「総合的な時間」の総合誌
農文協
食農教育  
農文協食農教育2006年11月号
 

食農教育 No.51 2006年11月号より

フワフワの絨毯のようなコウジ菌
(倉持正実撮影)

■こだわりの味噌づくり

のぞいてごらん!
小さな麹の大きな仕事

新村こうじ・みそ商店 新村義孝

 私の住む富山県は日本のほぼ中央に位置し、後ろは三〇〇〇m級の立山連峰、前は天然いけすといわれる魚種豊かな富山湾が広がっている。森や川も多く水もきれい、農業のほか、製薬、金属などの工業も盛ん。おかげで勤労世帯の実収入、貯蓄率、持ち家率そして住みよさなどは全国トップクラス。勤勉実直、温故知新の気質や三世代同居型の家庭が多いせいであろう。反面、面白味がないなど日本人らしいといえばまさに典型的なタイプの土地柄である。

 私と同業の麹屋も人口比で見ると全国一多い県である。しかし、ほかの伝統産業と同じで、麹屋も需要減、高齢化、後継者難などの問題を背負っている。ここでは、麹屋の実情、麹とは何? といった解説をしながら手前みそな話をしてみたいと思う。

麹の要は酵素にあり

 「麹」は「糀」とも書き、米を蒸してコウジカビの胞子を播き、温度三〇℃、湿度九〇%の麹室の中で四日ほど繁殖させてできあがる。細かな菌子がびっしりと繁茂、まっ白な絨毯のよう。麹は酒、味噌、醤油、甘酒、漬物、鰹節など、日本古来の発酵食品づくりに欠かせぬものだ。平安、室町時代から普及し、わが国独自の製麹法も生まれ、世界に冠たる発酵食文化を築いた立役者でもあり、日本の「国菌」と呼ばれる由縁でもある。

 説話『花咲じいさん』は木の灰を用いて桜の花を咲かせるが、麹づくりにも木灰は欠かせない。木灰は強いアルカリ性で、ほとんどの有害菌は死滅してしまうのに、コウジカビは死なない。そこで、木灰でコウジカビだけを純粋培養させ、米を栄養にしてこれを繁殖させる。写真のようにコウジカビが繁殖することを「麹の花が咲く」というが、木灰で米に花を咲かせる麹(糀)屋は現代版花咲じいさんとでもいおうか。

 さて、コウジ菌の要は、彼らが生きるために分泌する酵素にある。コウジ菌はデンプンやタンパク質、油脂ほかを分解する各種の酵素を大量に生産する。これら酵素(製剤)を製造する大手企業では、今や医薬品、食品工業、洗剤など多くの分野に活用を広げコウジ菌はますます活躍を見せるが、一般の人たちにはあまり知られていない。麹屋といえばやっぱり味噌や甘酒をつくる麹を買う店なのである。

味噌づくりは一家総出の年中行事

 少し昔の話をしよう。昭和三十年ごろまでは味噌や漬物は自分の家で手づくりをするのがふつうであった。麹屋は町や村にたくさんあった。大豆がとれた晩秋のころ、一つの村で味噌づくりが始まると、隣から隣へ、次々と麹屋から借りた大釜やチョッパー(煮た大豆をすりつぶす道具)が回り、麹屋は一軒一軒麹の注文や米の預かりをして回る。預かり米を麹に加工するのが商売である。

 さて麹が用意されると一家総出で味噌づくりがはじまる。早起きのじいちゃんは大豆を煮る係。ばあちゃんは総監督。大豆や塩を運んだりつぶす力仕事は男衆。女衆は桶を洗ったり麹をほぐしたり。若い嫁さんは嫁ぎ先の味を覚えようと細めにみんなの世話をする。子どもたちはそんな大人の傍で豆をつまみながらはしゃぎ回る。

 味噌づくりはたいへんだが、一家の者が力を合わせて行なう楽しい年中行事であった。現代と違い、味噌は大切な保存食、何にでも合う万能調味料だから、たくさんつくる。一軒で大豆二斗も三斗も仕込む。

 私も小さいころよく父の仕事に連れていかれた。囲炉裏の端では、よもやま話から嫁さん捜しまで、麹屋は何でもよく頼まれた。ばあちゃんのつくった甘酒や大皿いっぱいの漬物もとてもうまかった。小さいころの記憶だが、こんな手づくりのものばかりを食べていたころは、不思議と風邪をひいたり、医者にかかることはあまりなかったと思う。貧しいながらも自然と共にたくましく育てられた気がしている。

蒸した米を冷却し、コウジカビを種つけする。左が筆者
温度30℃、湿度90%の麹室にて

味噌は生きもの、日本の空にもしみ込んでいる

 ところで、昔から「手前みそ」といって、味噌にはわが家だけの自慢の味がある。大豆や麹の種類の違い、配合割合、水や保存場所でも違いがでてくる。

 たとえば麹は米、麦、大豆と大きな特色がある。色も赤から白までさまざま、全国各地を旅すれば、地方独特の味噌があり、料理がある。かりに一千万世帯が味噌をつくれば一千万の味があり、みんな手前みそである。しかし、材料がほぼ同じだから、総じて味噌の味は大きく変わらない。それはなんとも懐かしいおふくろの味であり、日本の空の空気にもしみ込んでいる。

 よく味噌汁は煮かえすな、といわれる。香りが飛ぶのは無論だが、さらに味噌の中の生きた菌を殺すなという意味もある。じつは味噌は生きものなのである。発酵熟成中にタンパク質はアミノ酸に、デンプンはブドウ糖に分解されるが、さらに桶や蔵に棲みつく乳酸菌や酵母菌が熟成に大きな役割を果たす。味噌の効用として知られる生菌効果、抗ガン効果をひきだす成分を分泌し、より奥深い味を醸すのである。短期間で人工的に温度をかけて発酵させる促醸ものとは一味違う。昔ながらの手前みそは、今で言う秘伝の味なのかもしれない。

自信をなくした日本人の帰る場所

 では現代の味噌事情はどうであろうか。戦後あるいは高度経済成長以降、外国からさまざまなモノ、食料も輸入されてきた。また、女性の社会進出も手伝って、新しいもの好きの日本人には、味噌づくりはめんどう、つくらなくてもスーパーにたくさん並んでいる、古くさいなどなど、昔のものや考え方は悪い式の風潮が高まった。経済的豊かさを追い続け、エコノミックアニマルとも呼ばれた果てに、今では「自信のない日本人」「切れる」「我慢できない子どもや大人」「自分のことで精いっぱい」という社会である。何かを失った日本に惑う人は多い。当然のように味噌づくりは減少し麹屋も激減してしまった。

 私の長男はこの一〇年間東京で暮らしていた。若いときしかできないこと、自分の夢に挑戦していた。しかし、どこかで家業を継がねばという気持ちがあったのか、あるいは齢を重ねてはじめて自分の居場所がわかったのか、昨年、東京暮らしに終止符を打ち帰省し、今は麹屋の五代目として修業中だ。

 なにもわからない門前の小僧だが、若者らしい意見も飛び出してくる。手づくり体験教室もその一つだ。小さな麹が残してきた大きな仕事、酵素の不思議なパワー、人間と微生物の共生、自然や地球ともかかわる麹から知った大きな世界に彼は驚嘆し、子どもたちに伝えたいという。

工場から15km離れた味噌貯蔵庫
夏休みに行なった「親子味噌づくり教室」
釜炊き小屋。薪を焚いて大豆を大釜で煮る

味噌がもたらす「若い親の感性」「ばあちゃんの笑顔」

 この夏「親子味噌づくり教室」を開いた。大きな釜で大豆を煮る、燃料は薪だ。枝豆が味噌豆と同じ? 知らない親もたくさんいた。大豆をチョッパーでつぶす。でてきた細い長い豆に、「ラーメンだ!」「モンブランみたい!」とみんな大笑い。麹や塩、煮汁をまぜて保存容器に入れる。指の味噌をなめて「しょっぱい」。親子の温い眼差しを受けた味噌は、色は白いがとてもおいしそうに見えた。「味噌の熟成はとってもスローだけれど熟成すればするほどおいしくなる。人間も同じだよ!」。別れの言葉も手前みそっぽくなってしまっていた。

 「東京の息子がさあ、母ちゃんの味忘れられん言うもんだから、めんどうだけど毎年つくるがよ」「うちの嫁がね、こんなおいしい味噌食べたことない言うもんだから実家に持っていかれ言うたら、次の年から倍つくらんならんがいね」。困ったふうに言われるが内心は喜んでいる。店の古くからのお客さんの声、何ともありがたい言葉である。

 今の時代、つくった人の顔が見えない、お金さえだせばなんでも手に入るといわれているが、まんざらそうでもないらしい。まだまだ捨てたものでもない。今、若い親たちは子どものことや健康にとても真剣である。味噌汁の内容も少しずつ変わってきている、具だくさん、外国の素材も入れる、アレンジがうまい。日本人の器用さは他国の文化を受け入れながらも、うまく消化し、やがて自国の文化と融合させ発展させるところにある。この性格はまるで味噌のようだが、味噌はしっかり味に筋が入っている。私たちもしっかり味のついた社会をつくっていきたいものだ。

 食べることは楽し、されどつくることはもっと楽し。

(富山市小泉町一番地:0764-21-6428)

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