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農文協トップ主張 1991年08月

コメ市場開放は、安もの買いの銭失いだ
農業貿易の論議より食糧、環境、農業そのものの論議を

目次

◆日本のコメをアメリカの政治の道具に使われてはたまらない◎本丸はEC、その外掘埋めに利用される日本のコメ市場開放問題◎アメリカの錦の御旗=「自由貿易の原理」の実体◎コメ市場開放は飢餓に苦しむ人びとを一層苦しめる
◆コメの輸入は安もの買いの銭失いだ◎ジュース1本分の節約に主食を身売りできるか◎安値で入り続ける保証はない―コメという貿易商品の不安定さ
◆水田の隠し持つ、見えざる国富の形成機能に着目を
◆貿易論議にふりまわされず食糧、農業、環境の行く末を論じよう

日本のコメをアメリカの政治の道具に使われてはたまらない

 七月中旬のロンドン・サミットに向けて、政府・与党、財界などからコメの市場開放を求める声が相次いでいる。その背後に、暗礁に乗り上げたガット・ウルグアイ・ラウンドの農業交渉に早く決着をつけたいとするアメリカの意志があることは周知のとおりだ。

 「日本が多くの国の先頭に立って行動をとるべきだ」――コメ市場開放の早期決断を求めたアマコスト駐日米大使の発言は、従来の二国間交渉での日米貿易収支の是正をはかるためのコメ市場開放要求とはだいぶ趣きを異にしたものだった。アメリカの対日貿易赤字は四〇〇億ドル。それに対して仮に五〇〇万トンといわれるアメリカのコメ生産量を全部日本に買ってもらったとしてもその金額は一六億ドル弱、対日貿易赤字四〇〇億ドルのわずか四%にも満たない額でしかない。

 コメを買わせて何になる――このことは当のアメリカ自身先刻承知のことなのである。しかもアメリカは、いきなり何百万トンもコメを買ってくれと言ってるのではない(またできるものでもないが)。わずか三〇万トンとか五〇万トンの市場開放、数億ドルのコメの売りつけになぜそんなにこだわるのか。これは、日本のコメ市場の開放問題がすでに経済の次元の問題ではなく、アメリカのウルグアイ・ラウンド農業交渉の戦略上の政治的かけひきに使われていることを示している。

本丸はEC、その外堀埋めに利用される日本のコメ市場開放問題

 ウルグアイ・ラウンド農業交渉でアメリカが真に陥落させたい標的はECなのである。

 ECは一九八〇年を境に穀物輸入「国」から穀物の純輸出「国」になった。アメリカ流の市場原理一辺倒とはちがい、独自の農業・農村哲学を持ち、莫大な輸出補助金をつけてアメリカやケアンズ・グループとつばぜり合いを演ずるEC。このECの農産物輸出攻勢にアメリカはほとほと手を焼いているのだ。そのいらだちぶりは、日本に対するそれとは比べものにならないというのがアメリカの偽らざる心境だろう。日本は先進諸国の中で農産物、とくに穀物の市場開放度が抜群に高い国であること、その高い開放度の中で、いちばん恩恵を受けているのがアメリカであることを、アメリカ自身日々十分に感じているはずだからだ。

 その日本を、ECを口説き落とすためのカードに使おうというのが、今回の対日コメ市場開放の要求だ。

 アメリカは、昨年十二月、OECDの閣僚会議後、暗礁に乗り上げ、延長された新ラウンド農業交渉の進展を阻んでいる「犯人」は、ECと日本、韓国だと名指しで批判した。その後韓国はアメリカの要求をかなり呑み、市場開放を進めた。ここで日本の譲歩を勝ちとれば、日米韓の結束ができ、残るはECだけとなる。みずほの国・日本のコメ市場の開放ほど、世界の農業貿易の自由化にとって象徴的な意味をもつものはない。まずコメ問題で日本の門戸をコジあけ、それをテコにECの譲歩を引き出す――アメリカの農業交渉の戦略上、日本のコメ市場開放の政治的意味はこれまでになく高まったわけである。

 私たちは、このようなアメリカの思惑に日本のコメを動員されることに、はっきりとノーと言わなければならない。日本のコメを、EC陥落の政治的道具に使われてはたまらないのである。

アメリカの錦の御旗=“自由貿易の原理”の実体

 アメリカがこのような市場開放を要求してくるとき、決まってふりかざすのが“自由貿易の原則”だ。戦前、世界中に保護主義が台頭し、世界経済がブロック化していき、不況の打開策として市場ぶん取り合戦が暴力的におこなわれ、遂に世界を巻き込んでの戦争に突入した苦い経験を人類は持っている。その反省の所産としてガットが設けられ、自由貿易の原則が打ち立てられた。それが、戦後の世界経済の再建にそれなりの貢献を果たしたことは、万人の認めるところだろう。

 しかし、今日、とりわけ食糧・農業の分野にとってこの原理は、果して自由・公平な貿易や競争を保証しているだろうか。農産物輸出国の輸出補助金は禁止していないのに輸入する側の輸入制限は禁ずる、その反対に輸入制限は認められてないのに輸出国の都合による輸出制限は認められている(アメリカの七三年対日大豆輸出規制や七四、八〇年の対ソ穀物禁輸などを見よ)、アメリカにのみ認められているウェーバー条項等々。胸に手を当てるまでもなくアメリカにもわかっているはずのものばかりである。

 先般決着した日米半導体協議では、九二年末までに日本におけるアメリカの半導体シェアを二〇%以上にするとの約束が取りかわされた。どうしてこういうことが自由貿易なのか。

 アメリカのふりかざす自由貿易の原理とは、つまるところ自国の強い分野は自由貿易を楯に市場開放を迫り、弱い分野は管理と協定でシェア拡大を目ざし、あるいは輸入を制限する、アメリカにとっての勝手野放図な自由でしかない。

コメ市場開放は飢餓に苦しむ人びとを一層苦しめる

 コメの市場開放は、新ラウンドの進展にとって何の関係もない。交渉が進展しないのは、日本がコメ市場を開放しないからではなく、アメリカとECが輸出補助金競争で互いに譲らないからである。なぜそうなのか。その間の事情をECのドロール委員長は、次のように述べている。

 ――ECも輸出補助金を削減する用意はある。但しそれは、アメリカの利益につながるのではなく、途上国の利益につながるのでなければならない――と。

 つまりECは、飢餓に苦しむ途上国、穀物自給の向上に努める途上国に役立つような国際的合意とワク組みづくりを展望できるようになれば、アメリカとの輸出補助金削減交渉を進展させる用意はできているといっているのである。

 いま日本が、アメリカの圧力に負けてコメ市場開放を受け入れることは、このようなECの展望に水を差し、ただただ国際農産物市場で自国のシェアを伸ばそうとするアメリカの“自由”に手を貸すだけのものとなるだろう。そしてさらには、日本のコメ市場開放が穀物価格の国際相場を攪乱し、飢餓に苦しむ途上国の人びとをいっそう窮地に追い込まないとも限らない。

 国際化時代の今日、日本がコメ市場をいつまでも開放しないのはもはや通じないなどという論調がふりまかれている。しかしこれは、国際化というものを、いちばん声高のアメリカとの関係でしかみれない、了見の狭い見方といえないだろうか。

 国際化時代の貢献をいうなら、コメ市場開放というカードをアメリカにプレゼントすることでなく、広く飢餓に苦しむ途上国、穀物自給の向上に努力する多くの国々と手をたずさえ、コメやその他穀物による国同士の支配・従属を断ち切る方向に解決策を見出すべく努力することではないだろうか。国際化とは、アメリカとの一体化ではないのである。

コメの輸入は安もの買いの銭失いだ

 アメリカの対日コメ市場開放要求のねらいが右のようなものだとして、それにしても国際的に割高なコメを市場原理のもとにさらさないのはフェアでないという議論がある。閉じられた市場は、消費者の利益に背を向けるものだとかいう議論も依然として根強い。果してそうなのか、じっくり検討してみよう。

ジュース一本分の節約に主食を身売りできるか?

 日本のコメが国際的に割高なことは確かにそのとおりである。アメリカの小売り価格と比べると、現在の為替レートで二.四〜二.八倍くらいと言われている。では、実際に安いカリフォルニア米が入ってきたとして、我々日本人はいったい、いかほどコメ代を節約できるのか。

 日本人の一人年間コメ消費量は約六七キロ、これを平均一〇キロ当たり五八〇〇円の自主流通米で食べているとすると年間の金額は三万九千円弱、一日当たり一〇七円である。これが安いカリフォルニア米に置きかわって、仮に一〇キロ一五〇〇円で《(注)》入ったと仮定すると年間一万五〇円となり、国産自流米との年間差額は二万九千円弱、一日当たり八〇円の節約となる。

(注)USDA,Feed Consumption,Prices,Expenditures,1967‐88,1990,p.122ほかによる。一ドル一四〇円で計算。

 たったの、と言っては語弊があるかもしれないが、八〇円といったらタバコ代一箱にもならないし、喫茶店で飲むコーヒー一杯にははるかに及ばない。自動販売機のジュース一本にも届かない節約額でしかないのである。このていどの金額で私たちの主食を外国に身売りすることに確信を持てる国民が、いったいどれだけいるだろうか。しかも、先にふれたように、いざというときには輸出制限する権利を相手方はもっているというのにである。

安値で入り続ける保証はない――コメという貿易商品の不安定さ

 さらに考えなければならないのは、自由化して果して右のような値段で本当に入ってくるか、ということである。世界のコメ市場に出廻っているコメの量は、全世界のコメの生産量の四%にすぎない。ちなみにこの四%とは、一二〇〇万トンであり、日本人の年間消費量とほぼ同じ量なのだが、とにかくコメは広く世界を見渡してみると圧倒的に自給的性格の強い穀物なのである。しかも天候その他によって豊凶の差がある。もともと自給的性格が強く、出廻り量が少ない。そこに豊凶の差が加わるので、コメの国際市場価格は大豆や麦に比べ非常に変動が大きいという特徴をもっている。コメという貿易商品の特徴だ。

 このようなタイトで不安定な国際コメ市場に、その出廻量とほぼ同量を消費する一億を超える日本国民がその主食の調達先を見出すことになったらどういう混乱をもたらすか、火をみるより明らかだろう。いま現在は安くても、将来ともそれが続く保証は何もないのである。八〇円の節約に目がくらんで、輸入したあとは高騰……。安物買いの銭失いにならないよう、くれぐれも注意したいものである。

 古来みずほの国と言われ、私たちの祖先、先輩たちが営々と築いてきた日本の水田。この水田をなおざりにし、コメの国際市場を攪乱させ、ひいては穀物貿易全般に悪影響を及ぼしかねない選択を、コメを自給できる国がどうしてとる必要があるだろう。

水田の隠し持つ、見えざる国富の形成機能に着目を

 コメ市場開放に伴う不安定と混乱は、以上のような経済的な損得の問題にとどまるものではない。そのような視点からだけコメの自由化を議論したのでは、日本の自然環境が破壊されることに注意しなければならないのである。

 名古屋大学の永田恵十郎教授は、大要、次のように述べておられる。

 いうまでもないことだが、水田は大雨をしっかり受けとめ、ゆっくりと吐き出す機能を持っている。水田は巨大なダムであり、優れた洪水調節機能を隠し持っているわけだ。志村博康教授の計算によると、この水田が湛える水の量は、全国三〇〇万haの水田で約五一億トン。言い換えると、日本の水田は五一億トンの洪水調節容量を持つダムと等しい治水機能を持っていることを意味する。では五一億トンの洪水調節ダムをつくろうとするといかほどのおカネがかかるかというと、その建設費は六兆一二〇〇億円となる(一九八〇年価格で)。これを一年当たりの償却費や建設利子、ダムの維持管理費等として換算すると同じく八〇年価格で約六〇〇〇億円となる。これが日本列島の約三〇〇万haの水田によって一年間に節約された治水費用なのである。一〇a当たりにすると、水田は一年当たり二万円の治水費用を節約していることになる。

 このように、日本列島の水田は、毎年の生産活動を通じて約一〇〇〇万トンのコメ及びその他の食糧を生産するだけでなく、同時に毎年六〇〇〇億円の治水費用を節約し、これを無償で、農民の水田耕作はコストゼロで日本列島の住民たちに提供するという“見えざる自然・国土保全機能”を隠し持っているのである。

 したがって、日本全国、各地域の水田農業が安定的、持続的に維持・発展しうる条件が保証されたときには、その当然の結果として自然・国土保全につながる治水機能も十全に発揮され、治水費用の外部化も抑えられる。しかし逆の場合は、膨大な額の「社会的費用」が発生することになるわけである――(永田『地域資源の国民的利用』『地域営農システム入門』より)。

 教授はさらに、農林業には、工業の持ち合わせない、国民のうるおいある生活と生命の再生産、人間の人格の発達を保障するかけがえのない公益的機能、非経済的要素として人格形成、教育機能や保健・休養機能があるとして、これらの経済的評価額は先の国土保全機能と合わせて八〇年価格で三七兆円、当時のGNPの約一五%、農業粗生産額一二兆円の三倍強に相当するとしている(農水省試算による)。

 このような農林業のもつ公益的機能、隠れた経済的機能の軸に水田があることは言うまでもない。もしコメの自由化がなされるならば、かかる水田の隠し持つ国民経済的・環境保全機能は大きな打撃を被ることは明らかだ。アメリカの農務省はもし日本がコメの完全自由化に追い込まれたら、日本の水田の四四〜四八%が壊滅するだろうと試算している。

 私たちは、ともすれば市場で取り引きされる財、日常目に見える形で売買される財やサービスにのみ関心が奪われ、したがって表面に出てくる短期的な経済効果だけで物事の損得をとらえがちだ。しかし、そのような物事のとらえ方は、社会全体の生産力が低く、自然のキャパシティがいまだ大きかった時代に許された古い思考様式といわざるを得ないだろう。八〇円程度の安ものを仕入れるのと引き換えに、毎年六〇〇〇億円もの治水費用を受けもってくれる私たちの水田、その隠し持つ見えざる国富形成機能という大きな財産を失ってはならない。

貿易論議にふりまわされず食糧・農業・環境の行く末を論じよう

 日本の大新聞をはじめとするマスコミが、相も変わらずコメ市場開放問題を安もの買いの銭失いになりかねない視野でしか報道していないのに対し、世界の心ある人びとは、ヨリ高い立場から食糧・農業・環境問題に取り組み始めている。この五月には、欧米の環境保護組織や農民団体が、日本はコメの市場開放に応じるべきでないとする書簡を海部首相に出している。

●熱帯雨林の伐採問題などで活発な運動を展開している「地球の友オランダ」

 ――今日の食料と環境の状況を地球的観点から見たとき、日本のコメ市場開放問題は単に日米の二国間貿易問題にとどまらず、国の食糧安全保障と持続可能な農業問題の全体に影響を与えることになる――

●アメリカで多国籍企業主導の新ラウンドに反対している「公正な貿易のためのキャンペーン」

 ――日本がホワイトハウスの圧力に屈してコメ自給方針や農業政策を変えることのないように要請する。ホワイトハウスの圧力に対しては、米国の家族農家のほとんどが反対している――(『日本農業新聞』91・5・29付)

●本誌でもおなじみのM・リッチー氏

 ――アメリカの農業内部のこの主要な経済的摩擦は家族農業者と多国籍アグリビジネスとの摩擦である。――ヤイターは関税化などといっているが、関税システムがいつまでも続くとは考えていない、本当のねらいは無制限なコメ市場開放だ。ヤイター長官にとって日本のコメ市場よりもっと重要なのはアメリカ市場の開放なのだ。大規模なファースト・フード・レストランは、アメリカの牛肉輸入制限が廃止され、牛肉をもっと輸入できるようになりたいと望んでいる。主に中南米の熱帯雨林地域からだ。飲料会社(コカ・コーラのような)やキャンディ会社は、アメリカの砂糖の輸入制限が廃止され、アメリカの生産者に払う価格を押し下げたいと思っている。アメリカの食品製造会社は、落花生の輸入が無制限に開放され、落花生の生産者との交渉力を強くしたいと望んでいる。

 もし日本が輸入制限を廃止したり、極端に大きなミニマム・アクセスに同意することを強いられるようなことになれば、アメリカ政府は同じ制度をアメリカ生産者におしつけることができることになる。――(所秀雄『地球村の食糧改革』)

 *

 日本のコメ市場開放は、決して目先の高い安いで判断すべきことではないし、それがアメリカ農民の要求でもないことをこれらの人びとは訴えているのだ。

 今日、地球的規模で人口、食糧、環境問題が人類の俎上にのぼっている時、私たちは、農産物貿易をめぐるいさかいにのみ目を奪われるのでなく、広い視野から食糧・農業の行く末を論じなければならない。人類の食糧・農業をどうするかがまずあって、貿易がある。逆ではないのである。私たちは、そのような思いを込めて『食糧・農業問題全集』全20巻の刊行をこのほど終えた。日本と世界の行く末を食糧・農業・環境問題から考えるヒントを満載した全巻書き下ろしの全集である。ぜひご高覧いただき、九〇年代と二十一世紀を見透す糧としていただきたい。

(農文協論説委員会)

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