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農文協トップ主張 1990年09月

イネ研究100年の集大成を祝う

目次

◆コメ輸入圧力の中だからこそ
◆コメ輸入を阻止してきた稲作運動とイネ研究
◆稲作の技術転換 デンプン多収から良食味成分バランスへ
◆良食味技術を裏づけするイネ研究
◆日本のイネの国際化の道

コメ輸入圧力の中だからこそ

 イネの科学的研究が始まってから百年がたつ。コメが世界三大穀物の一つであることはいまさらいうまでもないが、イネの栽培はアジアに集中したため、イネ研究は日本を先頭に、おもにアジアで進められてきた。ところが近年、イネの生産力の高さや、コメの食品としての優秀さなどから、イネ研究はヨーロッパやアメリカなど世界中で急速に盛んになってきた。

 こうした中で、イネ研究百年の成果と最新の研究内容を海外の研究も取り込んで集大成する事業が、日本のイネ研究者一五〇余名の力を結集して進められ、この八月から刊行される。松尾孝嶺博士(東大名誉教授)責任編集による『稲学大成』全三巻、「形態編」五五〇頁、「生理編」九〇〇頁、「遺伝編」八〇〇頁という大作だ。

 この『稲学大成』は農文協から刊行されるが、私たちは、どこの出版社から刊行されるにせよ、この事業を大いに祝いたいと思う。それは、イネ研究の集大成とは、二十一世紀に向けて重要な、誠に時宜を得た事業であるからだ。

 人によっては、コメ輸入の自由化圧力のもと日本の稲作は縮小・活力減退が目に見えているときに、いまさらイネの研究など、といった見方もあろう。コメは余っているのだから、イネ研究は不要、という意見もある。

 そんな風潮の中で、稲作農家、関係者にとっては、今がもっとも厳しい時代である。しかし、だからこそ、イネ研究の集大成は時宜を得たものであると考える。その理由は二つある。

 一つは、コメ輸入圧力をしのぎ、はね返していくうえで有効なイネ・コメに関する科学的知識の宝庫であることである。

 一つは、新しい稲作と水田活用を考える素材で満ちていることだ。これは、日本の稲作ばかりでなく、世界の稲作に活路を拓くものである。つまり、二十一世紀に向けて日本のコメ・稲作を守り、さらには世界の水田農業を飛躍させることに、日本のイネ研究が大きく貢献する。

コメ輸入を阻止して来た稲作運動とイネ研究

 まず第一点めから考えてみよう。日本のコメ・稲作を守ることと、イネ研究百年の集大成との関連についてである。

 今、日本の稲作はコメ輸入の危機にさらされているが、同じような場面は過去百年の間に何回となくあった。そして、そのたびごとに、農家のコメの生産意欲と、それを支える栽培技術の革新が、輸入拡大の危機をはねのけてきた。詳しくは、本誌二月号の「主張」で述べているが、例えば明治の後半、コメの需要が大きく伸びて不足の事態を迎えた。このときには、神力や愛国という多収品種の登場で、増収熱が高まり、日本の主食生産を守った。

 最近では昭和三十年代の末「コメは余っている」という誤った宣伝の中で、実はコメ不足が進行し、輸入米依存が強まりかけたときである。この際には、「片倉さんの五石どり」稲作を中心に全国的に大増収運動が盛り上がり、コメ輸入量を急減させて、自給の道を確かなものとした。

 そして、昭和五十九年の韓国米緊急輸入のとき。コメの逼迫をもたらした四年続きの不作は、天候のせいだけでなく、田植機稲作の普及のもとでの過繁茂、稲の弱体化が大きく関係していた。農家は薄まき・薄植え、元肥チッソ減らしという健全育成技術に燃え、田植機による安定稲作を実現した。その結果、コメの輸入を五十九年の一五万トン、一回だけでくい止めたのである。

 それは、農家の生産意欲の持続と稲作技術革新の力によるのであるが、加えて、それぞれの時期に、稲作技術革新を支えるイネ研究があったことも見逃せない。例えば明治後半のときは、神力や愛国という多収品種の力の発揮を可能ならしめるような肥料の科学が発達していた。

 片倉稲作を中心とする増収運動のときには、イネ群落のデンプン生産を最大にするしくみを解明する光合成の研究や、イネの活力の大もとである根の研究などが盛んだった。多くの研究者が、これらの研究成果に基づいて、農家の増収技術の正しさを裏づけた。

 イネ研究はもちろん、稲作技術の現実的課題に直接結びつくものではない。しかし、生産現場が意欲的に技術革新に立ち向かうとき、それを裏づけ補強する科学的なイネの捉え方が現われる。あるいは逆に、農家の生産意欲と技術革新に促されて、イネの科学が発展する。

 こうした、生産意欲―技術革新―科学発展の相互補強の関係が、日本のコメ・稲作を守ってきたのである。これが日本の稲作現場とイネ研究の関係の伝統であり、底力である。

稲作の技術転換デンプン多収から良食味成分バランスへ

 さてそれでは、現在のコメ輸入の危機は、どのような生産意欲と技術革新と科学発展のつながりによって、はね返すことができるか。日本の稲作とイネ研究の結びつきの伝統・底力はどのように発揮しうるか。

 それは一言でいえば、良食味・安全性重視の稲作の方向である。「外国産に比べて多少値段は高くても、おいしく安全なものを」という国民の多くの期待に応えて、良食味・安全性の輸入障壁をつくることである。

 食味について考えてみよう。良食味生産技術はこれまでの多収技術とは大幅に変わる。もちろん多収技術の成果を否定するのではない。これも取り込みながら、食味に力点をおいた技術の編成のし方に変わる、という意味である。

 これまでの多収技術は、デンプンを効率的に生産することに主眼がおかれた。登熟期の葉の活力・根の活力を高く維持し、チッソをよく効かせて、モミに大量のデンプンを送り込む技術である。このデンプン多収技術が日本のコメを守った。

 そして、いま良食味時代になると、デンプン生産を支えるイネの活力という原理は生かしつつも、そのうえにデンプンの質や、タンパク質、リン・マグネシウム・カリなどの成分が重視されるようになった。コメの食味(とくに粘り)と関係するものは、例えばデンプンに占めるアミロースの割合である。アミロースが多いとパサパサとし、少ないと粘りがある。また、リン・マグネシウム対カリの比率の高いコメは粘りが強くおいしい、とされる。

 つまり、「デンプン多収型稲作」から、「玄米成分バランス型稲作」への転換である。この転換を支えているのは、一つには、イネ研究の側がすすめている良食味品種の育成である。コシヒカリの食味のよさの理由の一つはマグネシウム対カリの比が高いことだが、コシヒカリの血を導入した良食味品種が各地に登場している。また、北海道の従来のコメはアミロース含量が高くてパサパサしているという難点があったが、道内の試験場あげての低アミロース品種開発の努力が重ねられ、ゆきひかり・きらら三九七といった良食味品種が登場した。

 そしていっぽう、このような玄米成分バランス型の良食味品種を受けとめて生かし切る栽培技術が全国各地でつくられていることが重要だ。

 良食味品種は、コシヒカリはもちろん、きらら三九七もつがるおとめもヒノヒカリも、従来の多収技術では、倒状しやすく、また穂ぞろいが悪く登熟がダラダラと続くものが多い。だから茎数をふやすことよりも太い丈夫な茎をつくることが、新しい技術の方向になる。これは、薄まき・薄植え、元肥チッソ減という、昭和五十年代末に盛り上がった田植機安定稲作運動の技術がそのまま生きてくる。

 そのうえで、玄米成分バランスの問題がある。良食味品種は登熟期にチッソが多いと食味を落としやすい。そこで、先進的な農家はいま、生育の後半にはむしろリン酸の肥効を高めることが大切だという。そのために、穂肥時などにリン酸を施すケースがふえている。しかし、リン酸の肥効を高めるには、何よりも細根の活力を維持することだという。活力の高い細根は、リン酸やミネラルなどの微量成分をよく吸収する。

 玄米成分バランス型稲作を目指すとき、新たに、細根の重要性が浮かび上がってくる。これは、片倉稲作時代の葉の活力・根の活力重視、田植機安定稲作時代の太茎重視が、細根の活力を軸に再編される段階だ、ということもできる。コメを守った稲作技術革新が、次の技術革新に発展的に受けつがれていく。

 細根の活力維持の大切さは、現在、イネだけのことではない。トマトの桃太郎など高糖度品種の安定生産でも、ミカンやナシなど果樹の高品質生産でも、中心課題にすわっていることがらである。日本の基幹作物・イネで農家が切り拓いている技術革新の努力は、野菜・果樹その他の作物全般にわたる高品質生産につながっている。つまり、農産物全般の「良食味・安全性障壁」づくりを可能にする技術を含んでいる。

良食味技術を裏づけするイネ研究

 それでは、このようなときに、イネの研究は、どのような裏づけを提供するか。『稲学大成』はイネの科学的研究の集大成であって、技術の書ではない。それだけに、品質面からでも、多収という面からでも、あるいは倒状防止という観点からでも、関心に応じて自由にひもとき、「形態」「生理」「遺伝」の三つの巻にわたって縦横に読みすすめることができる。

 ここでは、「食味」という観点から、その内容を探ってみよう。「遺伝編」の「穀粒の成分・品質」では、食味を決める要因一つ一つについて、その内容、遺伝のし方と遺伝子の発現のし方、良食味育種の方法や到達点などを克明に読みとることができる。例えば、食味の決め手の一つリン・マグネシウム対カリの比率については、全国的な調査研究をもとに、高温下で急速に登熟した場合にリン・マグネシウムが多くなること、高温登熟には多量のリン酸が必要となること、などが明らかになる。

 こうして、リン酸の食味にとっての重要性が推測できるが、次に「生理編」の「登熟の生理」をみると、ここでは玄米にリンとカリが蓄積されるしくみが細かに紹介されている。玄米にはデンプンがたまるだけでなく、リンとカリが、デンプン蓄積にとって重要な役割を果たしているわけである。そして、登熟期中、リンは比較的早めに玄米の表面に近い糊粉層という部分に集まってくる。いっぽうカリは、比較的おそくまで玄米の内部のデンプン層に残って、デンプン蓄積の役割を果たしつづける、という。

 リン・マグネシウム型のコメはおいしく、カリ型のコメはおいしくないとされているが、こんな登熟の生理が関係しているのだろうか。登熟期にチッソが勝ちすぎると、玄米中のチッソがふえて味を落とすことは常識だが、同時にそれはカリの玄米中の動きとも関係していると考えられる。玄米成分バランス型の稲作を考えるとき、興味深いところだ。

 つぎに、リン酸やミネラルの吸収を支える細根についてはどうか。「生理編」の「根の発育と老化」という部分を見ると、根はイネのあらゆる器官のうちで最も老化しやすい部分であることが、生長のし方の特徴、含有成分の特徴などから明らかにされている。登熟期に早々と根が傷み下葉が枯れ上がる現象は常々目にしていて気になるところだ。そうした日常の観察が納得でき、細根の活力を維持することの大切さに思い至る記述だ。「形態編」の「根の生長と形態」では、地中深く伸びる深根と表層の細根のでき方、それぞれの収量に果たす役割などが明らかにされる。

 以上、イネ研究の集大成の中の、ごく一部を拾い出しただけではあるが、現在各地の農家が取り組んでいる良食味・健全生産技術を裏づけ、新しい見方を切り拓くような研究成果を読みとることができる。百年のイネ研究の成果は、コメを守る意欲が高まり、現場が技術革新に動くとき、必ず、それに応える科学知を提供してくれるはずである。それだけの広さと深さを、日本のイネ研究はもっているのである。

日本のイネの国際化の道

 日本の稲作の歴史はおよそ二千年。このほとんどの期間、ジャポニカ(日本型)のうるち米中心につくられてきた。粘りのあるうるちの炊飯――これが日本人の味覚の源となってきた。今日の良食味イネも、その伝統に沿ったものだ。

 ところで、近年の超多収品種や良食味品種の育種の中で、海外のイネの血が盛んに取り入れられてきた。「超多収品種」のあけのほしやオオチカラなどには、インディカ(印度型)の大柄・多収性が取り入れられているほか、北海道の低アミロース含量の変動幅の広いインディカの遺伝子が育種資源として導入されている。

 つまり、日本の稲作を守る育種努力の中で、ジャポニカうるち米一辺倒だった日本のイネは、非常に多彩なものになってきた。例えば、高アミロースの品種も登場し、注目されるようになってきている。いわゆる良食味とは逆であるが、高アミロース米はチャーハンやピラフなどにはピタリの米質である。食生活の洋風化、コメ消費の多様化に、日本産のコメ品種で応える素地ができてきた。

 あるいは、現在日本でまとまった量を自給している食用油は、コメヌカ油だけであるが、コメヌカ油の成分はリノール酸が多く健康上望ましいといわれる。それに応えるかのように、ヌカ・胚の部分の大きい巨大胚イネの育種開発努力が行なわれている。それらのこともすべてイネ研究の集大成の中に盛り込まれているが、日本のイネは、主食の多様化はもちろん、主食以外の食用利用、さらにはエサ、燃料その他多面的活用の道が展望できるようになってきている。

 良食味・安全性を中心に、より広い生活資源としてのイネ利用があり得ることをイネ研究は教えてくれる。それは、資源全般にわたる自給度の向上につながる道だ。イネをつくりつづけて水田の環境保全機能を維持しながら、イネで幅広い資源を自給する。地域、地域の生物資源を活用した人間生活は、地球環境保全への道でもある。

 そして、海外のイネの血を取り入れた日本のイネ研究の成果は、必ずアジアその他の世界の稲作、水田農業の安定と発展に寄与するにちがいないし、また、日本のイネ研究を集大成し、これを広めることこそ、本当の意味の農業の国際化なのである。

(農文協論説委員会)

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