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農文協トップ主張 1989年08月

都市の病いを農村が救う
都民、千葉都民が柳川のドブさらえに学ぶとき

目次

◆水に病む都市
◆飲む水と捨てる水の分離、「公」と「私」の分離
◆「公私共同」の地方都市、農村の論理
◆農村型水文化の象徴としての「ドブ川」

水に病む都市

 また「臭い水」の季節がやってきた。

 のっけから個人的な話で恐縮だが、私はいま、千葉県の松戸というところに住んでいる。その前は、ごく短い間だったが東京都葛飾区金町というところに住んでいた。

 松戸の水道の水もうまいとは言えないが、金町の水道水はまさに最悪だった。冬もまずいが夏場になると、一口含んだだけでまるでカビだらけのモチを口に放り込んだようなカビ臭さを感じる。以前、地方に住んでいたころは、二日酔の朝の水ほどうまいと感じるものはなく、この水のうまさを味わうために酒を飲むのではないかと思ったこともあった。ところが金町でそれをやると、腹の中で前夜の酒の残りとカビ臭い水が反応し、何か毒物に変わっていくような気さえした。

 水道水のカビ臭さをやわらげるために、しばらく沸とうさせて湯冷ましにしてみたり、浄水器を買って試してみたりしたが、はかばかしい効果はなかった。

 いま暮らしている松戸では、水道水のニオイはそれほどでもないのだが、通勤や日曜日の散歩のときに横切る川のニオイが鼻をつく。コンクリート三面張りで、水は褐色。そのところどころにドス黒い藻類のかたまりが浮いている。てっきりドブ川だと思っていたのだが、以前は農業用水や舟運にも使われていた「坂川」という小川であることを後になって知った。

 さて、東京や大阪などの大都市では、水道の水がたんに塩素やカビのニオイで「まずい」というだけでなく、浄水場の処理過程で発生する発ガン性物質・トリハロメタンによって「危ない」とすらいわれるようになってきた(トリハロメタンとは有機塩素化合物の総称。消毒のために原水に投入される塩素が、汚れの原因である有機物と反応してできる)。

 長々とわが地域の水と川について書いたのは、この水の「まずさ」「危なさ」を考える材料を提供したかったからだ。

 じつは、私が以前住んでいた葛飾区金町の水道水は、厚生省その他の調査で、「日本一まずい水」の不名誉なレッテルを貼られた「金町浄水場」の水なのである。その金町浄水場は、江戸川最下流の浄水場なのだが、皮肉なことにというか不幸にしてというべきか、一つの浄水場当たりでは日本一の三一〇万人という給水人口をもち、東京の足立、葛飾、荒川、墨田、台東、江戸川、江東、中央の八区と、北、文京、千代田、港区の一部に供給されている。「日本一まずい水」は、それだけ多くの地域の人々に飲まれているのである。

 そして、その金町浄水場の水のまずさ、危なさの原因とされているのが、わが「坂川」なのである。あの、ドブ川のような坂川が、金町浄水場取水口のわずか二・五キロ上流で江戸川に合流しているからだ。

「金町系水道水はなぜ、それほど、まずくてカビ臭いのでしょうか。それは千葉の松戸・流山市の汚水そのものである坂川が江戸川に流れ込み、その汚水まじりの水が金町浄水場の原水になっているからです。

 金町系水道水の臭気のもとになっているのはジメチルイソボルネオールという物質です。この物賃は汚れた河川や湖沼で繁殖する放線菌やらん藻類がつくり出すものです。このジメチルイソボルネオールについて金町系水道水への影響度をみると、坂川によるものが88%を占めています」(金町浄水場の水をおいしくする会のパンフレット「金町の臭い水をなくすために」より―傍点引用者)。

 カビ臭を取り除くため、金町浄水場で使われる活性炭の費用は年平均約五億円にもなるが、それでも半分の臭気除去率でしかない。

飲む水と捨てる水の分離・「公」と「私」の分離

 金町系水道の「臭い水」に対しては、たんに味覚の点ばかりでなく、健康や子どもの生育成長の面から不安を抱く人も多い。

 それに対して、国や東京都、松戸市もただ手をこまねいて見ているわけではない。

 問題は坂川の汚れた水にあるのだが、松戸市の坂川流域の下水道普及率は現在二〇%しかない。小規模下水道でなく、江戸川左岸七市の下水をまとめて処理する「流域下水道」方式であることが災いし、幹線敷設に巨額の金と時間がかかり、一九八五年になってようやく幹線が松戸に届いたからだ。しかも下水道増加率は毎年一・五%くらいで、坂川流域に下水道が普及し終えるまで約五〇年はかかるだろうといわれている(前掲「金町の臭い水をなくすために」)。

 また建設省は、バイパス水路計画(「流水保全整備事業」)を打ち出している。この計画は、現在の坂川・江戸川合流点から約一五キロ下流にまで河川敷に新しい水路を掘り、そこに坂川の汚れた水を流し込むことによって金町浄水場ヘの流入を防ぐというものだ。その工費は総額二〇〇億円にのぼるとされている。

 しかし、流域下水道もバイパス水路も、完成までに相当の期間がかかるため、東京都では一九九二年(平成四年)をメドに、金町浄水場にオゾン処理・活性炭処理を組み合わせた「高度処理施設」を導入する予定という。その建設費用は約一一〇億円である。

 また松戸市は、松戸市民にとっても不快な坂川の汚れを緩和するため、下水道普及とは別に、建設省がすすめる「ふるさとの川整備計画」の認定を受けた。これは、坂川のうち松戸市の中心部分を流れる五五〇メートルを、五年計画で約四〇億円をかけ、浄化施設を設けたり、街路樹を植え、明治時代の街灯を設置し、「水辺のある広場」(親水プラザ)、「市民のふれあいの広場」(アーバンオアシス)として整備する計画だという。

 このような、金町浄水場の水を「おいしく」し、坂川を「きれいに」する計画を調べていて、どうしても腑に落ちないことがある。それは、国や都の事業として、巨額の貴用を投じている一方で、そこに住む住民の役割、川や歌み水をよくする上で、住民には何ができるかということが、ほとんどといってよいほど考えられていないことである。

 そこにあるのは、「公と私の分離」という考え方である。川や水の管理は「公」、つまり行政の仕事であり、「私」である住民は、その結果だけを享受すればよいという考え方である。また住民の側も、税金を払ってその地域に暮らしている以上、川や水にかかわる問題は、行政に要求し、行政に解決してもらうことであって、自分たちが隣り近所どうし話し合ってどうこうすることではないと考えている。

 しかし、それで本当に川や水の問題が解決するのだろうか。そうではないことをはっきり示しているのが下水道の問題だ。

 かつて下水道は、(1)大雨による浸水防止、(2)ドブ川の解消、(3)川や海の水の浄化をもたらす都市の生活環境整備の上での最重要課題であり、「下水道は文化のバロメーター」とさえいわれてきた。いまでも選挙となれば、自民党から共産党まで、「下水道の早期普及」を公約として掲げる。その文化とは、飲み水は上水道にあおぎ、生活廃水やし尿は下水として流し去る、使う水捨てる水とを一回かぎりの使用で区別した、再生なき水利用=使い捨ての文化である。

 だがその“下水道神話”にも、かげりがさしてきた。いまの下水処理施設では、家庭廃水や工業廃水のアンモニア態チッソはほとんど除去することができない。また工場廃水に含まれる重金属やPCBなどの化学物質も処理することができない。

 しかし下水道神話が、「使ったあとの跡始末、すなわち流しの吸入口に消えたあとの水は、全て『公』の問題であり、行政の責任であるという意識」(三木和郎著『都市と川』農文協人間選書)、いわば「流しっ放しの意識」を「私」に植えつけた結果、いま全国のあちこちで下水処理場の放流水による飲用水の汚染がおきている。(とくに琵琶湖から大阪湾まで、京都・大阪の下水処理場と上水道取水口が錯綜する淀川水系での汚染がひどい)。

 坂川と金町浄水場の関係、淀川における京都と大阪の関係のように、大都市であれ、いま私たちが流しの排水口から捨てる水は、だれかがどこかで水道水として飲む水なのだ。もはや「公」と「私」とを分離する考え方では、川や飲み水の問題は解決できないところまできている。

 「公」と「私」を分離する考え方とは、問題の解決をすべて「公」にゆだねる住民の側の意識であり、住民は何もしない、できないと最初から決めつける「公」の意識でもある。

「公私共同」の地方都市・農村の論理

 私たちは、こうした「公私二分割」の考え方にたたず、行政と住民がそれぞれを信頼し、一体となって川と水を再生させた例も、全国の地方都市や農村でみることができる。

 そのひとつ、福岡県柳川市ではこの五月二十七、二十八日の二日間、「第五回 水郷水都全国会議」が開かれ、全国各地で川や水を守る運動に取り組んでいる住民運動の代表や行政マン、研究者ら一二〇〇名もの人々が参加した。

 この会議は、一九八四年に琵琶湖で開催された世界湖沼会議をきっかけに組織され、これまで松江市(宍道湖、中海の淡水化問題)、土浦市(霞ヶ浦)、高知県中村市(四万十川)など、それぞれ水や川と取り組む地方都市で開催されてきた。

 今回のメインテーマは「水循環の回復と地域の活性化―柳川掘割から水を考える」――荒廃がひどく、埋め立てられようとしていた掘割を再生させた柳川では、戦後続いてきた人口流出にもここ数年歯止めがかかり、観光客も、この十年間で五割もふえたという――そのことに学ぼうというテーマである。

 初めてこの会議に参加して驚いたのは、会議の内容もさることながら、一二〇〇名の参加者の世話をする裏方の人々が「地域ぐるみ」のボランティアであったということである。会場案内や湯茶の接待、宿泊所への誘導などに始まり、一日目終了後の交流会、会議終了後のイベントに至るまで、地元婦人会や観光協会、青年会議所、漁協、市職労などそれぞれの組織からボランティアとして参加した人たちがじつに見事に支えていた。

 住民運動というと、何か地域の中の対立構造を思い浮かべがちだが、柳川ではそういうものは感じられない。会議終了後の掘割でのイベント――たらい舟のような“ハンギリ”に乗っての競争、ドンコ舟での“掘割エイト”は、ただ会議に参加した遠来の客をもてなすためというより、沿道の市民も含め、まず自分たちが掘割の水と親しんでいるところを見てもらおうとしているようにみえた。

 じつは、このボランティアの人たちこそ、ドブ川のようになった掘割に入り、ヘドロを自分たちの手で浚渫し、掘割を再生させた人々なのである。

 柳川の掘割の再生については、すでにこの「主張」で何度かご紹介してきた。

 大都市の水問題の根底にある「公と私の分離」という考え方は、いまの柳川にはない。十年前、掘割の荒廃がその極致に達し、観光舟下りコースを残して大部分の水路を埋め、コンクリート張りの都市下水路にしてしまう計画がつくられたとき、市民に浚渫による掘割の再生を呼びかけた環境水路課課長補佐(当時都市下水係)広松伝さんの考え方について、映画『柳川掘割物語』(高畑勲監督)はつぎのように説明している。

「ただ目先の、いわゆる「市民のニーズ」を満たし、その尻ぬぐいに莫大な税金を注ぎこんでコンクリートや機械力に頼ったところで、柳川が美しく住み良いところになる見通しはない。

 むしろ行政は根本的なところで市民を信頼し、市民のなかにとびこみ、熱意を持って説得し行動することによって、市民のなかにある潜在的なエネルギーをひきだすべきではないのか。

 そしてもし、昔のように市民が自分達で清掃をはじめたならば、そして昔のように人々が川に親しみはじめたならば、もう水路を汚す気にはならないにちがいない。

 これが広松氏の考え方であり、行動の原点であった」

 堀割浄化再生のための住民との懇談会はのべ一〇〇回を超え、ヘドロの浚渫作業はほとんどの市民総出の人海戦術として展開された。

 この人海戦術は、思わぬ副産物をも生んだ。当初の広松さんの計画では、柳川市街中心地二キロ四方のなかの延長六〇キロの掘割のうち三〇キロがヘドロに埋まって水が流れておらず、それを浚渫するのに一億一六〇〇万円の予算を計上していた(下水道化計画は二〇億円)。しかも、業者の見つもりでは最低一五億円はかかるということだった。また期間も五年はかかるとみられていた。

 それが、三〇キロほとんどの浚渫が一年半で終わり、しかも工費は六〇〇〇万円ちょっとしか使っていなかった(それが乏しい地方都市の財政にとってどれほど貴重なことか)。松戸・坂川の「ふるさとの川整備計画」は五五〇メートルで四〇億円、建設省によるバイパス水路計画は一五キロで二〇〇億円の予算である。いくら税金を注ぎ込んだところで、住民の間に「自分たちの川」という意識が生まれなければ川はまた汚れる。柳川の人口は四万六〇〇〇人だが、松戸市の人口はほぼ一〇倍の四五万人である。また前例は柳川だけではない。都市河川再生の先輩、神戸市住吉川の場合には、長さ八キロの川の沿道に川を守る二六もの市民団体が生まれた。

 川を税金で埋める前に、「公と私をつなぎ」多くの住民の力を引き出すことを考える――これが自治体、行政マンの仕事ではないだろうか。

農村型水文化の象徴としての“ドブ川”

 その仕事は、単に工費(税金)節約にとどまらず、地域の未来にとって重要な世界を生み出す。

 柳川は、もともと低湿地を掘り上げてつくった田畑の中心に成立した地方都市である。周辺田畑は干ばつと洪水の両方の水の被害に襲われやすい。だからこそ先人たちは降った雨は毛細血管のような掘割に貯め、すぐには海に流れ出ないようにし、なお水の流れをゆるやかにして同じ水を繰り返し使うしくみをつくってきた。

 そのしくみが、独特の「水郷」としての景観ともなっているのだが、水の流れがゆるやかであれば掘割の底には藻や泥土、塵芥が貯まりやすい。その底土は毎年さらえてやることが必要であったが、それは周辺田畑の貴重な肥やしとなった。「私」(川をつかう)と「私」(田畑をこやす)がつながって、豊かな公共性が維持されていたのだ。

 このようなしくみは、地域自然に拠って生きる農村を背景にした地方都市では当然のことであった。そして、現代の柳川が底さらえを再生させたということは、下水道に全面的に依存した使い捨て水文化ではなく、掘割とともに生き、水を繰り返し使う農村型水文化=自然とともに生きる「私」が豊かな「公」を生み出す文化に自らの未来を託したとも言える。

 それと同じような選択が、高度経済成長期以降、急速に都市近郊ベッドタウンとしての肥大を続ける松戸市のような都市にも迫られていると思う(いま、それらの都市でドブ川化し問題となっている“小川”は、松戸・坂川のように、かつて農業用水としての役割を担ってきた川である)。

 自分たちが「都市型生活」として選んできたはずの使い捨て水文化に「臭い水」「危ない水」の手ひどいしっぺ返しを受けているいま、たとえそれがドブ川と化した小川であっても、水を繰り返し使う農村型水文化の象徴として、その再生に向けたつきあいを真剣に考えるべきときではないだろうか。そうした水と「私」のつきあいがあってこそ、金にまみれて公共性を失った政治の「公」の回復も展望できる。

(農文協論説委員会)

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