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Ruralnet・農文協食農教育2004年1月号

食農教育 No.31 2004年1月号より
[特集]校区コミュニティー元年!

座談会
子どもが「生活」と出合う場をつくる
―地域と学校の垣根をこえて―

〈出席者〉

小泉 與七 橋口 孝久 田揚 江里 藤本 勇二 結城登美雄
小泉 與七
(東京都練馬区・酪農業)
橋口 孝久
(鹿児島市・農業)
田揚 江里
(東京・狛江市立狛江第二小学校)
藤本 勇二
(徳島・市場町立市場小学校)
結城登美雄
(民俗研究家)

生活体験・生活知と学びを結びつける

――学校側から見ると事情はどうなるのでしょう。田揚先生は子どもをとおして、いまの家族とか地域をどのようにとらえていらっしゃいますか。

●言葉が「ラベル化」している

田揚 私はこのなかでいちばん地域とのかかわりが薄い人間だと思います。一五年間、東京の渋谷区の学校に勤務し、去年、狛江市の学校に移ったばかりですから。渋谷区に勤務していたときは、子どもたちは無機質に取り囲まれている状態で、本当にここで子どもが育つのかなと思うような環境のなかで二校を経験しました。

 私はずっと学校図書館の会にいました。最初は読書指導をしていましたが、途中から、子どもの学びの質を変えていかなければならないということを考え始めたのです。課題を持って調べていく。それには外に出て調べることもあるし、そこでわからなくなったら図書館に戻って調べる。そこに学校図書館の位置づけがあるのかな、というようなことを考えてやってきました。

 それと子どもの言葉がだんだん貧しくなっているような実感がありました。絵を見れば、「これは牛」ということはわかる。でもそれは、牛に触った温かさとか、牛のオシッコはバーッと出るとか、そういうことをひっくるめた牛ではない。何でも「これは○○、これは××」と図鑑的に言えるけれども、そこに実感が伴わない。つまり言葉がラベル化している。そういうことが生活すべてにわたってあるのではないかと。一年生の子どもでも「かなり感動した」なんて言葉をサラッと使うのです。「じゃあ、何に心が動いたの?」とつっこんで聞いていくと、それ以上は言えない。「感動した」という言葉でひっくるめてしまう。

 言葉が貧しくなっている背景には、生活そのものが貧しくなっている、体験が細いということがあるのではないでしょうか。だからこそ、小泉さんの牧場にいった先生たちは生身の牛にふれて、いのちを実感するわけで、体験が細いのは私たち教師も子どもと一緒なのですね。

 言葉にはある体験を通さないと獲得できない言葉というのがあります。たとえば「炒る」とか「ゴマをあてる」とかそういった言葉は、経験しないと獲得できない言葉です。私もかつてはすりこぎは力を込めて回すものと思っていたのですが、あるとき手のひらにすりこぎの端をあてて、それを軸にしてゴマにあてると軽やかに回ると知ったのです。子どもはそういった体験をパッと吸収していく。それをキャッチする力を子どもたちは十分にもっているのです。

 そういうことを考えていくと、単に体験をしたというのではだめで、心がガーッと動くようなかたちの体験を積み重ねていく必要があるのではないか。体験のなかで、どういうところに子どもの心が動いて言葉がほとばしり出るかというと、まねっこではなく、本物と出合ったときに子どもはものすごくしゃべりだす。本当に牛を触ったときとか、牛の乳を搾ったときとか、自分の五感を働かせた体験のなかから、言葉がたくさん生まれてくる。でもなかなか、どれが子どもにピタッとくるかというのは、手探り状態なのです。

●教科学習に地域教材を

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ある農家の長屋門付近にあった道具
図1 鹿児島市立川上小学校 2000年度5年生「お米作り体験学習」より

――藤本先生はかつて理科の授業技術にこだわった時期があるとお聞きしましたが、地域に根ざした学習に向かうようになったのはなぜですか。

藤本 いま、田揚先生がおっしゃった、子どもの体験の質を変えたいというのはぼくも同じ思いなんです。とにかく教師になったときから「いい授業」をしたいと、いまもただこれだけです。最初のころは理科とか社会科の学習をいいものにしたいと思っていた。そのうちに、子どもたちが教科学習で学んだことが、現実の生活で生かされていなかったり、生活を変えていくときにあまり役に立っていないと感じた。そこで、理科や社会科を学ぶうえで、できるだけ子どもの生活に即した地域教材を扱いたいと思ったんです。

 また、いい授業をしていこうと思ったらフィールドワークが必要ですから、地域の人に話を聞かざるを得ない。その場合でも、最初、ぼくは地域に興味がなくて、ただ教材にのせるために、じいちゃん、ばあちゃんに話を聞いていた。ところが、話を聞いていくと、「えっ、そんな話があるんだ」と思いもよらないことがいっぱいでてくるんですね。教材として地域がおもしろかったのが、だんだんそこに住んでいる人そのものがおもしろくなってきた。そうすると、もう少し、じいちゃん、ばあちゃんに話を聞いてみたくなって、理科や社会科の学習にどんどん体験を組み入れてやっていくうちに、自然とそれがいま言われている総合の学習になっていったのです。

 食農教育を意識し始めた最初の実践は理科の実践です。六年の理科で「酸性・アルカリ性」の学習をするんですが、水酸化ナトリウムや塩酸もいいけど、子どもたちがもっと実感できるようなものがないかなといろいろ調べていたら、コンニャクを石灰で固めるということを知った。地域の人に聞くと、石灰なんか使わずにソバの茎を燃やした灰でその上澄みをとって固めるという。「それはおもしろいな」と思って、理科の学習でソバの茎を燃やした灰のpHを調べてみたら、非常にpHが高い。工業的につくられた石灰よりも高いのです。学校の理科で地域の知恵を解明できるということが、非常にうれしかったのです。そして子どもたちがそういうことを調べておいたあとに、地域の人たちと一緒にコンニャク作りをすると、おばあちゃんの見方が違ってくるんです。「お年寄りを尊敬しなさい」と百語るよりも、理科の授業で知恵の裏づけをきちんとしたときには、子どもたちはお年寄りに尊敬の目を向ける。おばあちゃんはそのことを非常に肌で感じますから、自分たちが嫁に来てなんの自覚もなくやってきたことが学校の勉強になる、教育的資源になるということを実感してくれる。そうすると、子どもたちはおばあちゃんの話を聞きたくなるし、おばあちゃんは教えたくなる。教師のぼくはどんどん後ろに下がっていく。しゃべりすぎるじいちゃんを止め、ストーリーのない子どもたちにストーリーを作らせ、出合わせる場をつくるだけ。そうなってきたら、どんどん地域の学習がおもしろくなっていったのです。

ふつうの人の「暮らしの技」に気づく

藤本 さっき結城さんが、「何もない」と地域の人が思っているというのは、教師もそうなんですね。「特色のある学校」を作ろうというじゃないですか。「特色のある学校」って、他と違うことをするのが特色のあるということなのか。特色というのは地域の中にあるわけでしょう。でも教師がわりと早いスパンで異動してしまうものだから、地域の特色すら見えていないこともある。「ここじゃ、何にも体験できないわ」ということになってしまうから、ここにはこんなものがあるよ、ということを見せないといけない。さっきの北上町の食のリストのようなもの、生活マップだとか、地域の資源マップだとか、小泉さんや橋口さんのような人のリストが学校にあれば、それを伝えようとする力が生まれてくるのではないか。まあぼくら教師の構えの問題なんでしょうけど。

 ぼくはいままで中山間地のじいちゃん、ばあちゃんの知恵が残っている地域で食農教育をやってきて、いまは市場小学校というちょっと都市部の学校に移って、若干自分のなかで戸惑いがあるんですが、いまのようなやり方をすれば、都会でも東京でも食農教育ができるんじゃないかと思うんですね。

●農家の屋敷まわりの探検から

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ある農家の長屋門付近にあった道具
図2 「泉の里の地元学」より。ある農家の長屋門付近にあった道具

結城 「何もない」と思われている地域で、「そこにあるもの」をさがしていくのを「地元学」と呼んでいるのですが、地元学はその土地に住み、暮らしてきた人の声に耳を傾けることから始まります。すべての家を調べることはできないけれども、一軒のお宅を詳しく調べることでその町の暮らし方を知ることにつながらないか、という思いから、私は農家の屋敷まわりの探検に行くんです。お年寄りが二人で暮らしているよくある農家です。

 そこで屋敷をアバウトに測量して、デジカメで家の水まわり、玄関まわりの写真を撮った。そして撮った写真を伸ばして、そこに映っているさまざまな道具に、参加した連中が名前を書き、わからないところは聞いてリスト化していくわけです。通りすがりの人から見れば、何の値打ちもないガラクタです。だけどここのおじいちゃんやおばあちゃんから見れば、そのうちに使うもの、これまでも使ってきたものなんです。農家には、田んぼの道具、火の道具、水の道具、実にいろんなものがあります。それで一週間後にまた訪ねていくと、ひょいと場所が動いている道具があるのですね。それはなぜかというと、ぼくたちがいない間におじいちゃんとおばあちゃんがこの道具を使って仕事をしていたから。そこで「どんな仕事か聞いてこい」ということになる。そこから、いろいろ話がでてくるんですよ。なかにはおじいちゃんも忘れているものがあって、そこから町での聞き取りが始まったりもします。

 そうするうちにそれが高じて、年越しのときに注連縄を飾るところをおじいさんについて歩いて調べる。二一カ所もあってそれが水と火を使うような大事なところなのですね。庭にある木も全部調べる。ケヤキが四本で、イチョウが三本で、柿が七本あるとか。調べてみると五六種類もありましたね。そうすると、先ほどのこの道具につながってくる。たぶん趣味で植えているんだろうと思っていたのが、使うために植えていたことがわかったのです。ついでに畑では四八種類の野菜がとれる。そういうことがわかってくると、おじいさんが、「そんなに金はかかんないもんだ」と言った最初の頃の言葉の意味がわかってくる。そういうもので、なんでもなく見えるものや当たり前のところにも、ていねいに向かい合うといろいろな発見があるのですね。

藤本 結城さんが歩いて取材をして聞き取りをしていく基本的なスキルがあると思うんです。ぼくらみたいに学校の外に出かけて行って地域で話を聞く教師はまず少数派なんですよ。それと、何を聞いてきたらいいかわからないんだということもあるんです。フィールドワークは大事だとわかってもそのノウハウがわからない。これは家庭訪問のノウハウにも通じます。いきなり「お子様の学力は」と言われると、親はかまえるでしょう。だから、家庭訪問に行ったらまず玄関まわりの話題から始めろ、と校長から言われたことがありますね。

結城 農村ではまず軒下を見ます。「ああ、珍しいものが干してあるけど、名前なんていうんだっけ」と。本当はわかってるんですよ。でも、「どっかで見たんですけど」とか言って、「あんた、そんなことも知らないの」と。そのへんでは珍しい、「ホワイト六片」っていう大玉のニンニクを苦労して栽培していることを話してくれたりね。仕事をしている人は、その仕事についてはよく知っていますね。さっき「ラベル言葉」という話が出たけど、ぼくがさっき言った知識というのは、名詞をどれだけ所有するかではなくて、動詞をどれだけ生かすかということです。いまの学生は名詞をたくさん抱え込むことが学びだと誤解していて、動詞が欠如している。

 聞き取りに行くときに学生に教えていることは、5W2Hを聞くというだけ。道具だったら、誰がこれ作ったの、誰が使うの、どこで使うの、いつ使うの……というようにわからないことを聞いていけばいい。そうすると、ふつうの農家のすごさに学生たちは気づくのですね。それでどう変わるかというと、学生たちが敬語を使い始めるんですよ。でも使い方が下手だから、ラリラリになっちゃうんだけどね(笑)。

藤本 何もないんじゃなくて、何も見えていないんですね。

●都会でもヒトとの出会いが

――田揚先生も狛江で小麦を作るときに、おかあさんたちだけじゃなくて地域の人の力を借りていますね。

田揚 朝市に出ているお二人のおじいちゃんです。いつも月曜日と金曜日に学校の隣りにあるJAバンクの駐車場で朝市を出していたんですね。私は道の駅のようなところが好きなので、いつも野菜などを買って帰っていたんです。だんだん仲良くなってきて、最初、一年生がサツマイモを作ったときに相談にのってもらい、今度また一年生で小麦をやろうと思ったので師匠になってもらうようにお願いしたのです。

 狛江って実は昔は小麦の生産地だったんです。多摩川の河川敷なものですから、水田にはあまり向かないのです。そのおじいちゃんに聞いたら、自分たちは小学生のときは、冬にわーっと風が吹いてくると、小麦の芽が出てきたものが土に埋まってしまう。それを全部取るのが小学生の頃の自分たちの仕事だったとおっしゃっていて、じゃあ、今度学校で教えてくださいと言ったら、来てくださったんです。

――おいくつくらい。

田揚 もう七〇過ぎくらいじゃないでしょうか。でも、学校園に麦畑の畝を立てるときにも、リズミカルに軽やかに畝を立てていきます。道具もちがうんですね。私はスコップは穴を掘る道具であって、農作業に使う道具ではないとこのとき悟りました。その手際があまりにみごとで感動的だったので、一年生の子どもたちみんながわーって拍手をしたんですよ。やはり子どもにもわかるんだなあと思いましたね。

――本物の持つ力ですね。

田揚 渋谷の学校ではお豆腐を作っていたんです。で、一軒だけあった豆腐屋さんのお得意さんになって、そのおばさんに来てもらって、学校で豆腐を作ってもらった。そのとき持ってきてくれた道具が、ただの木の箱かと思ったら、三六丁お豆腐ができる。しかも内側にすじが付いていて、均等にそのすじどおり切っていけば、同じ大きさのお豆腐に切れるという、ちゃんと考えられた道具だったんです。もう、すごく感心しちゃって、子どもも私も。

 いつもお豆腐をそこの店に買いに行っている男の子がいたんですよ。そのおばさんの家の近くで。で、次の日にその子が、「先生、あのお豆腐屋さんにあのおばさん本当にいた」と言ってきた。お母さんの話を聞くと、あの子はいつもお豆腐を買いに行っています、私が行かせていますって。でも、そのおばさんが来たときには、ああ、いつも買いに行ってるおばさんって全然思わなかったっていうのです。

藤本 わかるような気がしますね。

田揚 それでそのおばさんが帰ってから、お豆腐屋さんブームになった。小さなお豆腐屋さんだったから、学級でみんなで行って見るというわけにはいかないで、帰りに通る子は見に行っておいでなんて言ってたんですけど、誰も行かなかったんです。おばさんが学校に来たあとは、みんな寄るようになって。だから見ていても、その人にかかわらないと見えていないということはあると思います。


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