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Ruralnet・農文協食農教育2001年7月号

食農教育 No.14 2001年7月号より

会場風景

お年寄りや農家の持つ
教育力を実感

「総合的な学習」実践セミナー報告


 総合的な学習の時間の本格実施まであと1年を切った。4月21日東京ビッグサイトで行なわれた「総合的な学習」実践セミナー(コーディネーター・奈須正裕立教大学助教授)には約150名が参加、お年寄りや農家に学ぶとはどういうことか、地域を核に教育力を高めるためにはどうしたらよいか、といった具体的な課題をめぐって実践報告が行なわれた。

(同セミナーは文部科学省の研究委嘱にかかわって、東京国際ブックフェア2001の併催行事として行なわれた。詳しくは囲み参照)

お年寄りの知恵に学ぶ

 1年生のときに「おやき」づくりに挑戦してうまくいかなかった子どもたちが、3年生になって地域のお年寄りの手ほどきをうけて再挑戦をする。その過程を振り返りながら文化の伝承の意味を問うたのが、長野県長野市立更府小学校の下育郎さんの「郷土食『おやき』をとおして地域の食文化とお年寄りの知恵を学ぶ」である。

 おやきの学習に先立って昔の遊びを教わるなかで、お年寄りから「親は育てなくちゃいけない目で、先生は教えなくちゃいけない目で子どもを包むけど、ばあちゃんたちはそうじゃないから楽なんだ!」という言葉が出てくる。こうしてお年寄りと子どもたちの“場”ができたところでおやきづくりがスタート。

 各家からおやきのつくり方を集めたところ、家々のこだわりがあって、具にする野菜の種類や水分のとばし方、蒸す・焼く・揚げる、笹にくるんで蒸すなどの仕上げ方等、たくさんの違いがあることを発見した。これには、先生格で参加したおばあさん自身がおもしろがり、互いに技術を交換し合う場面があったという。それは少しずつ改良を重ねながら地域独自の郷土食が形成されていく過程そのものである。

 この学習のなかで子どもたちは、なぜ自分たちの地域では昔からおやきを食べていたのか疑問をもち、社会科の時間に学習した。水田が少ない山間地で、小麦を主原料とするおやきが日常的な食として生まれてきたこと、小麦をベースにしながら季節季節にとれる素材を上手に組み込み、その結果、栄養的にも非常にバランスのとれた食べものであることを知る。子どもたちは、おやきをとおしておばあちゃんたちの知恵の深さを学び、仏壇におやきをあげる意味などについても考察した。

 下さんは、郷土食おやきの学習により家庭内での世代を超えた交流がすすみ、「ふるさと観」が形成できたという。「ふるさと観」とは何かという会場からの質問に対し下さんは、「子どもの生き方の方向を根源でつくってくれるもの。ふるさとの自然を慈しみ地域の人々をいとおしむ心」と答えている。それは、地域の自然から得た食べものを工夫して食べて生きる、人間の生活の原型を共感のうちに理解させ、ふるさとの原風景とともに、生きるエネルギーの基を形づくるものではないだろうか。この学習のなかで、「私もおばあちゃんになったら、自分の孫におやきのつくり方を教えるんだ」という声が子どもから出たという。このとき学びは、地域独自の生活文化の継承そのものでもある。

農家の生きざまに学ぶ

 今回のセミナーでは、授業者である教師とともに、その学習を支援した農家の方が報告したのも大きな特徴だった。本誌3月号で紹介した岩手県盛岡市立山王小学校の大石和子さん、金野敬之さんの実践を支援した渋田長さんと、新潟県安塚町立安塚小学校の舘岡真一さんの実践を支援した大日向幸夫さんのお2人である。

 子どもたちが稲の無農薬栽培にこだわり、雑草や生態系防除などの調査をつぎつぎ展開していった山王小の学習を支援した渋田さんは、減反や低米価で稲作も厳しいが、子どもたちの無農薬稲作にかける熱意に励まされたと前置きした後、田んぼの小動物と微生物、田んぼのなかの生態系の話をし、微生物の力で田んぼの土を肥沃にして冷害にも負けない稲をつくっていることを静かに語った。

 安塚小の実践では、棚田での農作業や遊びをとおして棚田に愛着をもった子どもたちが、後継ぎが見いだせないなかでつぎつぎ棚田が荒廃している重たい現実に出会い、棚田を保全すべきかどうか、耕作をやめてしまった農家や、棚田の開田をした経験のある農家、棚田保全に取り組む農家などの生の声を聞きつつ自分の考えを磨いていった。この学習の4人目の農家として登場したのが大日向さん。セミナーで大日向さんは、上流の田んぼが荒れれば下流の田んぼも荒れることにふれた後、棚田の虫食い的な荒廃化を防ぐため自分たちで土地利用計画を立てたことや、棚田保全のために、都会の人々に呼びかけて田んぼオーナー制度をはじめたことなどを語った。

 参加した教師からは、「農業は決して衰退していないと思う。農業を誇りに思い実践していらっしゃる方の生きざまを子どもたちにぶつけ、考えさせ、そして未来への提言ができるようになればと思う」「食と農の総合的な学習は21世紀の循環型社会の根幹になっていくと思う。教師の視点だけでなく農家の方たちの視点が必要だ」との感想が聞かれた。

学校給食を地域のものに

 子どもたちが育てる「ふるさと力」を高めるには、学校を「地域のセンター」として旧村=小学校区単位で地域のまとまりをつくり、市町村単位でそれを支援する協力体制をつくることが決定的に重要である。

 そのまとまりを学校給食を核にしてつくりあげようとしているのが、高知県南国市。報告「“与えられる給食”から“地元でつくりあげる給食”へ」では、教育委員会を中心に農業委員会、栄養士、農家や市民、PTA、農業団体などが協力して、地域密着型のこだわり給食を実現させた経緯が語られた。

 南国市では、13の小学校と2つの幼稚園の給食に地元の棚田の米を使用することにより、棚田を荒廃から守っている。その際に、コストを引き下げるためにそれまでの委託炊飯をやめ、クラスごとに2台ずつ用意した炊飯器(JAの援助で購入)で炊き立てのごはんを食べるようにして、米代の助成がなくなるなかで給食費を逆に値下げすらしている。こうして、地域の棚田の非銘柄米を給食にとり入れることで、農家の生産意欲も高まった。もちろん棚田での稲作の体験学習も行なわれる。子どもたちは農家の顔を思い浮かべながら、ご飯を感謝していただく。炊き立てのご飯でおいしいから、残飯は出ない。

 セミナーで南国市の西森善郎教育長は、「戦後の給食は一定の成果はあったが、いまやその役割は終わった。これからは地域でつくっていく『食育』ないし『食農教育』としての給食でなければいけない」「食育、ないし食農教育を知育と体育の間に明確に位置づけたい」と述べた。食農教育の取組みとしては地元の鳶ヶ池中学校の子どもたちが高知農業高校の先生の指導のもと、大豆を育て、農高の調理施設を利用して味噌に加工している。その味噌が小学校の学校給食に提供されて、自給率アップに1役買っているのである。このような地場産給食は、米や味噌だけでなく、野菜や魚など、給食の地域自給度をいっそう高めていく方向にすすむに違いない。まさに地域がともにつくる学校給食をめざすなかで、農業もまた多品目少量生産になっていく。そのとき、子どもを育む「ふるさと力」もまた高まっていくのである。

学力批判への反批判として

 こうした報告を受けて、総括コメントの嶋野道弘文部科学省視学官は、今日の学力批判の論調に対して、いま危機にあるのは計算力や基礎的知識ではなくて、勉強の目的意識そのものであり、みずから判断し、問題解決していく力であること、つまり量的な学力ではなく、質的な学力の向上こそが求められていることをおさえたうえで、その具体的な対応策を次の3点に整理した。

(1)教科と総合的な学習の時間を有機的に関連させながら、教科の学習の学習指導の工夫改善をはかる。

(2)具体的な学びの現場としての社会文化的な環境や風土をつくっていく。家庭や地域を単なる受け皿と考えるのではなく、学びの現場としてとらえる。

(3)総合をいかに価値あるものにしていくか。それは聞かされるのではなく聞く子ども、学ぶことに駆りたてられていく子ども、学んで質的向上としての変化をしていく子ども、より高度な次元で「わからなさ」を自覚する思慮深い子どもを育てることである。

 新たな学びの風土づくりの道筋がみえてきたシンポジウムであった。

(注)下育郎氏の「おやき」の実践は次号(9月号)に掲載を予定しています。

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文部科学省委嘱「生涯学習施策に関する調査研究」と「総合的な学習」実践セミナーについて


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