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Ruralnet・農文協食農教育2001年10月号

食農教育 No.16 2001年10月臨時増刊号より

昔の道具いろいろ

「地域の養蚕農家」グループが調べた結果、次のような道具が掘りおこされました。

フンとり網(除渣網)
フンとり網(除渣網)。上から網をかぶせてエサをやる。新しい大きなエサもあるし、カイコは上へ上へと上がる習性があるから、網をよければ食べ残した枝とフンが残る

回転式のまぶし回転式のまぶし2



厚いボール紙で作った回転式のまぶし(回転簇)。5齢幼虫は7〜8日で桑を食べなくなる。こうしてまぶしを置くと、マユを作る自分の部屋を求めて上へ上へ登っていく(右)。上段の枠が埋まると、カイコの重さでグルリと回転(上)。空の枠がまた上にくるしかけに子どもたちも感心しきり。これは戦後になって使われだしたものだが、それ以前は? ちなみに東南アジアでは木の枝を使ったごく簡単なものを使っているらしい

まぶし けばとり
わらで作った昔のまぶし。学校の取り組みを積極的に地域に公開し交流が深まると、地域の方が以前使っていた道具を寄贈してくれるようになった けばとり機。表面がザラザラしたゴムのローラーにけばがひっかかって巻きとられてきれいなマユになる。ゴムはけばにおおわれて、やがてけばはけば自身に巻き取られていく。けばがたまったらハサミでチョキチョキ切る

アンケート・聞き取りでわかった昔の農家の暮らし
(1)地域には山桑が豊富だったし、人手もいっぱいあった。当時は貴重な現金収入だったから、田植え後の6月にカイコを飼育。「おカイコ様」と呼んでいた。
(2)よい桑と澄んだ空気に恵まれていたので、種カイコを飼育していた。新潟県では2ヵ所のみ。種カイコ飼育は15〜20年続いたが、温度管理がたいへんだったし、よい桑の葉を選んで与えるため、手間がかかり次第に敬遠されていった。
(3)わらで編んだむしろのようなものを切って丸くし、その中で飼うこともあった。座敷や茶の間、2階など使えるスペースは全部使って育てて、大きくなるとカイコ棚を利用していた。
(4)温度を上げるため、火鉢やいろりを使った。カイコの温度を均一にするため、むしろを回した。それを「カイコの守りをする」と言っていた。
(5)忙しい時期になると、朝、昼、晩と家族総出で仕事をした。
(6)外国産の安いシルクが入ってくるようになると、次第に飼わなくなっていった。

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