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農文協トップ主張 1988年12月

世界のコメ政治を変えよう
万国の農民、団結せよ

目次

◆コメ不作、静かすぎないか
◆アメリカのコメ輸出にアメリカ農民が反対
◆コメダンピング輸出で世界が混乱
◆他国の農民と自然を思いやる
◆自然、人間を守る共同戦線
◆外交穀物=コメと縁を切る
コメ不作、静かすぎないか

 東北地方から関東にかけての冷害は、農水省の九月十五日発表の作況よりも相当に深刻だ。作況八四と発表された宮城県、県南の角田市ではコメの収穫皆無の面積が全水田の六割にも及ぶ。「八〇年を下まわる作柄」「作況八四どころではない」という見方が各地に広がっている。

 本来なら早急に、被害・作柄の真の実態を明らかにして、被災地農家の所得補償対策、来年の減反面積見直しをすすめるべきだが、被災地農村は別として、国民の間にそうしたムードは高まってこない。大マスコミは、農水省の作況発表に際し、異常気象→コメの不作→農家の経営難ということへの配慮はきわめて薄く、関心はコメの過剰問題一本槍である。

「コメ、5年ぶりの不作か 『やや不良』 過剰避けられそう」(朝日新聞 9月30日)「コメ豊作ストップ 宮城など4県『凶作』 だぶつき基調は変わらず」(読売新聞 9月30日)

 こうした記事の中には、減反の緩和や、米価引き下げ(生産性向上)政策の見直しへの警戒心さえもうかがえる。あくまで、日本という¥国として¥の、コメの需給動向と、コメへの財政負担の行方が問題なのである。“お国の都合”によるコメのとらえ方だ。

 いっぽう、農業の側も、コメの不作という事態への対処のし方は及び腰だ。何といっても過剰がこわい、と思っている農協、農業関係者は多い。過剰が食管廃止論をさらに刺激し、それがコメ輸入自由化論再燃に結びつく。RMA(米国精米業者協会)のコメ自由化再提訴に、国内のマスコミや世論が呼応して、内圧・外圧の大合唱が起こるのがいちばん恐しい。ひたすら、米国通商代表部によるコメ提訴却下を待ち望んでいるとき、「やや不作」によるコメ論議の沈静化は、ホッと胸をなでおろすできごとでさえあるかのようだ。こちらもまた、不作という事態を“お国の都合”でとらえていることに変わりはない。

 いくらコメ自由化絶対反対を唱えても、コメをつくる者の暮らしむきにまでは思いをいたさない反対論では、国益路線でしかない。コメは絶対に自給だ、と意気込んでみたところで、それは国としての主食確保であって、不作に悩む生産農家や、飢餓をかかえる発展途上諸国の事情をみてみぬふりをする、日本のご都合主義というものである。

“お国の都合”によるコメ・農業のとらえ方は、決して“国民(農家・消費者)の都合”によるコメ・農業のとらえ方ではない。この点を明らかにして、食糧・農業問題を考えねばならない。いま世界的にみて、国家の都合で食糧・農業問題を論議しているときではなくなっている。

アメリカのコメ輸出に アメリカ農民が反対

 国家の都合による農業政策に対して、いま強力な反対運動を展開しているのは、ほかならぬアメリカ農民だ。

 去る八月、東京で「食糧自立を考える国際シンポジウム」が開かれた。呼びかけたのは日本の市民で、参加者は、アジア、アフリカ、アメリカの農家、市民、研究者など、まさに草根のシンポである。このシンポの最終日、「宣言文」をまとめるための討議中に、多くの人が驚く発言が飛び出した。

 宣言文案に、食糧輸出国は「アメリカのマーケッティング・ローンにみられるような低価格政策によって農産物の『ダンピング輸出』を行っているが、それは多国籍アグリビジネスを富ませるのみで、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの農民を苦しめ、自給的食糧生産を危機に陥れている』という一節があった。これに対して、アメリカからの参加者から「苦しんでいるのはアメリカ農民も同じだ。宣言文にもり込むべきだ」との提案があったのである。

 他国への農産物輸出を拡大し、食糧大国として世界に冠たるアメリカ。日本に対してだけでも、一二品目のガット提訴、牛肉・オレンジの自由化要求、そしてコメ提訴と、容赦なく市場開放を迫るのは、アメリカの国益のためであるのと同時に、それはアメリカ農民の利益にも直結しているはず、と考えるのがふつうだ。

 ところが、実態はその逆で、アメリカ農民こそ被害者だというのである。

 一九七〇年代の一〇年間にアメリカの穀物輸出は、三六〇〇万tから一億一〇〇〇万tへと三倍以上の伸びを示した。金額では六倍の急増だった。その中で、アメリカの農家は潤ったかというと、所得向上につながったのは七〇年代初めの数年間でしかなかった。「輸出拡大」のかけ声の中で、土地や機械に対する莫大な投資がすすみ、化学肥料や農薬の使用量が急増した。単作、連作に伴う土壌悪化も重なって、輸出ブームは、アメリカの農家を高コスト借金農業に追い込んでいった。

 そして、八〇年代、アジア諸国などの穀物自給力向上による穀物のダブつき、世界穀物価格の低下によって、アメリカの家族農場は危機を迎えた。八〇年代前半、一年間に五万の家族農場が倒産した。

 食糧を世界支配の武器とするアメリカの輸出政策、“お国の都合”による農政は、決してアメリカ農民の利益にはつながらなかったのである。

 だからこそ、八五年農業法にもとづく穀物のダンピング輸出に対して、アメリカ農民の多くは反対しているのだ。

コメダンピング輸出で世界が混乱

 ダンピング輸出は、とくにコメ輸出で強化されている。八〇年代、コメの世界的価格は急速に下落し、アメリカのコメは競争力を失って、在庫がふくらんだ。そこで、アメリカ政府は、コメの輸出価格の大幅ダウンを行なったのである。米価を一気にタイ米価格に近づける。その際に生産者の所得確保は、従来の政府の不足払いに加えて、輸出補助金にあたるマーケッティング・ローンを設ける、というものだった。こうしてアメリカ農家のコメの収入(目標価格)の実に七〇%を政府の不足払いが占める。という異常事態が出現した。

 しかし、このマーケッティング・ローンによる輸出促進はアメリカのコメ農家の経営状況改善にはつながらなかった。さきの国際シンポジウムにアメリカから参加した、六千haの水田を耕す大規模稲作農家、ハーベイ・ジョー・サンナー氏(アーカンサス州)は、次のように報告している。

「マーケティング・ローンはその成立の過程からすでに、その基盤となる思想として、私たちの生産物のもつ価値を認めていない。より高い価格(米価)がもたらす農家の経済的利益を無視している。その結果、アメリカの米関連産業が穫得する全所得のうち、農民の受取り分は一五%に落ち込んでしまった。これは全く不名誉な低い数字である」(シンポジウムの予稿集から)。

 コメ価格を大幅に引き下げての輸出促進は、RMAなどの精米業者、輸出業者の利益確保にはつながった。しかし、生産農家の取り分は大幅に圧縮させられた。アメリカの農業・食糧政策は、一貫して穀物メジャー・加工資本などアグリビジネスの利益確保を軸にすすめられてきたが、今回のコメダンピング輸出もまさにその線上にある(RMAのコメ再提訴は、一九八九年で期限切れとなるマーケッティング・ローンの延長をとりつけるための画策であるともいわれる)。

 つまり、“お国の都合”とは、国家とアグリビジネスの都合なのであって、農民の都合とは相反するものなのである。だから、レーガン農政に反対する。

他国の農民と自然を思いやる

 しかし、アメリカの農民、農業団体は、自分たちが被害者だから、という理由だけで、今の農政に反対しているのではない。むしろ、他国の農民への圧迫、そして世界的な農地・自然の荒廃を深刻な問題として受けとめているのである。

 国際シンポジウムにアメリカから参加したミネソタ州農務局の農政分析担当官、マーク・リッチー氏の意見を聞こう。

「アメリカが輸出食糧にたっぷりと補助金を出し、世界市場にダンピングするのは、第三世界の多くの農民を追い払うことが主たるねらいである。アメリカの価格政策が、第三世界にどのような影響をあたえるかを示す良い例は米である。(中略)

 アメリカのこの政策の主たるターゲットのひとつはタイであった。米の輸出は、タイにとって咽喉から手が出るほどほしい外貨の一五%をかせぎだす。米作は四〇〇万人のタイ農民にとって唯一の収入源である。米の国際価格を引き下げるアメリカの措置は、タイ経済を重大危機におとしいれ……。

 しかしながら、もっとも深刻な影響を被ったのは、西アフリカの貧困国の米作農民である。この地域の農民は自給をめざして生産能力を高めてきたが、アメリカの安い米は大型補助金がつくために、当地の生産費よりトンあたり八〇ドルも安く、米作農民は廃業に追い込まれた(「世界の農業・食糧・環境の危機をこえる道」海外の市民活動・別冊No.2)

 マーク・リッチー氏は、第三世界の多くの国では、低価格によってこうむった損失を、さらに生産量をふやすことで補おうとしたこと、その際、農薬やエネルギー多投によって労働力を減らす栽培法を取入れて、農村の失業者をふやすとともに生態系の破壊を深めたことも問題にしている。

自然・人間を守る共同戦線

 アメリカ農民、農業団体が基本問題としてとらえているのは、アメリカ農政とアグリビジネス・多国籍企業が結びついた食糧戦略が、世界中の農民を農業から追い出し、それが同時に食糧生産の基盤である農地と自然の荒廃をもたらしていることだ。

 最初に、“お国の都合”と“国民の都合”とはちがうものだと述べた。その決定的なちがいとは、世界の農民と、農地・自然をこわすのか、守るのかのちがいである。“国民の都合”とは、世界の農民を守り自然を守る方向を目指すものである。

 今日、人類の基本問題は、人びとがどれだけ自然とよりよくつきあい続けられるかにあり、それを可能にする社会にしていくことが課題である。世界の農民を守り自然を守ることは、結果として多くの人びとが、自然との健康的な関係を営むことにつながる。だから、“国民の都合”とは、“自然・人間の都合”といいかえなければならない。

 いま、世界で“お国の都合”と“自然・人間の都合”が対決しているのである。

 農民が農業から追い出される、というと、「大農経営、企業経営が残ればいいではないか」という議論が必ず起こる。しかし、アメリカの農民、農業団体は、「世界中の中小農民、家族農業の利益を守ることこそ重要だ」と断言している。

 これはもともと大規模、大農経営の国、アメリカの農民の意見だけに、心して聞かなければならない。アメリカ農業の最近の大規模化は“お国の都合”の農政のもとでやむをえずなされたものだった。その中でやむにやまれぬ対応として農薬・化学肥料多投もすすみ、土地の荒廃、水の汚染をもたらした。だから、自然の保全は、少数の企業的農業にまかせるわけにはいかない。

 中小農民、家族農業を守ることが、自然を守ることなのである。“自然・人間の都合”の方向で直接的、日常的に自然とかかわるのは、第一に世界の家族農業である。

 アメリカではいま、この点で、農民運動と自然保護運動など市民運動とが、考え方の一致をみつつあるという。世界の農民だけでなく、世界の市民が、“自然・人間の都合”の方向で共同戦線をとりつつあるのだ。

外交穀物=コメと縁を切る

 今年のコメの不作にあたり、生産農家の暮らしに思いをいたさないような“お国の都合”的な風潮について指摘した。この風潮は、政財界やマスコミはもちろん農業関係者内部にもある。しかし、これでは、右のような世界的、歴史的な大きな流れに乗り遅れるだろう。

 RMAのコメ再提訴は、まさにアメリカの“お国の都合・アグリビシネスの都合”でしかない。そもそも、生産額にして全農産物の〇・七%というアメリカのコメ、それがなぜこうも世界的な大問題をひきおこすのか。

 それは、アメリカにとってのコメが、国家の都合で動かされる農産物の象徴でもあるからだ。以前から、コメ産地の業界をバックに政界に出てくる政治家が少なくないことはよく知られている。しかし、それ以上に、生産量の半分以上が輸出向けというアメリカのコメが、常に「外交」の手段として使われてきたという面を見逃せない。

 たとえば、ソ連寄りしたキューバを封じ込めるためにコメの禁輸が行なわれ、コメ生産者と業界が大損害をこうむったことがある。また、韓国製織物がアメリカ市場になだれ込んだとき、これを抑え込む代償として、韓国へのコメ「援助」が画策された。ベトナム戦争などアジアの戦乱にあたっては、アメリカと結びつく政権を強化する有力な方法がやはりコメを送ることだった、などなど。

 量は少ないとはいっても、アメリカのコメは、必ずそのときどきのアメリカの武力支配・経済支配の強化、覇権的政策をすすめる武器として使われてきたことが重要である。それがアグリビジネス・多国籍企業の手を通じて行なわれ、コメ産地の政治家の政界進出と結びつき、相手国の政権・政治家と結びついて行なわれたのである。

 国家の都合で動かされるコメ。さきに紹介したアメリカのサンナー氏が、マッケーティング・ローンによる農家の所得補償をめぐって、「不名誉」と述べている根源はここにあるだろう。「生産物としての価値を認めない」というのは、まさに政治で汚されたコメ政策への批判である。

 いま、アメリカと日本の“お国の都合”、アグリビジネスや大資本の都合で画策される日本のコメ輸入、これが世界的にみて、世界の大多数の農民・市民、そして自然の立場からみて、許されるものではないことは、明らかだ。

 お隣の国、韓国では、今年米価運動が高揚している。それは農民だけの米価運動ではないことが重要だ。野党三党が二〇%以上の値上げ要求を出していることに見られるように、民主化へのねばり強い闘いと重なって、農民と労働者が米価運動をめぐっても協調しているようだ。

 韓国農業関係者のスローガンは「日本の失敗をくり返すな」であるという。日本の失敗とは、アメリカ小麦への依存によるコメの地位の低下のことである。韓国もまた、アメリカの食糧戦略の中で、急速に穀物自給率を低下させてきた。しかしいま、ねばり強く民主化をすすめるにあたり、国家と国家の都合による農政・食糧政策を変えていくことを、民主化の重要な課題としているからだろう。

 世界各国で農民と市民が協調して動いている。わが国農業は、ほとんどが家族経営である。“お国の都合”でなく、“自然・人間の都合”にそった食糧・農業のあり方を求める世界の新しい動きに参加し、その前進に果たすべき役割は、はなはだ大きいのである。

*「食糧自立を考える国際シンポジウム」の記録が、来月二月『現代農業・臨時増刊』として発行されます。

(農文協論説委員会)

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