主張
ルーラルネットへ ルーラル電子図書館 食農ネット 田舎の本屋さん
農文協トップ主張 1992年03月

今こそ、農耕が文化を支えるとき
高木仁三郎さんの「核の世紀末」に思う

目次

◆100頭いても1頭は1頭
◆イネと語り、スギの声を聞く
◆自然と人間を峻別する考え方
◆受容こそが日常の文化
◆農業の役割は機能ではない

百頭いても一頭は一頭

 東京生まれの東京育ちのくせに、野菜を作る農家を訪ねれば、ダイコンでもトマトでも、作ってみたくなる。鶏を飼う農家を訪ねれば、せめて十羽でも放し飼いをしてみたくなる。

 しかし、いまさら作ったり飼ったりしてみたところで、それで農業がわかるというものでもないし、かえってわかったような気持になるのがおこがましくて、そうしたままごとのようなことはしないことにしている。だが、作り飼うという行ないへのあこがれは消えることがない。

 作り飼って暮す営みを“農”の一字でいい表わしてきた習わしだったが、明治初期の国を挙げての西欧化のなかで、いつしか農業なる語が一般となり、さまざまな作物を家畜とともに作りまわして、「持続的」に自然と共生する農法を、一言で農業技術とわりきってしまったわが日本国の近代である。

 しかし、言葉を換えれば実体も変わるというわけにはいかない。地主=小作の農地制度と、戦争へと突き進む国情のなかで、農家は多くの犠牲をしいられるままに、持続的な農法をくりひろげる余裕もなかった。戦後十数年を経て、農業近代化の掛声も高らかに、いよいよ、農業技術の新展開の時代がやってきた。田畑にトラクターが走り、周年栽培のハウスが光る。

 そうではあっても、やはり、畑や田や牧野や畜舎で日々行なわれている農家の作り飼う営みを、そのまま明快に“技術”の一語でくくってしまえるものなのかどうか。作ったり飼ったり――つまりは育てることのあれこれが含み持つ「営み」というものの総体は、たとえばNPKの成分比とか、トラクターの馬力とか、飼料効率といった類の数字によってだけでは、それがいかに多様であり精緻をきわめたものであっても、とても解き明かせるものではないと思われて、そこにこだわる。こだわりがかえって、育てる営みへの興味をかきたてる。

 「一〇頭だろうと一〇〇頭だろうと、牛の気持になれなければ飼えるものではありません。どの一頭も、なくて七クセですからね」と、日本一の酪農地帯と自他ともに許した北海道、遠浅の酪農家Kさんがいう。コンピューターを使うにしても、それは一頭一頭の牛のクセをより詳細に知るデータを得るためだ。毎日の搾乳や給飼の折りに一頭一頭の健康状態をよく観察する。そうした日常の気配りと連動してはじめて役立つ最新技術である。

 “観察”といえば、群馬県前橋で肉牛の多頭肥育を手がけているHさんは、餌は不断給餌で「袋ごとぶちまけておくから三日に一度ぐらいしかやらない」が、ふん掃除は一日三回もやる。Hさんは女性だから、とりわけきれい好きなのかとも思ったが、そういうことではなかった。一日三回のふん掃除は、ふんの観察のためにこそやるのだった。Hさんは言う。

 「ふんが尻からストンと落ちる。落ちた床にコンモリとまんじゅうみたい。これでは硬すぎる。ドドドドッピチャでは軟らかすぎる。臭いもかぐし、色も見るよ」

 ふんを観察して一頭一頭の健康状態を知り、水のやりぐあいを調節するのである。だから観察の目はとぎ澄まされていなければならない。Hさんはふんを仲立ちにして、牛と話をしているのだ。

イネと語り、スギの声を聞く

 「稲田の色の濃淡を見て、その田のイネが肥料をほしがっているのか、もてあましているのかを判断する」というのは山形県置賜の精農家Sさん。これも観察の一場面である。だがSさんはつづけていう。「それができて、やっとイネつくりの入口です」と。

 では入口ならぬ深奥はと問えば「肥料をほしがっているとして、さて、くれてやるかやらないか、その見極めです」との答え。見極めるためには、ほんとうはこれから秋への天候がどのように推移するかを的確に示す情報が必要なのだが、そんなデータを提供する“最新技術”は、まだない。

 滋賀県栗東に訪ねた林家のMさんは、もっとすごいことを言った。「スギの枝打ちをしていましてね、まれに下手な打ち方をして皮をはいでしまうと、スギが“痛い”と叫ぶのが聞こえるんです」。

 そんな馬鹿げたことがあるものかと、ここで言ってしまえば、こだわりは一瞬にして融け、即座に、営みに含まれる曖昧模糊としたものを追放して、それを明快な農業技術、農業経営に仕上げることに情熱を傾けられるにちがいない。戦後、農業改良普及所が開設されてまもなく、緑の自転車に乗って村々を巡回した若き普及員たちは、“篤農撲滅”に精を出した。だが、篤農家は精農家に変身して健在である。

 育てる人間とその対象物であるイネや牛やスギとの間に往き来するある種の交歓=のちに述べる「自然と人間の相互的な関係」があることに、あくまで執心していたい。それが、育てるという営みの根幹に位置して、変わるところのない条理のように思うし、それを技術の一語で吹き飛ばしてしまっては、農耕はおろか、人間の生存そのものがあやしくなると思うのだ。

自然と人間を峻別する考え方

 高木仁三郎さんの『核の世紀末』という本が出た。(農文協、「人間選書」十二月刊)

 この本には原子力=核エネルギー利用の技術に典型的に表われた二十世紀の科学技術の能動性の到達地点=行きづまりの深刻さがわかりやすく詳細に述べられている。だが、それだけでなく、ではどうしたらよいのかを“来るべき世界の構想力”というテーマで解き明かそうとしている。そこが、類書に見られない最大の特徴である。

 高木さんはアクティビズムとパッシビズムという対になる言葉をキーワードにして論旨をすすめる。むずかしい言葉のようだが、どちらも英語の世界では特別の専門用語ではなく、日常の言葉として使われているアクティブとパッシブに由来している。

 アクティブはふつう能動的と訳される。パッシブはふつう受動的と訳される。

 高木さんのいうアクティビズムとは「人間がきわめて能動的に自然や他者に働きかけることによって、自然や社会を人間の思うように作り変えていくことにこそ、人間の主体性があり、近代的な自我の発展もある」と考える思想である。

 この思想は、一人の主張者がいて自らそう名付けて人々に影響を与えたというのではない。ふりかえっていま、西洋近代から現代へ至る西洋の思想を検証すると、自然科学といわず政治イデオロギーといわず、自然と人間を峻別し、自然を征服し、さらには民族や階級を峻別して他者を征服するという一点でみな共通しており、その共通性をとらえて高木さんがアクティビズムと名付けたのである。

 そのアクティビズムが、技術の面で典型的に(あるいは終局的に)表われたのが原子核エネルギーの利用であった。原子は本来安定して自然界に存在しているものなのに、その安定を壊すことでエネルギーを得ようとするものだ。もともと地上になかったことを技術が開発してしまう。もう一つの典型(あるいは終局)は遺伝子の組み換えで、自然ではきわめて偶然的、長時的に起こっていたことを必然的短時的にやってしまう。有無を言わせぬ能動=アクティビズムである。

 一方パッシビズムは、受動的というと消極的に聞こえるが、むしろ“受容とでもいうべきもの”としてとらえられる思想で、非西洋の民衆の生活のなかに広く生きつづけてきた。

 高木さんはつぎのようにいう。

受容こそが日常の文化

 「荒々しく自然や物事に働きかけるのではなくて、自然と人間との間の相互的な関係を重視しながら、おのずから自然と折り合いをつけ、共生しながら、よりよく生きる。そしてそこに文化発酵させていく。そういう文化のあり方を追求していくためには、人間は多くの面においてより高度に生きる術、賢さを身につける必要があるし、より柔軟な感性と、より高度な知性と、そして身体を獲得していかないといけないかもしれません。そういうことは可能ではないか、しかもそういうことこそが、これから目指すべきことなのではないか、というふうに考えます」。

 この文章を注意深くみると、高木さんが構想するパッシビズムは、情感や倫理的なところにとどまらずに、それを包みながら、もう一歩具体的な構築をしていくための作業がイメージされてくる。それを読みとろうとすることで、読者は著者と共同作業をすることができる。引用者が傍点を打った字句――相互、共生、文化、発酵、賢さ、感性、知性、身体――が、具体的作業のためのイメージである。

 ところで――

 パッシビズムを構想する作業のなかで、「イネと話ができる」ということが、とても大切な意味をもってくる。それは、人間が自然と共生し、自然と相互的な関係をもつために“獲得して”おかなければならない身体であり感性なのだ。そしてそれが、知性賢さとして発酵されたところに、われわれの日常の文化が形成されていく。

 日常の文化とはなにか。

 高木さんは「パッシビズムは先住民の文化、非西洋的文化のなかには(もともと)存在しているわけで、多くの場合、いわゆるエスニックな文化の中心はパッシブなものだったと思う」と記している。具体的に、オーストラリアのアボリジニー、アメリカ大陸のインディアン、日本のアイヌや沖縄の人々、ソ連や中国のさまざまな少数民族を挙げて、そこに「西洋文明を受け入れて私たちが失ってしまった多くの貴重な文化的価値が見出されます」という。このばあいの“文化的価値”とは明らかに日常の文化なのであって、アクティブな働きかけによって突走る科学技術の文化=文明ではない。

 日本でも“西洋文明を受け入れ”る以前、日常の生活はつねに文化を発酵させていた。江戸時代の農法が近代農業のアクティビズムに比べてよほどサスティナブル(持続可能的)であったことは言を待たない。サスティナブル・アグリカルチュアはいまや流行語のようにつかわれているが、農業の世界だけでなく人類はいまや、その社会(文化)そのものをサスティナブルなものにしなければならず、その方法は突走るアクティビズムでなく、受容するパッシビズムをもってしなければならないのではないか。

 そのばあい農耕の営みこそが大きなよりどころとなるだろう。

農業の役割は機能ではない

 スギが痛いと叫ぶわけではない。そんなことは当の、滋賀県の林家Mさんだってよくわかっている。といって、スギが痛いと叫ぶというのは、表現豊かなMさんが、ちょっと気取って言ってみたというだけのものでもない。打ちまちがえてスギ皮のはげたときに、“痛い”の叫びは確かに発せられた。どこから?

 それはスギからではなくMさんからである。斧を振り降ろして枝に当てる。微妙な狂いで皮がはげる。ふつうなら“シマッタ”とか“チクショウ”とか“チェ”とか出るはずの嘆声が、Mさんのばあいは“痛い”と出る。打ちまちがえた瞬間、Mさんの心にスギの心が感情移入されるのだ。Mさんが、真実、痛いと感じる。

 とはいうものの、スギに心があるわけはない。本来感情のない植物ではあっても、育てる者はつねづね感情を対象に投影している。それが育てるということなのである。その投影され蓄積されたMさんの心の中の無意識の感情が、ある瞬間(たとえば枝打ちを失敗したときに)、突然顕在化される。そうした複雑な経緯があっての“痛い”である。

 「イネの気持がわかる」、「イネと話ができる」――これらはすべて比喩ではない。愛情の吐露といったふうのものでもない。育てる人たちと育つイネとの間に成り立つ投影と顕在化のコミュニケーションとでも言ったらよいのだろうか。

 「荒々しく自然や物事に働きかけるのではなくて、自然と人間との間の相互的な関係を重視しながら、おのずから自然と折り合いをつけ、共生しながら、よりよく生きる。そしてそこに文化を発酵させていく」というふうに高木さんが描いたパッシビズムは、このように農耕の世界に存在しているのである。

 農業の役割ということがさまざまに論じられる当今だが、あれこれの機能としての役割を拾い上げるだけでなく、文化の根源を支えるものとしての、農耕世界の営みのパッシビズムをこそ尊重しなければならない。そんな時代に人類は立っている。それは来るべき二十一世紀への展望というよりも、二十世紀を賢く終らせるための大きなよりどころだといわなくてはならない。

 イネを語ろう。牛と語ろう。

 イネと語り牛と語ることのできる人たちの営みを尊重しよう。

(農文協論説委員会)

前月の主張を読む 次月の主張を読む