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農文協トップ主張 1993年08月

「むら」の小中学校のために一肌ぬいでもらいたい
学校図書館整備新5カ年計画のスタートに当たって

目次

◆文部省の新しい学校図書館充実策
◆目をみはる農村の読書水準
◆読書運動を農村から興したい
◆町営書店という新しい試み
◆やがては生涯教育の一環として

 「この一ヵ月間に何冊本を読みましたか」と聞かれて「一冊も読まなかった」と答えた子どもたちが、小学生で一〇〇人中一一.七人いた。それが中学生となるとずっと増えて、一〇〇人中四五.六人になる。高校生に至っては、なんと五九.六人というのだから驚く。(全国学校図書館協議会と毎日新聞社が毎年行なっている「学校読書調査」による)。

 この「子どもの本離れ」は年々増える傾向にある。

 この事態を憂慮して、児童書の作家や画家、児童書の出版社、読書運動をすすめている団体が今年三月に一堂に会し、作家の井上ひさしさんを会長とした「子どもと本の出会いの会」を結成した。子どものための読書運動を推進しようというのである。

 一九六〇年代以降、受験競争は激しさを加え、知識の注入と偏差値だけが重視される教育が広がった。教科書やドリル類を唯一の教材とした“教え込む教育”である。小学生、中学生、高校生と、高学年になるにつれて本離れが進むというのも、この受験競争と無縁ではあるまい。明日のテストのための即効的な教育は、ちょうど化学肥料だけで作物を作るようなものである。化学肥料を多用すればやがて土をダメにしてしまう。

 土とは、このばあい子どもの思考能力ということになろう。即効だけをねらった教育は子どもの“考える力”を養うことができない。

 作物が大地に根を張ってしっかりと育つには化学肥料でなくて有機質肥料(堆肥)が必要だ。子どもたちが自分の力で自由に考え、個性豊かに創造力を発揮できるように育っていくためには、この堆肥に当たるものが必要だ。それこそが知識をつめ込むのではない、自由な、幅広い読書なのである。

文部省の新しい学校図書館充実策

 民間に「子どもと本の出会いの会」ができたのと機を一にして、文部省も子どもの読書環境を改善する政策を打ちだした。その一つが「学校図書館整備新五カ年計画」だ。全国の小中学校の図書館の蔵書を五年間で現状の一.五倍に増やすために五〇〇億円を支出するというもので、こうした学校図書館の充実策は三四年ぶりのことだという。

 ただ、この五〇〇億円(今年は八〇億円)は国庫補助金や国庫負担金ではなく、使途に制限のない地方交付金として交付される。そこで、各市町村が学校図書館の図書費として予算化しないと、他に流用される恐れがある。それぞれの学校や教育委員会は、文部省が発表した「学校図書館図書標準」(学級数に応じた蔵書冊数を示したもの)に自校の蔵書冊数を照らして、不足分を予算化し、その獲得のために働きかける必要がある。そうした働きかけがないと、市町村が予算化しない可能性もあるわけだ。

 このことについて、今年三月二十九日に文部省の初等中等教育局長から各都道府県教育委員会教育長に次のような通知が出されている。

 「貴管下市(区)町村教育委員会に対し、このことを周知し、公立義務教育諸学校において学校図書館の図書の整備が図られるよう指導願います」

 そこで、『現代農業』は読者の皆さんによびかける。ぜひ、この地方交付税を“むら”の中学校、小学校の図書館の充実に使う運動を起こしてほしいと。

 今年の分の予算化は九月〜十一月に各市町村の秋の補正予算に計上しなければならない。市町村の住民は教育委員会で「新五ヵ年計画」について聞き、資料を見ることができる。また、PTAの一員として、小学校や中学校の先生方から学校図書館の実態を聞き、この機会をとらえて子どもたちの読む本の充実をはかるよう働きかけることもできる。学校図書館には専属の職員がいることはほとんどない。学校図書館法という法律には「学校図書館の専門的職務を掌らせるため、司書教諭を置かなければならない」と定められているが、実際には全国の小・中・高等学校は四万一〇〇〇校、司書教諭の数はたったの五五五人である。この法律の附則に「当分の間司書教諭を置かないことができる」とあるからである。

 こんなことはないとは思うが、学校図書館の係を兼務している先生が「これ以上忙しくなるのはゴメン」というわけで図書館充実の機会を逸するとしたら残念だ。PTAや住民の後押しがあれば先生も力づけられるだろう。

目をみはる農村の読書水準

 いったん話を変えるが、私たちは日本の農家の皆さんの読書水準はたいへん高いと感じている。国際的にみてもそうだし、国内の都市勤労者と比較しても決して低くはない。

 早い話、この『現代農業』を購読している方は二〇万人を超えているし、農家の婦人雑誌の『家の光』や日刊の『日本農業新聞』はもっと多い発行部数である。

 昭和二十年代からずっと、農村の読書運動にたずさわってきた当会の職員は「近ごろの農村の読書水準の高まりには目をみはってしまう」と、つぎのように言っている。

 −−例えばさきに完結した『食料農業問題全集』全二二巻のうちの『明日の農協』という巻は二万部を超える売れゆきだった。農業経済学の専門的な「農協論」であるこの本がこんなに売れるなど、かつてはとても考えられないことだった。二〇〇〇〜三〇〇〇部どまりが常識だった。それが今では、この全集でいちばん部数の少ないものでも六〇〇〇部出ている。

 −−もともと普及所や農協、農業指導を職業としている人たち向けに発行された『農業技術大系』が、一セット一〇万円を超える定価なのに一般農家に購入されている。情報を検索して利用するというハイレベルの読書法を、日本の農家は十分もっているんですね。

 −−最近刊行が始まった全二七巻の全集『世界の食料、世界の農村』の予約状況をみると、『農業技術大系』のような技術専門書を読む人たちに抵抗なく受け入れられている。技術の勉強をする人たちは世界の食料や農業や農村の動向にも目を向けようという力をもっているんですね。一昔前なら農民組合のリーダーのような革新思想の持ち主以外には、とても買ってはもらえなかった。

 −−ご婦人たちの読書力も大したもの。『日本の食生活全集』全五〇巻(一四万五〇〇〇円)を自分の一存で購入する婦人が珍しくない。折々に読んで、ときによその地方の農家の食事を楽しんでみたいとのこと。三十年代に『現代農業』の購読をすすめて村々を歩いていて、いちばん困ったのは、せっかく旦那さんをくどいたのに、おかみさんから「読みもしないのにムダだ」と横ヤリが入ってしまうことだった。あのころからみたら、とても考えられないことです。

 このような農村の読書水準の高まりと、子どもたちの本離れ、読書力の低下が同時進行している。さきの読書調査からは都市の子どもと農村の子どもの比較をすることはできないが、農村では親のほうの読書水準が高まっているのだから、その影響を子どもたちに与えることは容易なはずである。だからこそ私たちは、読者の皆さんに子どもの読書運動への肩入れをしていただきたいのである。親がほんの少し子どもの読書に気くばりをすれば、子どもは本が好きになる。

 子どもが本離れしているのではなく、学校教育や家庭、地域のあり方が子どもを本から遠ざけてしまっているのである。その点では、農村のほうがいまや“読書環境”にめぐまれているといえる。親がその気になれば、農村の子どもたちのほうが都市の子どもたちよりもよく本を読むようになる可能性が高い。“家庭の読書環境”がすぐれているからである。

読書運動を農村から興したい

 もう一つ理由がある。

 読書とは、ただ教養のためにだけ推めるべきものではない。これからの社会は高度情報化社会だとよくいわれる。あふれるような情報を選択し自分のために活用する能力(情報活用能力)は読書をすることから育っていく。その読書は教養であるよりも、自然界や人間社会で起こるさまざまなことがら、また自然と人間との関係のあり方を解読するためのものである。判断力を養うのである。読書をすること自体が目的なのではなく、まず身辺の自然、人間、社会を正しく判断することに結びつけられて読書の目的が完成する。

 都会ではいま、自然も人間も社会(地域)も見えにくい。都会の子が学校と家庭の間を往復するときに、地域社会を感じないでもすんでしまう。自然を感じないですんでしまう。農村では、通学の途中に山もあり川もあり、田もあり畑もあって、そこで隣のおじさん、おばさんが働いていたりする。目の前の自然、目にふれる地域を読書に結びつけることができる。

 いま、人類の未来は環境問題の解決、自然と人間の調和をどう図るかにかかっている。情報活用能力を子どもたちが身につけて、たしかな判断ができる子どもになってもらいたい。その読書運動を農村から興したいというのが私たちの願いである。

 農文協では七年前から農村の子どものための児童図書の発行を心がけてきた。

 たとえば、動物園を扱った絵本は数限りなくあるが、農文協で刊行した『だれも知らない動物園』全一〇巻は、動物園の飼育係の人々が議論をたたかわせながら作り出したたいへん珍しい、貴重な絵本である。飼育の苦心や、動物への愛情が熱心に、手にとるようにわかりやすく、しかし真実から一歩も退かずに語られている。家畜を飼った経験のある農家のお父さんお母さんなら、飼育係の人たちの心にまったく同感でき、これを子どもに読み聞かせれば、都市のサラリーマンではとてもむずかしい親と子の、そして著者と読み手の、自然を介した交流ができるにちがいない。

 自然のもっている豊かさ、楽しさ、そして偉大さ、ときには恐ろしさや慈悲、原因と結果の複雑なからみあい、見える部分と見えない部分、偶然と必然……。自然が見せる限りなく広い相(姿)と人間との関係を感じとり、自然と農業を大事にする子どもたちが育つ絵本、児童図書農文協はたくさんつくっている。

 農村の子どもたちの読書運動を興すことで、農村主導の未来社会をつくっていきたいとつくづく思う。

町営書店という新しい試み

 農村での読書水準の高まりは驚異的だと、先に述べたが、じつは“農村の読書環境”には、一つの重大な欠陥がある。それは“地域社会の読書環境”が貧弱だということだ。

 公共図書館がたいへん少ないのである。

 全国の市部にはたいてい図書館があるが、全国の町村部では八割が図書館をもっていない。その上、書店も少ない。生活環境としては上・下水道並に遅れている。

 ここで出版文化産業振興財団(略称JPIC、理事長遠藤倉健一、東京都千代田区神田淡路町二ノ一)のことを紹介したい。JPICは、出版社、取次店、小売書店によって構成されている財団法人で、公共図書館もなく書店もない町村に、町村営の書店をつくることを事業の一つにしている。大分県の耶馬渓町と岩手県の三陸町に、このJPICが援助して町営の書店が開設された。図書館をつくるほどの予算がない町村で、町村が書店を経営することによって住民の“読書環境”を整備するというユニークなやり方である。図書館もない、書店もない町村にあっては、有志の努力で、町村立の書店の開設が可能なのだ。

 全国の町村数は二五七六、その半数の町村には書店がない。

町村の公共図書館設置率は二二%である。とくに人口一万五〇〇〇人未満の町村では設置率が低い。図書館のない町村に住む人は全国で二三〇〇万人にのぼる。JPICの調べによると、書店も図書館も両方ない町村は全町村の四二%を占めている。 

 岩手県の三陸町もその一つであった。その三陸町の中央公民館の一角に町営書店「ブックワールド椿」がオープンした。売場面積が約一〇〇平方メートル。店には一万冊の本が陳列されておりその三割、三〇〇〇冊を児童図書が占めている。まず、子どもが本に親しむ環境をという町営らしい配慮である。

 人口九二〇〇人の三陸町の町予算規模は約五〇億円。しかし、充実した図書館をつくるには建物と蔵書で当初五億円ぐらいはかかるというのが専門家の常識である。図書館は建てたいが予算がない。現実的な選択として町営書店の開設となったのであった。むらの中学校、小学校の図書館の蔵書状況を知っていただき、次になにをなすべきかの一つの材料として、この一昨年から始まったJPICの「地域読書環境整備事業」について考えてみてはどうだろう。

やがては生涯教育の一環として

 町の財政規模は四〇〜五〇億円だが、町立の公共図書館をもち、毎年財政の相当程度を継続的に図書館運営費にあてている町もある。北海道の置戸町や訓子府町である。図書館があるだけではない。全国でもトップクラスの貸出冊数を記録しているのである。町村の八割には図書館がない。しかし、このように熱心に読書運動を進めている町村もあるのである。住民と当局の協力によって子どもたちの“読書環境”をととのえる努力をしてゆけばやがて、財政規模の小さい町村にも、図書館を設けることは可能だ。

「学校図書館整備新五カ年計画」をきっかけにしてまず、わが“むら”の「学校図書館整備計画」を立てていただきたい。やがては国の予算だけにたよらず、町村独自の予算を立てることもできようし、農協や商店会などの力で学校図書館の図書整備をバックアップする方式を工夫できよう。わが“むら”出身の都市住民にふるさとの小中学校図書館の整備に協力を求める方法もあろう。「学校図書館整備新五カ年計画」をわが“むら”の「読書環境整備五カ年計画」へと発展させていきたいものだ。

 町村の学校はスペースに余裕があるところが多い。学校図書館に町村民用の図書館を併設してむらの「生涯学習計画」をすすめることは極めて現代的で実現可能な考え方である。都市においては、さまざまな形で「生涯学習計画」が立てられている。たとえば、通産省の産業構造審議会には生涯学習振興部会があって、生涯学習をいろいろな角度から検討している。この部会で、女性と高齢者の生涯学習意欲が発揮できるように、さまざまな制度が考えられている。

 生涯学習計画を至急に立てなければならないのは農村だ。とくに、高齢層と女性の生活学習の要求に応えなければならない。

 子どもたちから高齢者まで、むらの読書環境をととのえる提案をした。情報化、国際化、高齢化の時代に読書のもつ意味はますます高まる。結びに江戸時代後期の儒学者で幕府の文教政策の首班だった佐藤一斉の主著『言志晩録』の一節を引用しよう。

「少にして学べば、則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず」。

(農文協論説委員会)

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