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食農教育 No.15 2001年9月号より 〈いのち〉とつながる食給食残飯から
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給食の様子。 |
給食の食べ残しを、ためらいもなく食缶に返す子どもたち。それに対して、最近は私自身も疑問にすら感じなくなっていた。しかし、環境教育の調査で給食残飯の実態や処理方法の現状に出合い、この最も身近な問題から、子どもたちとともに考え学んでいかなければならない問題がたくさんあると感じた。
4月当初の5年の私のクラスでは、子どもたちはパン・ご飯の主食、おかず、牛乳を大量に残していた。好き嫌いの激しさや小食が目についた。「給食は、自分の好きなように食べればよい」という考え方がほとんどであった。
一方、「生ゴミ・残飯についてどう思いますか」と問うと、ほとんどの子が「くさい」「きたない」「いらないもの」と答えていた。家庭や学校給食で自分が出した残飯がその後に及ぼす問題について気づいている子はいなかった。
そこで、自分をとりまく身近な問題の一つである給食の食べ残しを追究していくことで、自分自身のこととして、食や環境の問題を考え、何か行動に移せるような力をつけさせていきたいと考えた。
まず、給食のパンについて考えていった。1人のパンの重さは約110g。私たちのクラスでは、約1.5kgぐらいは残る。つまり、35人中15人分のパンを残していることになるのである。そこで、「かなり残しているなあ」という気持ちをもったが、「おいしくないからだ」と主張する子もいた。
「この大量に残ったパンはどうなるのか」と問うと、「給食センターへ持っていく」と答えた。しかし、その後のゆくえについては、わからなかった。「大きな穴を掘って埋めているんじゃないかな」「肥料にしているんじゃないかな」「燃やしているかもしれない」などの予想が出てきた。
そこで、パン工場の上里さんに来ていただきお話を伺った。そして次のようなことがわかった。
@残ったパンは給食センターではなく、パン工場で引き取っている。
Aそのパンは、クリーンセンターへ月約5万円を払って焼却してもらっている。
この話を聞いて、子どもたちは、ゆさぶられた。残したことによって、「パン屋さんがお金を払ってまでして処分しなければならないこと」「食べ物が大量に燃やされていること」に疑問をいだくようになった。
竹本さんはお礼に次のような手紙を書いた。
「上里さんへ。この前はお話をしていただいて、ありがとうございました。私たちのクラスは、あの後パンの残る量がへったような気がします。私はなるべく、パンを一生けん命食べました。私たちは、残ったパンをどうすればよいか話し合って『埋める』という意見が出たので、野菜を育てている畑に埋めてみています」
2学期に入り、日常的な食の1つである『卵』を中心に、社会科『日本の養鶏業』の学習を始めた。まず、校区内の大型スーパーにある卵販売コーナーへ見学にでかけた。そこで、80%を占める普通卵と、残り20%の特殊卵が販売されていることを知った。
特殊卵7〜8種類のなかで、竹本さんはとくに『アトピーにやさしい卵・有精卵』という卵に着目した。そして「普通卵と特殊卵はどう違うのか」を調べ始めた。
普通卵は大量生産で、ケージ飼い(小さいケースに2羽ずつくらい雌だけを入れる)特殊卵は小規模の経営で、平飼い(自由に動き回れる広い小屋で飼育)が多い。特殊卵のうち有精卵は、雄も小屋に入れて卵を生ませる等々を調べていった。実際に、卵を割って色を比べてみたり、家庭科の授業と合わせて、食べ比べてみたりした。
そんななか、特殊卵は値段は高いがおいしい、とくに特殊卵のなかでも、1種類しか販売していなかった有精卵がどのようにして育てられているか見学したいという願いが強まった。そこで、このスーパーに有精卵を卸している橘自然農園にでかけることにした。ここでは調査活動だけでなく、手作業で行なわれている仕事をできるだけ体験し、学んでくることにした。
橘自然農園の元気なニワトリに、まずはおそるおそるエサをくれる |
いよいよ体験学習の日がやってきた。午前中は、エサくれ、水くれ、清掃、卵採り、卵ふき、選別の仕事を行なった。エサくれのため小屋へ入ったが、最初はニワトリに飛びつかれて、逃げてしまう子もいた。また、鶏舎の独特の臭いにまいっている子もいた。とはいうものの、卵採りになると子どもたちは驚きや喜びを素直に表わす。「卵があたたかいよ」「ポトンって、産む瞬間をみた」「つつかれそうだったけど、そうっと採ったよ」などとつぶやきながら卵採りに夢中になった。
昼食は、とりたての卵を目玉焼きにしてもらい、おかずにして食べた。「ふつうの卵よりおいしい」「卵がかわいくなった」。1人1パックのおみやげをいただき帰る途中「この卵、あたためてかえしたいな」とつぶやいた子が何人もいた。
この1日体験で、もう1つ大切な発見があった。それは、農園主の北沢徳重さんが、近隣の学校給食で出る残飯を約半日かけて回収し、ニワトリのエサにしていることであった。つまり、給食残飯のリサイクルをしているということであった。さらに、その残飯を微生物を利用して発酵させてエサにするという方法をとり、ニワトリの体を健康にしているというものであった。
北沢さんの取り組みは、給食や家庭での食事で出た残飯が有効に利用できる道があり、そのような努力をしている人が現実にいるという事実の発見につながった。
「家庭よりもっとたくさんの生ゴミ残飯を出していてる身近なスーパーやレストラン、大きな施設ではどうやって処理をしているのだろか。橘自然農園のような取り組みをしているのか調べてみたい」。このような願いをもって、小グループで調査を開始した。そして、次のような感想をもった。
◎大型スーパーに行った篠田さん、
「びっくりした。だってこんな量のゴミ(1教室半分くらい)が出ている。それと、コンポストで肥料にしていることにもビックリ。でも、肥料にして、また野菜を育てて店に出るなんてとってもいいことだと思います」
◎別のスーパーを調べた東山くん、
「1日200kgも生ゴミが出ていると聞きました。びっくりしました。(友だちの調査結果を聞いて)同じスーパーなのにどうして処理の方法が違うのかと思いました。コンポストなど使えばいいのになあと思います。市全体、日本でそのようにすれば生ゴミもへると思います」
◎とんかつ屋へ行った小山くん
「畑へ埋めていると思ったら埋めていないと言っていました。ゴミがたくさん出てお金がかかる。これはひどい。調理くずはしかたがない。食べ残しが多い。これがいけない」
◎市立病院へ行った武田んは
「1日900食もあるのに、残飯の量は平均6kgしか出てないなんて驚いた。私たちの学級は36人しかいないのに残したパンの量が最高1.5kg出ている」
生ゴミ処理はダストカンパニーにおまかせを。畑の野菜もすくすく育つよ |
これらの学習から、「自分たちでできそうなことをやってみよう」という声があがってきた。小山くんたちが「ダストカンパニー」という学級の係をつくる。まず、「一口運動」という呼び名の活動を始めた。配り残ったおかずやごはんをみんなにもう一口ずつ食べてもらい、残飯を減らそうというものだ。また、橘自然農園の北沢さんに教えてもらったEM菌(有用微生物群)を使って残飯を発酵させ、畑の肥料にする取り組みも始めた。
6年生になると、取り組んでみたいことが続々と飛び出した。「農園の卵をふ化させて、同じように生ゴミをエサにして飼育したい」「ホテルの見学のとき聞いた廃油での石けんづくりに取り組みたい」「私たちの取り組みを広めたり、ほかの取り組みを知るためにも、子どもエコクラブに入って活動したい」「北佐久農業高校でも体験学習をしよう」などで、こういった活動に子どもたちは積極的に取り組んでいった。
そんななか、6年生になった4月、農園の卵をふ化させることに決まった。橘自然農園一日体験学習の帰りに「温めてかえしたい」と言う子どもたちの願いが強かったからであるし、正直な話、私自身もとても興味がわいてきたからだ。
『ニワトリの絵本』(農文協)などを参考に、多くの方にその方法を教えていただきながら開始した。
道具は学校でかつて理科の教材として使っていた3台の古いふ卵器。1つに20個の卵が入る。温度や湿度の管理と一日に数回行なう転卵が重要で、うまくいけば21日前後でふ化するとのこと。農園より卵をいただき、40個で始めた。
1回目。40個中卵を割り始めたのは1個のみ。しかし、それも完全に殻を割らないうちに死んでしまった。あきらめきれず2回目に挑戦したものの、1羽もふ化しない。これで最後と思い、温度と湿度の確認、転卵を忘れずに行なうことに心がけて挑戦。とうとう4羽がかえった! そのうち2羽は立てないまま死んでしまったが、3度目にして、かえったときのみんなの喜びはとても大きかった。
雛は小さいうちは暖かくしておかなければならない。ふ卵器やひよこ電球を使って、教室で1ヵ月半ほど育てた。
水くれの皿に落ちて、おぼれそうになり、みんなで心配したこともあったが、どんどん成長していく。しばらくして外の小屋に移し、夏休み前には雄雌1羽ずつであることがわかった。雄のマルヤマ(子どもたちがつけた名前)は「コケコッコー」と元気よく鳴き始めた。
8月の終わりから、雌のヒロスエが卵を生み始めた。ふつうの配合飼料が主だが、給食の残飯もくれた。卵はほぼ毎日1個ずつ生むので、交代で家に持ち帰る。そのころには、みんないつ自分の順番になるか楽しみになっていた。
小屋はすぐに臭くなるので大変である。雄のマルヤマはかなり攻撃的なので、羽でたたかれたり、つつかれたりするとけがにつながる。それでも、子どもたちのなかにはうまく2匹を小屋に出し入れする名人が現われたりした。
そうこうしているうちに卒業も近づき、「マルヤマ、ヒロスエをどうするか」が問題となった。11月の末から話し合い始めて、結論を出したのは1月の末であった。
「食べる派」「食べない派」に意見が分かれての議論がどこまでも続く。調べたり、いろいろな人に聞き取りにも行った。食べない派の小山くんは、学校で飼ってくれるクラスはないかたくさんの先生にあたってみたり、近所でニワトリを飼っている家を探したりした。「食べる派」の山田さんたちは、橘自然農園の北沢さんに再三、意見を聞いたりした。北沢さんからは、 「みんながよく話し合って決めることが大切だから、もし飼ってほしいというならひきとるよ。でも、自分たちの飼ってきたニワトリを食べる、『命』をいただくことも、とても大切な勉強だから考えてみるといいよ」といったアドバイスをいただいた。
子どもたちの論点は「飼ってもらうのは北沢さんに迷惑ではないか」「橘自然農園へ連れて行って、マルヤマ・ヒロスエが生活環境の変化についていけるか」「ニワトリにとっての幸せは育てた私たちが食べることか、それとも少しでも長生きをさせてあげることか」「食べるということは残酷か」「北沢さんの言っている、飼ったものを食べて命の大切さを知るとはどういうことか」などであった。
話し合いが行き詰まり、1月の末に、北沢さんに学校へ来ていただき、話し合いに参加してもらうことになった。わからないことを質問したり、北沢さんの考えを話してもらった。
「ニワトリはあずかる。そのかわり育てたニワトリをどのようにして食べるか、命をいただくということを農園にきて実際に勉強してみないか」
これが北沢さんのくれた提案だった。
卒業を控えた、3月始めの日曜日。5年生のときと同じように定期バスに乗り込んだ。今回は、都合のつく保護者の方にも参加していただき、ニワトリ料理に腕をふるっていただいたり、子どもたちとともに学習をしたりした。
農園について話を聞いたあと、さっそく北沢さんが、ニワトリを絞めだした。熱湯(72度)をかけて羽をむしるところは全員が体験。丸裸のニワトリを北沢さんは目の前で解体しながら説明を続ける。そのニワトリを保護者の方々が中心になって料理をし、昼食会は開かれた。
「今日は橘自然農園に行きました。行ってけっこうすぐにニワトリの解体をしました。なんかすごく想像していたのと違ったけどびっくりしました。その後少し卵採りをしながら、ごはんを食べました。そのとき私ははじめて、命の大切さがわかったような気がしました。食べたときはなんかかたかったけど、おいしかったです。
今日は環境のしめくくりとしての学習ができてすごくよかったです」
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