なる可能性も示唆された.また室内実験では,個体が株を選ぶ基準が,見た目の大きさから報酬の多さに変化することもわかった.こうした結果は,花粉の分散や花形質の進化に与える影響が,送粉者の個体によって異なることを示している.
キーワード:個体性,行動の変化,位置の学習,ディスプレイサイズ,蜜分泌
●井田崇:植物から訪花者への視覚的メッセージ:花色変化の進化生態学的意義……151
花色変化は開花期間中に時間とともに花色が変化する現象である.花色は植物が提供する報酬量を示しており,訪問者はこの視覚的な合図を受け行動を変化させる.花色変化戦略の進化生態学的意義を探るため,変色花維持による訪問者の行動の変化と花粉輸送に与える効果を調べた.変色花維持は,訪問者を植物から早く去らせることで,隣花受粉を低減させ植物の繁殖成功を高めているが,その効果は植物のディスプレイサイズや訪問者の頻度により変動することが明らかになった.
キーワード:ウコンウツギ,花色変化,花粉輸送様式,ポリネーター,隣花受粉
●丑丸敦史:花はどこを向いて咲くのか?―花方位の生態学的研究―……159
花はどこを向いて咲くのか?花向き(花方位・花角度)は適応度に強く影響を与えうる重要な花形質であるにも関わらず,花のサイズや形,繁殖様式など他の形質と比べて非常に研究例が少ない.数少ない研究からは,日射による花の温度上昇や送粉者の行動が選択圧として花方位の進化に大きく影響を与えていることが示唆されてきた.本稿では,著者らが行った研究も含めてこれまで行われた花向きに関する研究について概観する.
キーワード:送粉者,日射,花角度,花方位,斜面上の花
●伊藤嘉昭:植物における性淘汰と「精子競争」
―面白く動物では困難な実験も可能,研究の発展に期待―……167
社会生物学(行動生態学),とくに性淘汰と精子競争の研究は長いこと動物を材料として行われ,植物の仕事が増え始めたのは1980年代のことで,日本ではまだ少ないと思う.しかし植物は動物に少ない雌雄同体が基本であり,1個体がたくさんの生殖器官(めしべ,おしべ)を持つ.オス間闘争はできず,メスは嫌いなオスから逃げられない.また性転換をする種も多く,個体が動かないので動物でできない実験もでき,社会生物学の発展にとってとても面白い研究分野を提供している.動物生態学者も含め多くの方々に注目していただくため植物を使った研究のうちごく一部を紹介した.
キーワード:植物の社会生物学,精子競争,性転換,雌雄同株,果実廃棄
●書評―
『イヌワシの生態と保全』
『動物生理学』
『オパーリン』(人と思想シリーズ183)
『ヒトの生物学 体の仕組みとホメオスタシス』
『遺体科学の挑戦』
●『生物科学』投稿の手引き
Nagano Kei:Beyond‘Beyond reductionism’(129)
Yumoto Takakazu:Introduction(130)
Special feature : Front of pollination ecology
Ohashi Kazuharu:Consequences of plant-pollinator conflicts for floral evolution : can plants manipu-late insect behavior?(132)
Makino T. Takashi:Pollinator individuality in a relationship between floral display size and pollinator visitation rate(142)
Ida Y. Takahashi:Ecological significance of floral color change(151)
Ushimaru Atsushi:Where do plants orient their flowers ? : ecology of flower orientation(159)
Ito Yosiaki:Sexual selection and “sperm competition” in plants(167)
Book reviews(183)
Instructions to authors(189)
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