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Ruralnet・農文協食農教育2003年7月号

食農教育 No.28 2003年7月号より
[特集]お店屋さんには知恵がいっぱい

 

レンゲ畑で天ぷらパーティー

 

江戸川区「ウォーターフロント友の会」と佐野市「むかでの会」の都市・農村交流

 

文・編集部 写真・岡本央

子どもたちと大人

 子どもたちと大人とが3台の軽四トラックに分乗すると、さっそく発進した。あわてて荷台のへりをつかむ。子どもたちは慣れたようすで、4月の春風を頬に受けている。淡い緑色に包まれた里山の春の景色を背に、軽トラックは軽快に走っていく。

 きょうは東京・江戸川区の「ウォーターフロント友の会」と栃木県佐野市富士町の「むかでの会」との今年度はじめの交流会の日。この日の予定はタケノコ掘りと野草や山菜を摘んでのレンゲ畑での天ぷらパーティー、そして炭焼きである。

楽しみで植えたものを都会の人におすそわけ

椋くんにタケノコの掘りかたを教える昌吉さん
椋くんにタケノコの掘りかたを教える昌吉さん

 軽四トラックはまもなく農家に着いた。「むかでの会」の一員である昌吉さんの裏山のタケノコは、きょうの交流会のためにいいあんばいに残しておいたはずだったのだが、きのう、何者かにすっかり掘られてしまったのだという。それでもよく見ると、あちこちでタケノコが頭をのぞかせている。

 タケノコの周りを掘っている小6の椋くんに、昌吉さんが声をかける。
 「どっちに伸びているかな。竹の生えているほうに伸びているんだよ」

 何しろ数が少ないから失敗は許されない。慎重に掘り取った。
 「今ごろの早い時期のタケノコはなあ。いちばん深いところから出ているから、頭があんまり出てないだろ。だからやわらかくてうまいんだ。遅くなると浅いところから出るようになってかたくなるんだ」と昌吉さん。

立派なタケノコが掘れた
立派なタケノコが掘れた

 タケノコが掘れたら、今度はセリ摘みだ。昌吉さんの家の周りの休耕田は昨年この会の手でメダカのビオトープとして整備された。そこにセリがたくさん生えている。田んぼには赤米、黒米、紫米も栽培し、家の周りには楽しみでハナショウブを植えている。

 「ウドとりにいく人集まれ」

ウドを掘る
立ウドを掘る

 軽トラックで光男さんの家へ向かう。畑の盛土をしたところを掘ると、見事なウドが現れた。ウドは根を残しておくと毎年芽が出てきて、3月ごろ盛土をすると、1メートルほどに育つ。光男さんの畑には挿し木にしたタラノメやシイタケのほだ木もある。ヘビの登場にびっくりしながらも天ぷら用に収穫。光男さんの家のウドやタラノメ、シイタケは市場出荷するほどの量はないが、自給用を都会の人たちにおすそわけしているのである。

 昌吉さんの家に戻ると、畑でかき菜を摘んでいた。やわらかい花芽のまわりだけを摘む。高1の彩さんは、タンポポを天ぷらにした味が忘れられず、きょうも食べたいと思っている。だれかが畑のへりでスカンポ(スイバ)を見つけた。子どもたちと口に含んでみる。

子どもの体験教育のはずが大人の楽しみに

天ぷらを揚げる薦野潔さんと娘の彩さん
天ぷらを揚げる薦野潔さんと娘の彩さん

 この都市・農村交流は1989年にはじまった。きっかけは佐野市の杉山忠さんが、農林水産省の小西孝蔵さんに「都会の人に農村のことをもっと知ってもらいたい。交流先がないだろうか」と声をかけたことだった。杉山さんは地元の農家六戸で「むかでの会」を結成しており、小西さんが栃木県庁に出向していたころ、都市・農村交流の話を聞いていたのである。

 小西さんは「それなら、自分の家族からはじめよう」と考え、妻のはんなさんが江戸川区臨海町の公務員宿舎に住む家族や近くの知り合いに声をかけ、十数戸が参加することになった。いま交流会は1年に7回。そのメニューはだいたい決まっている。佐野市を舞台に、4月のタケノコ掘り、山菜とりと天ぷらからはじまって、5月の田植えとサツマイモ・ラッカセイ植え、7月のキャンプ、9月は稲刈りと沢ガニとり、11月の収穫祭、2月の味噌の仕込み。毎年3月にはお世話になった佐野市の人々を江戸川区に招き、一品持ちよりの料理でふるまう。これが納会で、その年を振り返り、翌年の計画を練る場ともなるのである。

 お母さんと小さな子どもを中心とした体験教育の場としてスタートしたこの会は、少しずつ姿を変えていった。まず、運転手役だったお父さんたちがだんだん本気になり、仕事を越えた交流が生まれた。公務員宿舎を出たあとも会に残る家族も多く、連絡はもっぱらファクスで取り合っている。十数年たった今、スタート当時の子どもは大学生になり、就職した人もいる。小さな子どものいる家族が新しく参加したりして、メンバーの交替もあるが、子ども中心で始まった交流会が今では子どものみならず大人中心でも続いているところがおもしろい。

子どもだけのホームステイ

レンゲ畑で天ぷらパーティー。
レンゲ畑で天ぷらパーティー。きょうはイギリス大使館のモーガンさん一家も特別参加。遠くにヤマザクラが咲く

 レンゲ畑ではビニールシートが敷かれ、バーベキュー用のコンロもセットされて、天ぷらを揚げる用意は万端整った。収穫したセリ、ウド、シイタケに、子どもたちが摘んだツクシやタンポポも加わってにぎやかに天ぷらパーティーがはじまる。かたわらで、椋くんにシイタケを焼いてあげている久慈康弘くんはスタート時からのメンバー。あつあつのシイタケにしょうゆをかけて食べるだけだが、子どもたちには大人気で、次々手がのびる。

 「スーパーで売ってるのはたいていオガクズで育てたやつだからな。原木で育てたのは半なまでもうまいべ」と昌吉さんが声をかける。

 20歳になる康弘くん、通称やっちゃんは小学校2年生のときから参加して、いまや子どもたちのお兄さん的存在である。康弘くんのいちばんの思い出は夏休み、子どもたちだけで佐野にホームステイをしたこと。地下鉄の西葛西駅から浅草に出て、東武電車で佐野に向かう。浅草からは子どもだけの旅だからどきどきだ。小学校の3、4年生ではじめて参加したときは、前日まではしゃいでいたのに、浅草駅で親と別れる段になって泣いてしまった。上級生になるともう泣くことはなかったが、リーダーなので無事佐野の駅に着くまで緊張したという。

 杉山さんと仲江川さんの家に別れて2泊し、秋山川で遊んで、青竹でごはんを炊いたり、夜はバーベキューもした。杉山さんの家の子どもたちと康弘くんは年も近いので、小学校の体育大会に応援に行ったこともある。

 「ウォーターフロント友の会」の小さな子どもたちに慕われる康弘くんは専門学校を出て、子どもたちにスポーツ指導をする仕事を目指している。それも自分自身が交流会を通じて幼いころ受けた経験と関係があるのかもしれない。

佐野での体験を学校や地域に伝える

「むかでの会」のリーダー杉山忠さん
「むかでの会」のリーダー杉山忠さん

 14年の交流を通して「ウォーターフロント友の会」の十数家族と佐野の六家族は親戚のような関係でつながれるようになった。だがそれは、閉じた関係ではない。

 「ウォーターフロント友の会」の子どもたちはソバの種を家に持ちかえってプランターで育てたり、メダカを育てたりしたが、それはつかまえたドジョウやウナギとともに、通学する臨海小学校に持ち込まれた。メンバーのひとり金子さん一家はメダカの育て方のこつや成長記録を「めだか新聞」として発行している。

 江戸川区から移ってもつながりを持ち続ける家族もある。久慈康弘くんの家族もそのひとつ。横浜の泉区に転居したあとも参加を続けている。この間、ご両親は杉山さんに伝授されたそば打ちを学校のPTA活動に取り入れ、最近では、地域の女性部の集まりで、佐野の経験を生かして味噌づくりを教えたりもしている。

旬の食べ物と季節のめぐりを感じて

「むかでの会」のリーダー杉山忠さん

 にわかに雨が降ってきて、天ぷらパーティーはあわてて撤収。杉山さんの家に引き上げる。

 「今年は春先寒さが続いて、ソメイヨシノの花が咲くのが遅く、ヤマザクラが追いついてしまいました。いま同時に咲いています。セリが旬ですが、セリやウドといった春の食べものは殺菌作用があって、体のためにもよいのです」

 杉山さんがたんたんと最後の挨拶をする。それは決まって季節の話であり、今年の気候の話であり、旬の食べものの話である。田舎に住めば当たり前のことかもしれないが、都会に住んでいると暮らしの季節感は失われがちになる。今日タケノコやかき菜、セリやウドを手に帰っていく「ウォーターフロント友の会」の人々は、旬の味覚とともに杉山さんの言葉を思い返すことになる。

 このあたりの田んぼやその奥の唐沢山から流れ出す水は渡良瀬川と江戸川を通って江戸川区の人々の飲み水となっている。江戸川区に住む多くの人はそのことを意識することはない。しかし、「ウォーターフロント友の会」の人々は自分たちの上流に農村があり、農家の人々が季節のめぐりにあわせた暮らしを送っていることをけっして忘れることはないであろう。


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