主張
ルーラルネットへ ルーラル電子図書館 食農ネット 田舎の本屋さん
農文協トップ主張 1987年10月

施肥の上手、下手が微生物と作物の仲のよしあしを決める
新しい土つくり運動を

目次

◆微生物を「有害菌」に仕立てあげたのはだれか
◆微生物が作物を強健にする◎植物は微生物のスープの中で育った◎微生物がいて作物は命をまっとうする◎共生は多様性から生まれる
◆過剰施肥が、弱い菌をやっかいな病原菌に変える
◆共生関係を強める施肥、土つくりの新しい段階◎微生物を養う根をつくる「減肥」◎共生関係の「場づくり肥料」

 土壌病害による被害は、いっこうに衰えそうにない。むしろ、ますます深刻化している。

 問題なのは、これまで病原菌とみなされなかった病原性の弱い菌までが、土壌病害の仲間入りをし、猛威をふるうようになってきていることである。

 いったい、この病害多発の背景に、どんな問題が横たわっているのか。そして今、どんな土つくりが求められているのか。

微生物を“有害菌”に仕立てあげたのはだれか

 そもそも土壌病原菌とは何なのだろうか。いうまでもなく土壌微生物の仲間である。そこで、微生物の中でも“有害なもの”を病害菌とみなすことになるわけだが、事柄はそう簡単ではない。

 病原性フザリウムでも、ある一定の密度なら、むしろ土の中にいたほうが作物の生育がよくなるという報告がある。逆に病原性をもたない微生物でも、それだけが異常にふえるなら害をもたらす。だから、この際、微生物を「これはいいもの」「あれは悪いもの」と決めつけてかかる発想を、まずはやめてみる必要がある。

 フザリウム菌にしろ、リゾクトニア菌にしろ、それほど作物への侵入力が強いわけではない。束になってかかって、ようやく根を攻撃できるような弱い病原菌なのである。そんな病原菌による被害が、多くの畑で慢性的にでるようになっているところに、事態の深刻さがある。

 土壌病害とは、微生物が根を攻撃することであり、根と微生物がきわめて悪い関係に陥っている状態をさす。しかし、根と微生物は本当は大変仲がよい間柄にあることにまず注目したい。微生物は植物よりずっと前に生まれた。微生物からみれば植物は新参者であり、栽培作物となるともっと新参である。この古参と新参との関係は、つぎのように考えることができる。

微生物が作物を強健にする

●植物は微生物のスープの中で育った

 「陸上植物は、生まれたその瞬間から微生物にとりかこまれており、微生物のスープの中で育ったともいえよう。新しく生まれた植物は、必ず微生物の洗礼をうける。あるものはおそわれて死滅し、あるものは防御手段を獲得して生き残ったことだろう。植物は環境に変化に適応するだけでなく、他の生物の攻撃にも耐えて、次第に抵抗力を強め、微生物の中から毒性の弱いものを選んでとり込み、共生する方向へと進化した。微生物の中にも相手を殺して奪うだけでなく、植物と共生して栄養をとる方向へと進化するグループが現われた。

 植物と微生物との共生関係をみると、共生現象が成り立つというのは、双方の争いが終末に到達したことを意味しているように思える。植物の生活法とその進化からみて、植物にとって共生という生活法はしごく当たり前のことであり、少なくとも自然状態にあるかぎり、植物は本質的に共生生物なのである。」(小川眞著『作物と土をつなぐ共生微生物』――農文協刊より)

 植物は微生物と共生する。では作物はどうか。作物もまた植物としての歴史を引き継ぎつつ、それなりに微生物とのよりよい関係をつくってきた。ダイズの根粒菌や多くの作物の根に住む菌根菌(今の畑では少なくなっているが)は、作物から養分(光合成産物)をもらう一方で、作物へチッソ分やリン酸分などの養分を供給する。

 さらに根と微生物は、こうした直接的な助け合いのほかに多様な共生関係を結んでいる。たとえば、次のような事実に注目してほしい。

●微生物がいて作物は命をまっとうする

 作物の根は根毛などからさまざまな物質を分泌し、また根の組織を一部離脱させる。これらは、土の微生物にとっては栄養分に富んだかっこうのエサであり、根の表面には、それを求めてたくさんの微生物が集まり、非根圏(根から離れたところ)の何倍もの密度で生息する。

 これらの根圏微生物も、アミノ酸、脂肪酸、ビタミンや酸素など、さまざまな物質を分泌し、それらは、根に吸収されたり根に刺激を与えたりして、根の発達を促し根の活力を高めるのに一役買う。

 ここで興味深いのは、微生物の分泌物は、地上部の見ための生育をよくするというより、むしろ作物を小じんまりとしたしまった生育にさせる方向にはたらくことである。茎葉の繁茂よりは、病気への抵抗力や品質の向上を促す。それが微生物の供給する成分のはたらきの特徴のようなのである。

 茎葉を繁茂させることは肥料をやることでも可能だが、病害抵抗力の増強や品質向上は、そう簡単にはいかない。このあたりが共生関係がつくりだす妙というもので、飛躍していえば、微生物との共生関係のもとではじめて、作物は命をまっとうできるということかもしれない。

●共生は多様性から生まれる

 さらに、多様な微生物が根を覆っていれば、一部の微生物が異常にふえ有害化することはない。健全な根は多様な微生物を養い、多様な微生物は根に活力を与え病害から根を守る。

 共生と多様性とは裏腹の関係にある。共に生きることは、相手の生存を認めることであり、お互いに認め合う関係は多様性をつくりだす。

 多様な微生物が多様に住み分ければ、特定の微生物だけがのさばることはない。多様性は安定性をもたらす。大事なことは、どの微生物がよいか悪いかではなく、さまざまな微生物が互いに節度をもって生きている状態をつくることである。

 根も土も本来、微生物の多様性を保証している。びっしり張った根毛は複雑な環境をつくりだし、多様な微生物が住みつくことを可能にする。大きなすき間、小さなすき間、酸素が多いところと少ないところというぐあいに複雑な構造をもつ土も、微生物に多様な住み家を提供する。もともと、土には特定の微生物だけがはびこるのを抑え、植物と微生物との共生関係をうまく保つはたらきがあった。現在の土壌病害の多発は、土が本来もっていたこの能力がマヒしていることを意味する。なぜ、どのようにマヒしているのか。

過剰施肥が、弱い菌をやっかいな病原菌に変える

 ひとつは肥料のやりすぎ、「過剰施肥」である。根のまわりの肥料分が多すぎると、作物はチッソばかり優先して吸収しチッソ過多の生育になる。一見立派な生育に見えても、根毛の発達は悪い。根毛が少ないということは、根圏微生物が住む場が貧弱になるということだ。しかも、やっかいなことにチッソ過多の状態では、根からのアミノ酸などの分泌物が異常にふえる(二二七ページ参照)。根圏微生物が貧弱な状態で、分泌物がふえれば、いち早く病原菌がとりつき、やがて根圏を占領してしまう。

 さらにやっかいなことは、過剰施肥されるような畑ほど、微生物の多様性は失われ、土壌病原菌や寄生性センチュウが多くなっていることだ。共生菌や一般菌は肥料、農薬、除草剤などの人工物質に弱いものが多いが、病原菌には、土の悪化に耐えるしぶとさがある。

 悪化した土では、根の分泌物は病原菌を異常に増殖させる結果をもたらし、共生とは逆の関係をつくりだしてしまうのだ。

 こんな土に対し、未熟きゅう肥を施したりすると、事態はもっと悪化する危険がある。有機物は微生物のエサになり微生物をふやすといえば聞こえはいいが、それは一面では微生物相をカクランすることでもある。微生物が急速にふえる場合は土の中の酸素や養分を奪いとるから、根が酸素不足や養分不足の害を受ける。ふえた微生物が病原菌なら土壌病害がでやすくなる。有機物が微生物相を多様にするのではなく、むしろ単純化する方向に作用する。せばめられた場で、エサだけが多いと特定の微生物だけふえ、作物と微生物の共生関係はむしろこわされてしまうのだ。

 現代の資材的技術は、微生物を排除しようという方向をむいている。だが、その一方で有機物を多用するというように、微生物の力に依存しようともしている。排除しつつ依存しようという中途半端な人間のかかわり方、場をせばめつつ微生物だけはふやそうとする矛盾した手だてが、微生物相をカクランし、病害を招いているのである。

共生関係を強める施肥・土つくりの新しい段階

●微生物を養う根をつくる「減肥」

 今、大事なことは、多様な微生物が住める場をつくることである。微生物のためには有機物を入れなくては、とだれしも考えるが、有機物というエサを入れる前に、多様な微生物が住めるような場をつくることだ。

 まず根という場を豊かにする必要がある。根毛の多い根をつくることである。そのためには、やたらと肥料分がたまっているような土にしないことである。さわやかな土ほど、根毛はよく発達する。なぜ肥料がたまるか、それは、その作物のことだけ考えて、目に見える害がでないかぎりの目いっぱいの施肥を行うからである。そんな施肥が土を悪化させる。施された肥料を保持し作物に徐々に供給するという土の働きがマヒする。土がマヒし根がいじければ、肥料の効き方が悪くなるから、さらに肥料を入れようということになる。

 肥料の効きが悪いのだから、ただ肥料を減らすというわけにはいかない。少ない肥料でよく効かすような肥料の選び方や施肥法が求められる。本誌がくり返し主張してきた単肥をテコとする減肥路線はそのための有力な方法であり、そのことがまた多様な微生物の場づくりにもつながるのである。

 未熟の家畜糞尿を使うというのも危険である。これは養分の過剰蓄積を促進するだけで、場づくりには貢献しにくい。

 さらには石灰、苦土などの土改材の入れすぎも場をせばめる。土つくり資材というなら、むしろ粘土や炭のほうがそれにかなっている。これらは大きな表面積やすき間をもっており、微生物の住み家を多様にする。ヘタに有機物を入れるより効果が上がることが多いのである。

●共生関係の“場づくり肥料”

 これまで、施肥は肥料で、土つくりは土改材や有機物でというぐあいに、施肥と土つくりはバラバラなものとして行なわれてきた。施肥で土が悪くなるので、有機物で土をよくしようというぐあいだ。だが、そうしたやり方が微生物相をカクランすることは右にみたとおりである。

 それでは、施肥することが土つくりにもなり、微生物を養うことにもなる、そんなやり方はないものだろうか。それはある。

 そのひとつとして注目したいのが“ボカシ肥”だ。

 農家の工夫の中から生まれ、長い伝統をもつこのボカシ肥は、まさに微生物と作物が生き合う場をつくる「場づくり肥料」である。現代の土にピタリあった肥料である。

 ボカシ肥とは、鶏フンや油カス、魚カスなどの有機質肥料を発酵させてつくるものだが、山土(あるいは粘土、炭など)を相当量入れることも多い。他に肥料分が必要なら単肥などでおぎなえばよい。

 山土や炭は、養分を保持し、有用微生物の住み家を提供する。それを根のまわりに施せば、根圏微生物相が豊かになり、病害がでにくくなる。肥効は安定しており、減費にもつながる。

 ボカシ肥は、ただの肥料ではない。肥料的効果もあり、微生物を多様にし、さらにその住み家をも提供する総合的資材である。それは、作物と微生物の共生を助ける「場づくりの技術」として鍛えられてきた伝統技術の現代的復活である。

 昔の“肥《こ》え”はみなそうした肥料だった。

 そして、かつての有機物利用は根圏微生物を養う技術でもあった。落葉などの完熟堆肥を果菜の床土に使う、あるいはムギの発芽をよくするために種子と堆肥を混ぜて畑にまく、堆肥を混ぜた肥土をスイカの鞍つきとして植付場所のまわりにおく――それらは根を養い、根圏微生物を養うすぐれた技術であり、そうして使われた有機物が畑もよくしていった。

 これに対して、現代の有機物は、ひたすら畑にぶち込む資材になってしまった。畑をよくするはずの施肥も畑を悪化されている。微生物を養い、土の働きを助ける援助としての施肥ではなくなっているからだ。

 深耕と有機物多用だけが土つくりではない。根と微生物の共生を助ける立場からみれば、ボカシ肥のほかにも、さまざまな手だてが浮かんでくる。本号では、こうした新しい土つくりの考え方に立った実践例を集めて読者に提供する。どうかじっくりとお読みいただきたい。

(農文協論説委員会)

前月の主張を読む 次月の主張を読む