「総合的な時間」の総合誌
農文協
食農教育  
農文協食農教育2008年7月号
 

食農教育 No.63 2008年7月号より

食べ方で比べると、岩手県軽米町では、フキの葉で包んだ赤飯のおにぎりを、田植えどきの小昼に食べていることがわかる(「日本の食生活全集」3巻より、撮影:千葉寛)

中西先生の実践を読んで

もっと広がる行事食の世界
「日本の食生活全集」を活用して

成城大学民俗学研究所 竹内由紀子

行事食から多方向に発展できる

 地域のおばあさんがおぼろげな記憶で語った「サ……なんとか」から出発し、見事にサビラキという行事食の再現に成功した西紀小学校の中西先生と三年生たち。当初は情報が少なくて苦労されたようですが、何人もの方と交流を重ねることで、だんだん実態が明らかになっていきました。現代の子どもたちが知らない世界を、体験者から直接聞き、書物の中の知識を学ぶのではなく、体験者を目の前にして過去をリアルに感じることの意味は大きいと思います。

 行事には家庭内で行なう行事、神社の祭りのように集落全体で行なう行事、冠婚葬祭のように親戚・近所が集まって行なう行事があります。また行事食も、神仏への供えもの、一緒にご馳走を食べることで人間関係を深める宴会、家同士の関係をつなぐ食べものの贈答など、さまざまな場面があります。こうした点に注意すれば、次頁の図のように、行事食から多方向に発展も可能でしょう。

 行事食の食材は、基本的にご馳走です。日常食と対比すれば、ふだんの食生活を知ることができます。また、食材の入手方法から、自給的な生活、自然の恵みを利用する生活、また、昔から購入していたもの、その購入先(スーパーではなく行商から、など)がわかります。調理の場面からは、カマドやイロリ、井戸のあった暮らしなどがわかります。

 行事食は、家族・親戚・近所・神仏などと食を共にすることで、絆を強めるためのものでした。行事食をつくるのは主婦(女性)とは限りませんでした。餅搗きや正月の雑煮、祭りの日のすしつくりなどは、男性が主役の場合も少なくありません。神社の祭りや結婚式・葬式など、地域の人びとが集まって料理をする場面もありました。お互いのつながりが大事だった時代が実感されます。

題材や協力者を探すには

 岡澤さんのような、既に学校と連携している方がいない場合、『日本の食生活全集』(農文協刊、一六六頁参照)が教材の題材探しの手引きになるでしょう。県内をエリアに分けたうえで、各調査地の事例を詳述しているので、校区近辺の行事食を把握することができます。また、地元で刊行された自治体史(『○○市史』など)や民俗調査報告書の年中行事・祭礼・食生活の項目などが参考になります。

 題材が決まったら、実際に体験した方を探します。自治会長、老人会長、神社氏子会長など、地域の事情に詳しい方に、誰が昔の生活や行事に詳しいか、協力していただけそうかうかがってみます。実際に話を聞きはじめると、同じ地域でも集落や家によって少しずつやり方が違っていたりすることがあります(炭焼きのおじいさんの山ブキの葉のように)。どちらかが間違いで、どちらかが正しいわけではありません。また、一人の記憶が断片的でも、何人かの話をつなぎ合わせると、全体像が見えてきます。座談会形式でお話をうかがうと、次々に記憶が引き出されることがあります。

比べるとより多くが見えてくる

 同じ行事や行事食がほかの地域ではどうなっているのか、比較検討することで、より多くのことが見えてきます。農文協のルーラル電子図書館(一六六頁参照)を利用して、サビラキを例に展開してみましょう。

 西紀小学校の実践では、サビラキとは田植えどきのおにぎりの名前でした。田植えは、現在は田植え機で家ごとに行なうのが一般的です。でも、田植え機普及以前は、近所や親戚との手伝い合いの共同作業で行ないました。大切な稲作のはじまりである田植えは、激しい労働であると同時に、親しい人たちが集まって協力し合う楽しい行事であり、また稲作の成功を祈って神様を迎える祭りでもあったのです。

▼名前で比べる

 まず名前から入ってみます(検索対象は「全文検索」、データベースは「食全集」、並べ替えは「作品別・目次順」にしておくと北の都道府県から並ぶので見やすい。食全集は方言で記述していたり、表記が漢字かひらがなかが巻によって違っていたりするので、検索しながら工夫が必要である)。

 「さびらき」と検索してみると、兵庫県多紀郡篠山町(現篠山市)のデータもちゃんとあります。「のしろに苗がよく育つことを祈って、五月十日ごろに行なう行事である。/正月の縫い初めの二つの米袋の一方の米で、炒り大豆入りの豆ごはんを炊き、これを朴の葉に包んで、栗の木の枝に二つくくりつけて田のあぜに立てる。夕方になると子どもたちは朴葉包みの大豆ごはんがほしくて中身を食べに行き、葉だけをそっと元にもどしておく」。大正から昭和の初期を再現する食全集は、今では聞けない話も載っています。

 篠山町以外では、秋田県仙北郡中仙町(現大仙市)、愛知県豊橋市、三重県志摩郡志摩町(現志摩市)、滋賀県高島郡朽木村(現高島市)が検索され、そこからサビラキとは田植え開始の行事であることがわかります。西紀小学校のサビラキは、行事の名が行事食の名前になっている例だったのです。

 『日本民俗大辞典』などを引いてみると、サビラキの名は広く使われている名前だということがわかります。地方によって、同じ行事をサオリ、サンバイオロシ、ウエゾメ、ナエタテなどと言っています。民俗学では、サビラキは「サ開き」、サオリは「サ降り」で、「サ」とは田の神であると解釈しています。日本には、神社に祭る神以外にも、山や川、井戸などにも神がいて、人びとの生活を守っていると考えられてきました。大事な田植えの前に田の神をまつる行事がサビラキだったのです。

▼食べ方で比べる

 検索した「さびらき」の食べ方を見ると、秋田県中仙町では黄粉をまぶしたおにぎりを朴かイタドリの葉に包んだもの、滋賀県朽木村では白飯のおにぎりや小豆飯を朴葉で包んだ朴葉飯で、西紀小学校のサビラキに似ています。同じ行事をサビラキ以外の名で呼んでいることもわかったので、ルーラル電子図書館で、今度は「田植え」(全て含み)かつ「おにぎり おむすび」(いずれかを含む)で検索してみます。一一二件と少し多いですが、タイトルを参考にいくつか拾い読みしてみると、開始の行事のときだけでなく田植えの最中にも、おにぎりが多く登場します。おにぎりは大豆飯、小豆飯、黄粉をまぶした白米飯などで、黒豆でなくても豆に関係していました。おにぎりを朴葉で包んでいる例が多いようです。

 この朴葉に焦点をあてて、「朴葉 朴の葉 ほおの葉」(いずれかを含む)で検索すると、朴葉が田植えの頃にちょうど大きくなって、包むのに適してくることが書かれています(福井県越前町など)。朴葉は、いろいろな食べものを包んだり、いいずしを漬け込むときに密閉するのに使ったりと、今のラップやビニールがなかった時代に活用されていたのです。

▼食べる目的で比べる

 朴葉のおにぎりを食べる目的に注目すると、篠山では子どものおやつでしたが、ほかの地域では、田植えに集まった人たちの食事・間食だったり、水口(田に水を引き入れる口)や畦に供えたりしています。田植えに来てくれた人に出す食事は、労働のお礼であり接待でした。せいいっぱいのご馳走が出されました。また、重労働であることから、田植えのときには三食以外に間食を用意しました。白いご飯は力が出ると考えられていました。供えるのは、田の神に向けられています。篠山でサビラキを栗の木に吊るしたり、田の畦に挿したのも、供える作法だったと考えられます。それを子どもたちが食べたのは、各地のいろいろな行事で、子どもたちが神の代理をしていることを連想させます。そうでなくても、人手のいる田植えには、子どもたちも仕事場である田に行って作業を手伝ったり、大人と一緒に過ごしました。こうした経験は、当時の子どもたちに、地域社会の一員としての自覚を促したのではないでしょうか。

 行事食の探求は、レシピの復元だけでなく、当時の食生活の全体像、生活の苦労や楽しみ、信仰や人びとの結束など、さまざまな過去をたどる糸口として活用できると思います。また、行事食を題材とすることは、子どもたちが、地元のお年寄りや祖父母ら、異世代と交流する貴重な機会です。最初は尻込みしたお年寄りも、交流を通じて、ご自身の体験や知識の価値を再認識されると思います。そこで生まれた人間関係は、子どもたちにも学校にも、貴重な財産となるでしょう。

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