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Ruralnet・農文協食農教育2001年10月号

食農教育 No.16 2001年10月臨時増刊号より


シルククラフト「親子手作り教室」での講習のようすと、作品

シルククラフトを作る

シルククラフト作りをはじめよう

 夏休みに子どもたちは、とれたマユを家族といっしょに思い思いの色で染めました。9月の授業参観日を利用して、そのマユを使ってシルククラフト作りに挑戦です。講師には、村のお母さんグループ「まゆの花の会」の2名に来ていただきました。この作品は文化祭に出品し、地域にも公開。シルクフラワーが多かったのですが、なかには昆虫やウサギ、犬といった小動物、ヘビ、イチョウの木など特徴的な作品もありました。

 そのほか、5、6年生は卒業式で胸につけるコサージュをクラフトしたり、来賓用のシルクコサージュを作ってプレゼントするなどしています。保護者もつけるので夜に行なう「親子コサージュ作り」を毎年実施。保護者の参加率は100%です。

●「まゆの花の会」の活動  長津小学校でシルククラフトの講師をしているのは、「まゆの花の会」の横井栄子さんと渡辺恵子さん。19人の養蚕婦人部メンバーが集まってできた会が、今ではシルクフラワー製作工房を独立採算で運営し、結婚式用のブーケから花かご、盆栽、コサージュなどの商品を製作・販売しながら腕を磨いている。「まゆの花をとおして多くの人に養蚕のことを知ってもらいたい。もちろん新しい形の養蚕事業として展開していきたいという気持ちもあります」と横井さん。

  

お年寄りにシルククラフトを広める

感動を伝えよう 〜「かいこ館1」「かいこ館2」

移動かいこ館
 集落センターに出向いて「移動かいこ館」を開く。学校で開いた「かいこ館1」には、中学生も含めて多数参加。作品のプレゼントも大好評だったので、「学校に足をはこべないお年寄りにも伝えよう」とこの企画がもちあがった

 学校で村の産業を学習していることを学校の内に閉じ込めておくのはもったいない。子どもたちがカイコを飼育しシルククラフトを作った感動を、地域の人たちにも伝えましょう。

 長津小学校では、自分たちの飼育のようすを見てもらおうと、6月に「かいこ館T」を開きました。ポスターやシルク新聞で案内し、校門の立て看板でも呼びかけました。子どもたちの説明に、「カイコ様もうすぐあがるだー(1、2日でマユを作り出す)」と元養蚕農家のお年寄りが逆に解説をはじめる姿もありました。

 親子手作り教室でのシルククラフト作りを終えると「ぼくたちも地域の人たちに教えたい」との声があがりました。初めての試みでしたが、文化祭に地域の方々を招き、いっしょにシルククラフトを作ろうと「かいこ館2」が開かれたいへん好評でした。


地域の集落センターでお年寄りにシルククラフトを広めよう

 「かいこ館2」に来たくても来られなかったお年寄りが多いのでは? と気づいた子どもたちは、自分たちが集落センターへ出かけて教えたいという気持ちになりました。

 毎週1回ずつ、3地域の集落センターまで出かけての指導。3回の「移動かいこ館」で、のべ30人ほどのお年寄りが参加。「子どもたちが丁寧に教えてくれて感激した」「こんなによい作品ができてうれしい。さっそく玄関に飾りたい」「私たちができることならなんでも言ってください」など、お年寄りも子どもたちとの交流に深い感激を覚えたようでした。

 会場準備から、あいさつ、作り方説明、実技指導、インタビュー、終わりのあいさつ、後始末など、すべて子どもたちが企画・運営。最初はぎこちなかったのですが、3回目にはスムーズに実施することができました。「教えることの楽しさと難しさ」を同時に味わいながらも、お年寄りの喜びようにますますの自信と学習意欲をつけていきました。

 養蚕農家のお母さんグループが地域に新しい産業を興そうと夢をもって取り組むようすに感激し、シルククラフトそのもののおもしろさに夢中になった子どもたちが、今度は自分たちが地域全体にそれを広めようと「かいこ館」を開きました。「学校の敷居は高い」という地域の声が積極的に学校を支援する姿勢に変わってきていることを今ひしひしと感じています。

●「移動かいこ館」に向けての子どもたちの準備
(1)集落センターの使用許可をもらうために、各区長へ直接依頼
(2)学区全戸へ案内状を出す
(3)必要な材料を準備する(山のアケビで飾り用のリース作り、ボンド、ハサミ、ペップ、テープ、カッター、針金など)
(4)教えるクラフトの分担(犬、鳥、ウサギ、花)
(5)運営の分担(司会、あいさつ)

  

 5・6年生が中心となって「シルク新聞」を発行、全戸に配布し続けている。この新聞でアンケート調査をしたところ、昔のこんなエピソードを寄せていただいたおばあちゃんも。

「昭和6年、4年生であったでせうか。母が籠でいっぱい桑を持って来て、『掛けて置いてくれ』と山へ行った。私はそれをやり、空の籠を被って寝てしまった。夕方母が帰って来ても私の姿は見えない。あちこち探したが居なかった。しぶしぶ蚕室に入って電気を付けたら、寝ていた。『おやっ、トヨ子暗くなったのに、お前、寝ていたのか』同じに驚きと安心感の一瞬であったとか。蚕の箱には所々桑が残っていた」


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