主張
ルーラルネットへ ルーラル電子図書館 食農ネット 田舎の本屋さん
農文協トップ主張 1993年04月

無限に広がる食と農の世界
「日本の食生活全集」完結を記念して

目次

◆「食べごと」という素敵なことば
◆広がる「食べごと」ちぢこまる「食通」
◆暮らしは風土への働きかけから
◆自然の恵みを授かる知恵
◆食と農の広がりをより大きく

無限に広がる食と農の世界

「食べごと」 という素敵なことば

 九州の話しことばに「食べごと」というのがあるのを知り、「食」について考えるうえでのモヤモヤが一気に晴れていくような気がした。

「食べごと」はこんな風につかわれる。

「私、食べるっていう感じで物を食べたことがあるかしらんと思ったの。子供を産むまでずっと、“食べさせられる”という感じでした。親とか下宿とか寮とか、お百姓さんとか(に食べさせてもらってる)。お米作ったことがないのですもの。炭鉱あたりの女の人は、働いたあと“さあ、今から食べごとせにゃあならんもんな”とおっしゃるのね。料理しないといけない、ではなくて、食べごとをすると言うんです。……“食べる”っていうのは料理ではない、生活ですね。……子供時代の私には生活は淡くて、学習が主で、そして、結婚してやっと私も食べごとをするというふうに感じてきたんです」(森崎和江氏の発言。大島渚編『食べる』平凡社、所収)。

 森崎氏のいうように、食べるというのは料理を食べるというだけではなくて生活なのである。それも生活の一部分ではなく、生活丸ごと。だから、“食べる”というより“食べごとする”の方がずっと胸におちる表現である。

 森崎氏は永らく炭鉱で暮らしてきた人である。

「炭鉱あたりの女の人たち」が「さあ、いまから食べごとせにゃあならん」と言って始めることは、まず共同の井戸への水汲みかもしれないし、売店への買出しかもしれない。農家ならば、屋敷うちの菜園へダイコンの一、二本を引きに行くことかもしれない。とすれば、そのダイコンの種まきもまた、食べごとの始まりといってよく、炭鉱の売店の共同運営のための寄合いですら、食べごとである。

 それらが、まな板で菜を刻む響きや、炊き上がった飯の香りを生み、子が親に指示されて飯椀を供える仏前にもつながっていく。むろん食卓の談笑も、ときには「酒ごと」の喧噪も、それらすべてが終って食器を洗う指先の冷めたさも、みんな食べごと。

 じつにさまざまな意味を、無限に、「食べごとする」のなかから取り出すことができる。

 気付いてみると、「食べごと」を漢字でかけば食事である。食事とは文字通り「食べごと」であった。食べるだけのことではない。台所仕事だけでもない。食べることに係わるすべてに、豊かに広がっていく世界である。

 そういえば、子どもがやる「ままごと」遊びでは、父親役はまず「ただいま」といってムシロのわが家に帰ってくる。通勤や、働くことすら、ままごと、飯ごと、つまりは食べごとである。

広がる「食べこと」 ちぢこまる「食通」

 食べごとは、ときには「せにゃあならんもんな」の苦渋にもなり、ときには「食べごとせんか」の友呼びともなり、ときには「飯ごと」同様の遊びにもなる。ハレになりケになり、儀式になり、日常になり、遊びになる。

 かくて食べごとは無限に広がり、食べごとの豊かさはその広がりのなかにある。決してつぎのような美味礼讃の「食通」たちのなかにあるのではない。

「極上のオリーブ一粒、これをヒワの腹に詰める。このヒワをハトの腹に、そのハトをウズラの腹に、と順々に大きい鳥の腹に詰めていって、最後は巨大な七面鳥の腹にすべてをおさめてしまう。この十数羽の鳥はみな、それぞれの産地でえりすぐった逸品で、しかも腹詰めのたびに、吟味された酒、香草、ソースなどで入念に潤味される。さて、最後の仕上げをととのえ、焼かれた七面鳥を食卓に。七面鳥の腹を開くとホロホロ鳥が、それを開くとキジが、と逆の順に小さいのが現われてきて、最後にヒワの腹からオリーブの実がとり出される。このヒトツブダネを温めた小ザラにとり、おごそかに味わって、食事は終わり。鳥は食べない。そして、“六番目のコジュケイは産地の寒冷度が少し不足だったようだ。それに小紋鳥に使ったシェリー酒は少々若すぎたネ”とか、つぶやく。こういう“通”とはつきあいたくない」(三善晃『遠方より無へ』、白水社)。

 このような食通たちの食べる食べものの、なんとちぢこまったものであることか。

 食べごとの世界はいつも時空をかけて広がってゆく。グルメの世界は時空をちぢめにちぢめて、せっかっくの「それぞれの産地でえりすぐった逸品」ですら、その地の個性を大らかに主張するのと逆に、ひたすらオリーブの実一つのなかにちぢこまってしまうのである。

暮らしは 風土への働きかけから

『日本の食生活全集』(全五〇巻、農文協)が完結した。全集の名は「食生活」であるが、一冊一冊の名は『岩手の食事』であり『アイヌの食事』である。そして索引巻は『日本の食事事典』。つまりこの全集は日本の食事=食べごとの無限の広がりを掘り起こすことで成り立っている。

 大正末期から昭和初期の、日本全国各地の「食べごとの世界」全国三〇〇余地点で古老から聞き書きしてまとめた記録である。

 索引巻のまえがきには、つぎのように記されている。

「この全集の直接的な企画意図は大正末期〜昭和初期の食事のあり方を、記録にとどめることでありました。したがって、単なる“伝統食”あるいは“郷土食”のカタログではありません。暮らしから食だけ切り取って叙述するのではなく、庶民の暮らしのあり方の、地域ごとの多様な展開を“食べる”ことから浮き彫りにすることを目指したものです」

 ここに言う地域とは、地理的な意味での地域ではなく、人が住む場所である。だれかがどこかに定住する。その場所に暮らしがはじまる。山−川−海と広がる一次自然に、人間の暮らしが展開し、荒野は開かれ畑となり、水が引かれて水田となる。これらの二次自然も含めて、その場所、場所での暮らしの豊かさが実現していく。その豊かさの根源は山−川−海での採集であり、田畑での農耕である。食べごとは、その場所で営まれる人間の自然・風土への働きかけからはじまるのである。

 だから、『日本の食生活全集』は“人間の自然・風土への働きかけ”の多彩な知恵の集大成ともいえるものだ。

 その一端を示してみよう。

「ちゅん豆というのは炒りたての豆を汁につけるとき、ちゅんと音がするので、このようにいう。大豆の収穫が終わって大豆幹《がら》を燃していると、とり残しの豆がぱちぱちはねる。この音を聞くと、新大豆でちゅん豆をつくろうということになる(中略)。つくり方は大豆を鉄なべで、豆が笑うまで香ばしく炒り、その炒りたてを水で薄めた醤油の汁の中へ入れる。すぐふたをして、冷めるまでおくと、大豆が汁を吸ってふくれ、やわらかくなる」(『高知の食事』)。

 というような、その語り手でなければ決して発せられないであろう言いまわしが、淡々と、そして連綿とつづく。記述は極めて抑制的で、うまいまずいの批評もなく、栄養のあるなしの断定もない。また材料の数量的記述も大らかに簡略化され、「小さじ何杯、何グラム」の料理書とはまるで世界がちがう。その代わり、豆が音をたてたり、笑ったりするのである。

自然の恵みを 授かる知恵

 もう少し引用をつづけよう。

「馬はすり大豆を煮たてた呉が大好物で、滋養に富むので、ときどきつくってやる。ついでに、家族の夕食のための呉汁をつくることもある」(『北海道の食事』)。

「広い水田の草取りを「四日づめ」で行なう。四日づめは、四日働いて五日目の午後からごっつぉう(ごちそう)を食べて骨休みをする。これを繰り返しながら、一番田の草取りから三番まで、年によっては四番田の草取りまで暑い日ざしのなかで励む。田んぼには、ひつこ飯(木の曲物に入れた弁当)を持参して、「ひつこ飯何杯分も(米を)とり増すもんだ」といって食べる」(『宮城の食事』)。

「うるち米一升に水を三升加えてかゆを炊き、小指を入れて三回往復できるくらいの熱さまで冷ましてから、買ってきた米こうじ六合を加えてよく混ぜ合わせる。これをかめに入れてふたをし、厚い布をかぶせて二晩くらいおくと、こうじが浮かんでくる。これをなべにあけて火にかけ、さっと温める。煮立てると、こうじ菌が死んでよい甘酒ができなくなるので、前と同じように小指三回往復できるくらいまで温める。これをまたかめにあけてふたをし、布をかけて一日ほどおくと、ふんわりおいしい甘酒ができる」(『岩手の食事』)。

「うどんごなをこね鉢に入れ、塩少量を入れて水で耳たぶくらいの固さにこね、少しねかせる。これにござをのせ、その上から足で踏んでのばす。踏み広がったら、丸め直して踏むことを三回ぐらいくり返す。目方がかかると早くのびるので、赤ん坊をおんぶしてすることもある」(『群馬の食事』)。

「かぼちゃぐらいに育った三、四年もののこんにゃくいもを洗い、四つ割りにして水からゆでる。わらの穂の根元がいもにすーっと通るくらいやわらかく煮えたら、水にとって皮をむく。唐臼で搗きつぶし、平たい桶に移してねっとりするまでしっかりもむ。じゅうぶんもみあがったら熱湯を杓《しゃく》で一杯差し湯して、手早くもみこむ。ふたたびもみこんで、さらに差し湯する。これを八回繰り返す。こんにゃくを平らにのばし、中央部分に人差し指で筋をひいたとき、その溝がくっつくようになったら、石灰を熱湯に溶かした上澄み液を混ぜ、両手で手早く混ぜると固まってくる。それを適当に分けてゆでる」(『大阪の食事』)。

「かしわもちは、もち米を粉にひいて水でこねるが、このとき小麦粉を少し加えることもある。皮ができたらあんを包む。かしわの葉にあん入りだごを包みこみ、蒸しあげる。松葉を二、三本入れておき、色が茶色に変わると蒸しあがったことになる」(『宮崎の食事』)。

 当時の食事の労働との結びつきの強さ、そして四季の移り巡りに合わせた働きかけの知恵に改めて目をみはる。

 この全集では、聞き書をした地域ごとに、まず「四季の食生活」として、春夏秋冬の日常の朝昼晩の食事と祭りや盆、正月、仕事の節々での行事食(ハレ食)が記されているのだが、季節を追って読み進むと、そこで一年を過ごして、その地の自然の優しさ、厳しさをまるまる体験したような気持になる。さらに人の一生の通過儀礼での食事や、医療への動植物利用の記述もあって、それらは人々の自然の恵みを授かる知恵と工夫の宝庫である。

 作家の富岡多恵子氏はいみじくも『日本の食生活全集』に「文学的感動を覚えた」として、その理由をつぎのように記している。

「料理のつくり手=語り手は、五十年前の食べものの再現の作業者であり、同時にそれらを食べた過去の時間(抽象的時間)をこの作業のなかで再現することを強いられる。語り手たるおばあさんたちは、つくり手たることによって、たんなる過去の鑑賞者になりえない。またそれを聞いて書き写す方も、書き写す作業のために、たんに過去の食べものを採点したり批評したりするだけの鑑賞者にはなれない……つくり手=語り手たるおばあさんたちが、料理するという具体的行動で抽象的時間を再現してしまったのに反して、書き手=編者は、抽象的時間の再現を期待し、予想したであろうのに、目の前にあらわれた具体的な食べものに対面した。そして読む者は、この両方を、まるで絶対矛盾の自己同一化のごとく経験させられる。わたしが『岩手の食事』という本に文学的感動を覚えたのは、だから「民話」の世界に感動したのではなく、ヒトが「ものを食べて」生きる事実に感動したのである。これは、「食通」を書く文章によって味わったことのないものだった」(『表現の風景』、講談社)。

「ヒトが“ものを食べて”生きる事実」の豊かな広がりは、まことに感動に値いする。その感動は食べて生きる背後には農耕の世界が厳として在ることの確認でもある。

食と農の広がりを より大きく

『日本農書全集』(全三五巻、農文協)は江戸時代に北から南までの各地方に書き残された農耕のしかた、農の営みのぼう大な記録である。『日本の食生活全集』に記録された大正末期〜昭和初期の「食べごとの世界」は、さかのぼれば、この江戸期の農耕の姿のうえに形づくられたものだ。農書の世界は、当時の農耕が北は北、南は南で、地域の自然と風土のなかで生れてきたことを余すことなく物語っているのだが、天明五年(一七八五年)に秋田の大農、長崎七左衛門によって書かれた『老農置土産』につぎのような文面があることは、大いに注目したいことである。秋田とは気候風土の全く異なる九州福岡で成立した宮崎安貞の『農業全書』について大要こう言うのだ。

「『農業全書』は、九州の宮崎氏が七十余歳まで努力を重ねて実験した結果であり、世間にとって重宝この上ない書物であるのに、暖国のことを記したこの書物を、寒いこの地方で参考にするわけにはいかないといって、買い求めても箱の底にしまって紙虫の巣にしてしまっているのは誠に嘆かわしい。心を用いて読めば“火で乾す”ことをから“水で潤す”ことを思い当たることもできる。暖国の『農業全書』は寒国にとって決して無用の書物ではない」(『日本農書全集』第一巻)。

 直接そのまま役に立たなくとも、逆に考えることで役に立つというのである。“無限に広がる食べごとの世界”と全く同様に、農耕の世界もまた、人間の、自然と風土への働きかけという点で、全国どのような場所であっても原理は同じ、根源でつながっていて、その広がりは無限である。

 そのことに、江戸時代の農人はすでに気付いていた。

 江戸時代の後期は、全国の物産(地域の資源)が調査され開発され、全国的に流通しはじめた時代である。住む場所に根をおいて、日本全国に目をくばる。いまのことばでいえば“グローバルに考えローカルに実践する”ということである。

『日本の食生活全集』によって日本全国の食べごとの世界にふれ、自らの地での食事を豊かにしてほしい。“火で乾す”他国の知恵から、“水で潤す”当地の知恵を開発してほしい。

 二十世紀がすぎようとするいま、広がりは世界に及ぶ。

 農文協では、『日本の食生活全集』の完結にともない、引き続く企画として『全集・世界の食料世界の農村』全二七巻を用意した。『日本の食生活全集』は全国三〇〇余の地点で、その地域の持つ個性に食生活から光をあてたものである。引き続く『全集・世界の食料世界の農村』は、世界の地域(国ではない)の個性に農村、食料、農林漁業から光を当ててみる試みである(五月から刊行開始。内容見本希望。「主張」を読んで−とお申し込みください)。

(農文協論説委員会)

前月の主張を読む 次月の主張を読む