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農文協トップ主張 1990年06月

地域ごとの防除技術の確立が農薬を減らす
農薬防除を文化に!

目次

◆防除の「技術」はできていなかった
◆農薬の変化が「技術」を求めている
◆「高品質」品種で防除が変わる
◆農薬への期待と不安をうまく処理する技術
◆減農薬、高品質の支え
◆わが村の文化としての防除技術を!

 農産物の安全性論議がますます盛んだ。とくに最近、「低農薬」「無農薬」とか、「有機栽培」と銘打った商品が市場でふえるにつれて、「無農薬」「有機」の中身の問題がクローズアップされてきた。

 「ニセモノを取締まれ」「有機農産物の基準をつくれ」「有機農産物は完全無農薬・無化学肥料でなければならない」……などなど、ことは安全さの信憑性をめぐる問題に発展してきている。まさに農薬は継子であり、それを「使っているのか、いないのか」、白か黒かを問う、不信の構図で論議がすすんでいる感がある。

 食べものにとって安全性は不可欠な要素である。しかし、白か黒かを問う論議の中で、大切なことが見失われてはならない。それは、生産の場ですすんでいる「防除技術の確立」の動きである。農薬を使ってきた農家の中で確立されつつある農薬使用技術である。

 それは減農薬を支える防除技術の確立、といいかえてもいい。あるいは、より多くの農家が潤って、より多くの消費者に安全な食べものを届けられる防除技術の確立、といってもいい。

防除の「技術」はできていなかった

 ことさら、防除技術の確立というのは、いまようやくにして、技術とよぶにふさわしい防除技術が各地でできつつあるからだ。

 化学農薬はすでに明治の時代から使われ、昭和三十年代に急速に広がり成果をあげた。その当時にも病気・害虫の種類や生態の研究がなされ、発病と被害の診断が行なわれ、そこへ農薬の散布がなされたのだから、防除技術があった、といえないこともない。

 しかし、かつての、散布すればたちどころに病害虫を皆殺しにするBHCやパラチオンによる防除は、技術の名に値するものだったろうか。少なくとも、農耕の技術とはいえない。あるいは、農耕技術というには、あまりにも未熟だった。

 そもそも、いかなる技術の要素でも、それが生産の中に取入れられるときは、必ずプラス面とマイナス面が生じる。とくに植物―土―微生物を貫く生命連環を再生産する農業においては、このことは明らかだ。農薬という技術要素はその典型であり、病害虫を防ぐプラス効果の反面、作物に薬害を生じ、有効微生物や天敵を殺し、人体をむしばむというマイナス面をもっている。このことは、いまや誰れの眼にも明らかだ。

 プラス面が大きいほど、マイナス面に心がゆき届かないものだが、農耕の営みとは常に、技術要素のもつマイナス面を、作物―土―微生物(―人体)という自然のつながりの中に読みとり、自然とのつき合いが永続的に続く方向に向けて、マイナス面を解消し、折合いをつけていくことだった。それが農耕技術の確立の歴史である。

農薬の変化が「技術」を求めている

 農薬については、ようやくにして、ここ一〇年くらいで、技術確立の時期に入ってきており、いまが転期である。というのは、一つには技術確立をうながす客観的条件がそろってきている。客観的条件とは、農薬そのものの変化と、作物(品種など)の変化である。そして、もう一つ、それに対応する農家の主体的条件、技術的力量が高まってきていることだ。

 まず、客観的条件については、農薬そのものが変化した。昨年六月号の本欄で述べているように、農薬の低毒性化の要請のもとで、かつての広範な病害虫を皆殺しにするような毒性の強い農薬にかわって、限られた病害虫にしか効かない「選択性」の農薬が次々と登場した。特定の病害虫に作用し、しかも病菌・害虫の体や生理作用のうちの限られた部分を攻撃する。目標以外の生物に害を及ぼす程度が小さい、という点で「選択性」なのである。

 だからといって毒性が問題とならなくなった、というのではない。ただ、ここに防除技術の確立をうながす契機の一つがある。それは、最近のこのような「選択性」農薬は、作用点が限られているだけに、薬剤の効かない耐性菌や抵抗性害虫が現われやすい、ということだ。同じ薬を繰り返し使うと、すぐに耐性菌が出てくる。だから、とくに新しい特効薬ほど、もっとも適切な場面で一回だけ散布する、というように限定して使用しなければならない。

 そのためには、病害虫の予防に徹する。作物の健全な生育をはかり、病害虫の出にくい環境づくりをする。そして、防除は特効的ではないが耐性菌の出にくい予防剤(ダコニール、オーソサイド、石灰ボルドーなど)をうまく使う。つまり、作物の生育の初期のうちに予防剤を効かせて病害虫をここで抑え、収穫期にはごく薄く使う、などの方向である。

 病気・害虫が出たら即特効薬、という防除の繰り返し=従来型防除では防ぎきれない。つまり、農薬を効かすために、「予防管理―予防剤使用―特効薬使用」がうまくつながった防除技術が求められているのである。

「高品質」品種で防除が変わる

 客観的条件のもう一つは、作物が変わったことである。とりわけ品種の変化が大きい。最近の「高品質」「良食味」品種―これらが、従来型防除の転換=防除技術の確立を要請しているのである。

 井原豊さんが繰り返しいわれている「コシヒカリこそ減農薬向き品種」という主張は、端的にそのことを示している。コシヒカリを倒さず安定して穫るには、元肥多施、密植といった従来型技術を全面転換する。そうすれば、必ず農薬も減る。この点については、二月号の本欄で述べているので、今回は野菜について考えてみよう。

 野菜の最近の「高品質」品種は、とくに根が弱い、といわれる。イチゴ「とよのか」や「女峰」、トマト「桃太郎」、それに味は高品質とはいえないがキュウリのプルームレス。いずれも、根の弱さが指摘される。とくに収穫期に入って果実の負担が大きくなると、細根が消耗する。その結果、樹の力が哀え、灰色カビ病や要素欠乏が発生する。天気が悪ければ、防除に追われることになる。しかし薬は効かない。

 高品質品種でなぜとくにそうなのか。それは、果菜でも果樹でもよくいわれることだが、高い糖度の果実の生産には細根が重要な役割を果しているため、収穫がすすむにつれて細根が消えていくからだと考えられる。

 そこで、高品質品種の安定生産には、とくに細根の発生を促し、これを大切にする管理が求められる(細根の発生を抑えるような、チッソその他の養分の施しすぎを避けるなど)。

 と同時に、防除にあたっては、極力薬害を避けなければならない。除草剤が急激に細根を消耗させることはミカン園などでの研究で明らかだが、細根の問題は地下のことに限らない。根は地上部の茎葉とつながっており、薬害で葉の活力が哀えたり、新芽の吹きが悪くなったりすれば当然、細根の出が悪くなる。

 薬害は、特効薬か予防薬かを問わず発生する。したがって、高品質時代の安定生産には、薬害を避けるという面からの防除技術の確立が不可欠なのである。

農薬への期待と不安をうまく処理する技術

 農薬を効かせるためにも、また最近の眼目である「高品質」生産を実現するためにも、従来型防除の転換=農薬使用技術の確立が求められている。

 それでは、農薬を使う農家の主体的条件、技術的蓄積はどこまできているか。新しい段階の防除技術はどう形成されているか。ここでは、92頁でもご紹介した、千葉県成東町の石田光伸さんの例で考えてみたい。石田さんは、ハウスで半促成のブルームレスキュウリと抑制「桃太郎」トマトを栽培する専業農家だ。

 今年の二月、関東・東海地方などは記録的な悪天候にみまわれ、多くのハウスで灰色カビ病がまんえんした。農薬散布を繰り返しても追いつかず、ついに茎にまで入って樹を枯らし、廃作に追い込まれた人も少なくなかった。

 そんな中で石田さんは、二月の農薬散布をわずか二回で切り抜けた。それも、悪天候が続きもっとも灰色カビ病の恐れが大きかった、二月中旬からの防除を二〇日間中止する、という意外なやり方をとった。これで、灰色カビ病を抑え切り、三月の好天とともに収穫をふやし、品不足・高値の中で順調な出荷を続けたわけである。

 最も困難な時期に防除を中止したのは、「この天気では農薬散布しても効果がない」と判断したからだ。悪天候下の防除は、ハウス内の湿度を高め、病菌のふえる環境をつくってしまう。樹が弱いから薬害の恐れもあるし生き残った菌が耐性をつけてしまうことも心配だ。

 防除を中止するかわりに石田さんが講じた手だてが、灰色カビ病の第一の感染源である花ビラとりだった。収穫以外の仕事の手は休めて、家族みんなが四四〇坪のハウスのしぼんだ花ビラをつんで歩いた。この「手防除」は実に有効で、花ビラから果実への灰カビ菌の進展を防ぎ、三月の収穫の増加につながったのである。

 右のような決断をしたのには、石田さんには石田さん独自の、農薬に対する期待と不安、プラス面とマイナス面のとらえ方があるからだ。「期待」という点では、灰色カビ病の「特効薬」スミレックスの効果がある。スミレックスはもはや耐性菌ができて効かない、という地域がふえている中、石田さんは自分のハウスでは、これがまだ効果がある、とみている。だから、灰色カビ病がどうしようもないほど広がりそうなときに、切り札として使える。これがあるから安心して、防除を中止して花ビラとりに専念できる。

 つまり、新しい段階の防除技術の一つは、それぞれの農家・地域が、「自分の所ではコレ」という切り札農薬をもつことだ。そして、切り札農薬はできるだけ使わずに済ますことだ。石田さんは去年も今年もスミレックスを使っていない。切り札スミレックスの効果を損わないためには、他の予防薬で病気を抑えねばならないが、そのうちで有力な一つがロブラールだ。しかしこれは、スミレックスと成分が同じだから、何回も使うと、ロブラールだけでなくスミレックスにも耐性をもつ灰カビ菌が出てしまう。そこで、他の予防剤ポリベリンや、ユーパレンなどとのローテーション(交互使用)を行なうことになる。

 こうして、切り札農薬への「期待」は確かなものになる。しかし、ここで一つの「不安」が生じる。予防薬による薬害である。とくに悪天候のもとでの散布は問題が大きく、晴れた日をねらって防除しなければならない。ところが、悪天候で弱ったキュウリは、急に晴れると葉がクタッと弱ってしまう。そこへ散布したら確実に薬害を生じる。そこで石田さんは、農薬散布前に、まずかん水・液肥を施して、樹を元気づけてから防除する。このように、天気を読み薬害を避けて防除効果をあげる技術が、新しい段階の防除のもう一つの柱である。石田さんはそれを、防除と水管理・施肥管理を結びつけることで実現している。

減農薬・高品質の支え

 そしてこのことは、防除の技術をこえた意味をもつ。というのは、石田さんは、根の弱いブルームレスキュウリの根を深く張らせるために、できるだけかん水をひかえている。水がひんぱんに与えられると浅根型に育つからだ。だから冬の間は、農薬散布直前のかん水(液肥)以外には、水を与えない。つまり、薬害を防ぎ、防除の効果を高める手だてと、キュウリの根づくりをする手だてとが結びついているのである。少かん水―減農薬―健全根づくり―高品質生産が一つの技術として実現する。

 このような、農薬散布のマイナス面を克服すると同時に、防除をこえて多面的な意味あいを持つ技術―これが、いま農家が蓄積し確立しつつある防除技術である。それは、その年の天気を読みながら、農薬と作物・病菌の折り合いをつける技術であり、自分のハウスの病菌の特徴を読み一定の調和のとれた状態をつくり出す技術である。花ビラとりなど家族の労働の価値を一段と高める技術である。

 石田さんのハウスキュウリの一〜二月の防除は通算して三回。防除技術の確立こそが、減農薬・「高品質」生産(稼げる農業)を実現するのである。

わが村の文化としての防除技術を!!

 いま、農薬防除技術の確立が個々の精農家だけのものではなく、地域的な取組みとして行なわれていくことが重要だ。九州各地の減農薬運動はそのさきがけだが、同じことが北海道の畑作地帯でもおこっている。

 十勝南郡地区普及所更別村駐在所の高橋義雄先生によると、更別村では、ここ数年の間に、村全体で農薬代が五〇〇〇万円近く減っているという。一軒当たりにすると三五万円だが、池田さん(仮名)のように、六十二年には五〇haで五〇〇万円かけていたのが、六十四年には二七〇万円と、約半分に減らした人もいる。ジャガイモでは一三七万円を三〇万円へと急減させた。

 この急速な減農薬の動きは、更別村という地域の気候や土質、病害虫の発生と被害の出方を明らかにし、同時に農薬の種類(効き方・値段など)と散布法などを吟味して、ムダが省けて、被害を食い止める防除技術を確立してきたからできたことである。

 例えば、ジャガイモのアブラムシは、一般の防除暦では六回の散布としている。これに対して、更別村では、虫の発生のし方やウイルス保毒虫割合を調べ、防除は三回でいいことを明らかにした。右の池田さんの場合、散布は一回、しかも最も安い薬剤にしている。また、軟腐病に対しては、以前は三回の散布を行なっていたところ、村での試験の結果、この病気に経済効果のある薬はないことが明らかになった。そこで、池田さんは、農薬散布をやめて、そのかわりチッソ施用を減らして草のできすぎを避けて防ぐ、という対策をとった。

 更別村では、村(自治体)と農協とが共同で試験圃をもち普及所が協力して、地域の病害虫の出方、被害の程度、防除の必要性などのデータを出す。そのデータを参考に、農家それぞれがもっとも有効な防除を組み立てる。また逆に、それぞれの農家の防除の工夫が、指導者を通じて多くの人のものになる、といったケースも少なくない(更別村の関連記事は38、68頁)。

 こうした地域としての防除技術の発展・確立は、農薬代の節減という形で、地域経済を潤す。さらに、その目に見える経費節減のほかに、防除技術と一体になった健全生育技術の実現は、半永久的に高い品質と収穫を保証しつづけることになる。こうして、土地柄と人の仕事(労働)が一体になった「村の財産」がジワジワと増加する。防除技術の確立とは、「地域文化の形成」なのである。

 文化としての農薬防除技術が高まるほどに、農家は経済的にも、生活のうえでも潤いが増し、村の農産物の魅力は高まることになる。農薬を使ってきた経験を生かした、地域防除技術の確立を、いま訴えたい。

 病害虫・農薬に関する科学的研究も、いよいよ、地域性と病害虫発生タイプの関係をとらえ、防除をしくむ段階に入っている。その野心的試みが、農文協から刊行中の「防除資材編」(作物別に全一〇巻、既刊四巻)だ。個々の村で集落で、より地域性にあった防除技術確立の踏み台にしていただきたい。

(農文協論説委員会)

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