「総合的な時間」の総合誌
農文協
食農教育  
農文協食農教育2006年9月号
 

食農教育 No.50 2006年9月号より

50号記念特集 私が食と農にこだわるわけ

――20氏の思い

小浜市地図
中村桂子(なかむら・けいこ)

1936年生まれ。
東京大学理学部化学科卒業。理学博士。
三菱化成生命科学研究所人間自然研究部長などを経て、1993年
JT生命誌研究館を創設し、副館長。2002年より現職。

■「機械の時代」から「生き物の時代」へ

JT生命誌研究館館長 中村桂子

 日本経済新聞の「領空侵犯」に、「農業こそ小学校で必修に」というインタビュー記事が掲載されたところ、各方面から大きな反響がありましたが、この考え方は何も急に思いついたものではなくて、農業高校の教育に長年かかわってきたなかで、考え続けてきたものです。私はいまの高校のなかで、農業高校が好きなのですが、それは生き物にモノサシを置いて考えることで、先生も生徒も心が豊かになるからだと思うのです。

 私はDNA研究で生物研究に入りましたが、生き物を機械のように見る生命科学に納得がいかなくて、ゲノムの視点から生命の本質をとらえる「生命誌」を提唱してきました。その視点からは、20世紀が「機械の時代」であったのに対して、21世紀は「生き物の時代」にしなければならないと思います。「機械の時代」は科学によってすべてが解明でき利便性に価値がある時代です。人間もまた、科学によって構造と機能が分析され、機械のようにつくることができると思われてきましたが、それはできません。自然を知るためには科学も必要であり、科学の成果を踏まえて、生き物を基本にする社会をつくろうということです。

 生き物の特徴は、継続性です。いま地球上にはバクテリアからヒトまで五〇〇〇万種もの生き物が生存しています。その生き物は約三八億年前、地球上に誕生した単一の細胞を祖先として、それぞれの歴史を築いてきました。この間、地球上では大きいものだけで七度にわたる生物絶滅の危機があり、それを乗り越えて今日の生き物の世界があるのです。その世界は、たとえば熱帯雨林の多くの生き物を支えるキープラントであるイチジクが、その花のうで育つイチジクコバチによって受粉を助けられているように、持ちつ持たれつの関係にあります。人間もまた熱帯雨林が生み出す酸素によって生きながらえているように、生き物の一員であることに変わりありません。
ですから、生き物の視点に立つとは、価値観の基本を「利便性」から「継続性」へと移すことです。

 機械の時代、利便性を追求することで、人間は自然を破壊するとともに、「内なる自然」をも破壊してきました。「内なる自然」とは、身体であり心であり時です。人間は機械とちがって、内に時間をもっています。農業という、作物の種を播き、世話をし、収穫を待つ営みにかかわることによって、人間は「生き物としての時間」を取り戻すことができます。それは、人間が「内なる自然」を回復するうえでも大切なことなのです。

 機械の時代は、人工(科学技術・都市・制度など)によって自然から人間を切り離すことで、快適な暮らしを手に入れようとしてきました。生き物の時代、人間は人工と自然をつなぐ役割を果たさねばなりません。

 現代の人間は機械やコンピュータや都市だけが世界であるかのように思っていますが、私たちは生き物としてのヒトでもあり、その背後には三八億年の生き物の長い歴史と、個体発生の過程があります。科学による生命システムの研究(知識)の成果を生かしつつ、生き物としての感覚(知恵)を取り戻していかなければなりません。食農教育はこのような「統合の知」を生み出す場となるものなのです。

小浜市地図
安藤直美

1955年 岩手県二戸市生まれ。
郷土食の伝承と普及活動をしているなかで、岩手県北のすばらしい食文化をもっと多くの人に知ってもらいたい一心で、2002年に二戸駅前に農家レストランをオープン。

■残したい、伝えたい、郷土の大切な雑穀文化

安藤直美
雑穀茶屋つぶっこまんま代表

 私の住む二戸市は、岩手県の最北にあります。米栽培には適さない、山間傾斜地を利用しての畑作地帯。「やませ」の常襲地でもあり、夏でもこたつやストーブを必要とする年もあり、十数年に一度は稲穂に実が入らない冷害に見舞われます。
  そんな厳しい環境のなかで、雑穀を栽培し日常食とした歴史があり、いまだに雑穀は食べたくないと嫌悪感を示す年輩の人たちも少なくありません。

 一方、私たちの年代になると、そのような経験もまれで雑穀に対する抵抗はありませんが、逆にご飯に混ぜて食べる以外は調理法がわからないという人がほとんどです。
  一〇年前、私は『日本の食生活全集』(農文協刊)と出会い、二戸地域の郷土料理のすばらしい技法に気づきました。おばあさんが雑穀料理を再現するようすが淡々と記されており、当時、小学生の娘たちを子育て中の私は、自分の母や祖母とそのおばあさんがオーバーラップし、切ない気持ちで読みました。同時に、「いったいこのなかのいくつを私はつくることができるのかな? 同世代でその技術をもってる人が何人いるだ
ろう? 誰が次の世代につなげるんだろう?」とわが身を振り返りました。

 失われつつある日本の食文化……。まだ間に合うかもしれない、いま行動しなければ本当になくなってしまう。居ても立ってもいられなくなり、賛同する仲間で平成十年に「おらほの手づくり倶楽部・食い道楽」という郷土料理の研究グループを立ち上げました。
グループの活動は、ひっつみ、かっけ、豆しとぎ、てんぽなど、伝統的な雑穀料理の技術をマスターすることが基本です。それと同時に、私が提案したのは雑穀の新しい調理法、いわゆる創作料理でした。二戸に伝わる雑穀を、他地域や若い世代の人たちにも抵抗なく使ってもらうためです。その活動の集大成として、地元の駅前に農家レストラン「雑穀茶屋つぶっこまんま」をオープンさせ、四年が経過しました。

 手づくりをベースに手間ひまをかけた店づくりは、利益追求型の経営から考えたら、失格と言われると思います。しかし、それだけでは得られない何かを手応えとして感じています。いまやらなければ失ってしまう味や技術が少しずつ伝わってきているという実感です。たとえば、「へっちょこだんご」と呼ばれる、タカキビの団子を小豆汁に入れて煮た料理があります。最近では、タカキビの代わりに米粉を使ったへっちょこだんごが、当地でも増えてきています。しかし、タカキビ特有のエグミを、小豆と砂糖の甘みを加えてほどよい味に仕上げ、コシがあってふんわりと軟らかく、ほかではだせないおいしさを引きだした先人の知恵には、感動すらおぼえます。

 現代のように科学的に理論立てて始める料理とちがい、暮らしのなかで伝承されてきた郷土料理は、どれも食べておいしく、しかも理にかなった調理法なのです。
 地元のお母さんたちのサークルや、幼稚園での料理体験。総合学習で店にやってくる小中学生や家庭科クラブの高校生、卒論のテーマにしたいとやってくる大学生。田舎の郷土料理に魅力を感じ、遠く都会からわざわざやってくる人も、増えてきました。

 これからも、伝統的な雑穀料理の伝承と創作をとおし、農家のお母さんが営むレストランにしかできない食農教育――身近な食材を生産し、それを生かし切る技術や味の伝承――を続けていきたいです。

雑穀茶屋つぶっこまんま
http://www15.ocn.ne.jp/~tubukko/

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