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農文協トップ主張 1994年01月

21世紀は「小さい農業」の時代
世界が日本農業の生産革命に期待する

目次

◆世界は、百年刻みの大変革
◆江戸時代農業の世界史的意味
◆機械を道具に、バイテクを農家の庭に
◆産直のほんとうの価値
◆農業が世界の高齢化社会を根本から解決する

世界が日本農業の生産革命に期待する

 経済不況のさなかに、農水大臣みずからが「百年に一度」と言明する大凶作に見舞われた平成五年は、日本の農家にとって苦難の年であった。この苦難を、来るべき二十一世紀を農業の世紀とするエネルギーに変えたいと切に思う。それは二十一世紀に日本の農家が世界人類に貢献する歴史的必然性について考えることでもある。

 なぜ二十一世紀に日本の農家が世界に貢献することが必然なのか。解く鍵は三つある。「小さい農業」、「社会システム」としての農村、そして「ハイテクノロジー」である。

 だが、世界人類への貢献がテーマなのだから、世界そのものの変貌を、つぎに日本という国の歴史的な成り立ちをすこし長い目でさかのぼって、巨視的にとらえておかなくてはならない。まず、十八世紀以来の世界史を、百年単位で概観してみよう。

世界は、百年刻みの大変革

 いまから二百余年前、一七八九年にフランス革命が起こった。それからちょうど百年目、一八八九年に、第二インターナショナルが結成された。そして、そのまたちょうど百年目、一九八九年にベルリンの壁が崩壊した。各世紀末の八九年という年に、奇しくも起きた三つの事例は、それぞれ次の世紀の特徴を予告している。

 一七八九年、十八世紀末に起きたフランス革命は、次の世紀十九世紀がブルジョアジー(資本家)の世紀であることを予告した。まさに十九世紀は資本家の世紀となった。資本主義が世界を掩った。

 一八八九年、ドイツ社会民主党を中心に世界のプロレタリアート(労働者)の国際組織、第二インターナショナルが結成された。そして二十世紀は労働者の世紀となった。一九一七年ロシア革命で労働者の国家が出来上がった。その首領レーニンの提唱した「八時間労働制」と「民族自決権」への要求が世界を掩った。(皮肉なことに社会主義国ならぬ)全世界の資本主義国では、いま「八時間労働制」がおおむね実現しているし、植民地諸国はすべて独立した国家になっている。

 一九八九年、今世紀末にベルリンの壁が崩壊した。それはなにを予告しているのだろうか。今世紀後半、東西冷戦という形に凝縮した階級矛盾関係が、より大きな、全人類的矛盾としての自然と人間の敵対矛盾関係にとってかわる世記が二十一世紀であることを予告しているのである。そして、自然と人間の関係の矛盾の解決を根源的に担うのは農業、林業、漁業をおいて他にない。

 かくて、世界史を巨視的にみれば、十九世紀は資本家の時代、二十世紀はそれに拮抗する労働者の時代、そして二十一世紀は農林漁家の時代、という史観が浮かびあがる。

江戸時代農業の世界史的意味

 つぎの日本史。

 現代の社会を工業化された社会と見るならば、その端初は十八世紀後半から十九世紀初頭の、イギリスの産業革命にあったと考えるのが常識であろう。では、当時の日本はどうであったか。鎖国された前近代の封建制社会のもとで、農民は「真綿で首を締められ」ていたのだろうか。

 否、経済史家川勝平太氏(早大教授)は、「江戸時代農業の世界史的位置」(注)という論文でつぎのようにいう。

 「近世日本の農業について、世界史的に見て二つの特徴を指摘できる。一つは鎖国前に海外から輸入されていた作物をことごとく国産化したこと、もう一つは、それと関連するが、西ヨーロッパで起こった産業革命に匹敵する生産革命を経験したことである」

 鎖国と国産化(自給)を繋げ、そこに生産革命を見る史観は、まだ常識にはなっていない。しかし、当時のラジカルな”反体制”思想家、安藤昌益さえ、自給について肯定的に、つぎのように述べているのである。

 「五穀も、小粒だがたくさん取れ、金・銀・銅・鉄などの金属も、木材や薪木なども国内の需要を満たし、人々が症状に応じて服用するのに必要な薬草をまかなうことができ、外国からの輸入に頼らなくても、すべて国内で自給自足が可能である」(「統道真伝」一七五二年執筆、農文協『安藤昌益全集』第一二巻所収)

 また、近年の日本近世経済史の実証的研究は、近世についての既成の史観をつぎつぎにくつがえしている。『日本農書全集』の最新刊(第四五巻)の「特産1」には、紅花、藍、菜種、椎茸、海苔、煙草、朝鮮人参などを扱う農書が収録されている。栽培や加工の方法が図入りで詳細に述べられており、それらがみな原理的にいまも引継がれている技術であることに驚く。

 さらに驚くことは「煙草諸国名産」は江戸の煙草商、三河屋弥平次によって書かれたいわぱ煙草百科事典で、記述は全国の産地とその製法、品質、効能、喫煙法(オランダや中国を含む)、江戸への出荷量等の万般に及ぶ。また椎茸培養の指南書である「五瑞編」の著者、佐藤成裕は江戸生まれではあるが二十歳のとき藩主に招かれて薩摩に赴き二年滞在、以後白河藩、米沢藩、会津藩、松山藩などを広く巡り、薬草、椎茸等の栽培指導を行なった。

 成裕は「五瑞編」の冒頭で次のように高らかに宣言する。「菌師の働にあらされハ損益を識る事あたはす。況ヤ数万斤を作出すに至るをや」。菌師は茸師、つまりしいたけ作りのプロなのである。プロが全国を巡回しては特産物振興の指導に当たっていたわけである。

 「西ヨーロッパで起こった産業革命に匹敵する(日本の)生産革命」は「木綿、生糸、藍、煙草、砂糖、朝鮮人参などの輸入品をことごとく(国内)生産によって代替した」。そのパイタリティが、資本集約型の欧米と対照的な労働集約型の生産革命を帰結させたと、川勝氏は結論する。

 資本を投じて外へ外へと向う欧米。そこにはフロンティア(植民地)が前提とされる。一方、資本を節約して内を充実させる日本。そこにフロンティアはなく、有限世界でのリサイクルがある。前者がつくる農業は「大農経営」であり、後者がつくる農業は「小農経営」である。

 ところで、いま二十一世紀を展望するとき、そこにもはやフロンティアはない。とすれば、来世紀に人類が頼るぺきものは「大きな農業」ではなくて、「小さい農業」ということになる。それが歴史の必然なのである。

機械を道具に、バイテクを農家の庭に

 「小さい農業」がこれからくりひろげるであろう生産革命は、もちろん、今から欧米型の農業を目指すことではないが、かといって近世以来の伝統農業に回帰することでもない。

 日本の「小さい農業」の生産革命は、農業機械、肥料、農薬などの近代科学の成果から徐々に離れて、ハイテクノロジーとしての現代科学を基軸にすえることですすめられる。

 日本はエレクトロニクス(電子工学)でもバイオテクノロジー(生物工学)でも、世界の先端を担ってきた。それらのハイテクノロジー(先端技術)を農業の世界に活かすことによって「小さい農業」の「小さい」ままの生産革命がひき出される。

 エレクトロニクスの発展によって機械の道具的利用は著しく高まった。不耕起田植機や野菜の苗の移植機のように、道具的役割を機械が果せるようになった。トラクターやヘリコプターなどの無人化によって、機械の道具化が進めば、それも「小さい農業」生産革命の一つのポイントとなる。

 バイオテクノロジーはすでに「手作業」の段階に農業の先端技術を引きこんだ。バイオテクノロジーの技術は近代農業技術の「機械制工場」への依存とちがって「手工業」的な様態をとる。「小さい農業」にふさわしい技術である。バイオテクノロジーの技術を工場的様態から農家の技術に移し変える。

 機械を道具に、バイテク「工場」を農家の庭に、というのは夢想ではなくて、すでに静かに進んでいる逆戻りできない新事実である。また、コンピューターの農業利用も着実に進んでいる。こうした動向は決して「大きな農業」に限られるのでなく、むしろ「小さい農業」にこそみられる。「小さい農業」の内部を充実させる形ですすんでいる。

 ところで、「小さい農業」は自己完結的に存在できるだろうか。日本の伝統農業は、”むら”によって結合された「大きな農業」と「小さい農業」の相補的な「社会システム」によって支えられて来た。その「社会システム」を支えたのは、”むら”の管理する「山」であり「川」であった。その共同利用が「大」は「大」なりに「小」は「小」なりにそれぞれが生きつづけられるシステムを形成してきたのである。

 今日では、”むら”に代って農村には「農協」がある。大経営をつくるには、沢山の小経営の同意がいる。大経営が小経営を駆逐して成立するようなイギリス的条件は日本の風土にはない。日本で「小さい農業」が生きつづけているのは農協や”むら”や”いえ”の社会システムがよく機能してきたからである。耕起や収穫、苗つくりなどが、これらのシステムによって支えられることによって「小さい農業」は成り立つ。「新農政」のいう「組織経営体」と「個別経営体」、あるいは「生きがい農業」にしても、兼業農家の切り捨てとして実現するのでなく、「大」と「小」の相補的な社会システムを充実させることによって、両者および非農家の共存できる、好ましい住み場所づくりとして実現していくことを大目標としていかなけれぱ成功しない。

産直のほんとうの価値

 エレクトロニクスの導入はまた、生産者と消費者を直接結びつけることを容易にする。パソコン通信、デジタル通信などの情報網と、交通手段の充実は、「販売」という農家経営にとっては異種の労働を、個別の経営の中にとり入れることを可能にする。かつての引き売りの二十一世紀版である。

 適切なシステムのもとに参画した「小さい農家」の農業生産が消費者と直結することは、農業労働力の合理的配分や土地の輪作化をもたらし、「小さい農業」の条件を確固にする。

 さらに、この直結はかつての農家内自給部門を社会化する。漬け物、乾物などの伝統的「農産加工」を現代的技術によって「食品加工」として「工業化」し、「小さい農業」は連合して「工業労働」をとりこんだ生産革命を逐げる。第一次産業が二次、三次産業を包含した総合産業となるのである。

 こうして、「小さい農業」の「小さい」ままの生産革命は農村における定住者の増加を実現する。企業的農業だけの発展は、農家による農家の首切り革命であって、農村の人口を減らす革命である。農村に人口がふえる生産革命こそ「小さい農業」による生産革命の基本なのである。

 農家は米をつくるのではなくて田をつくる。山と川を活かして田畑をつくり、”むら”をつくる。人々が暮らす場をつくる。

農業が世界の高齢化社会を根本から解決する

 「小さい農業」による日本型生産革命の世界史的意味は以上にとどまらない。日本は世界第一位の高齢化社会である。本主張欄平成五年一月号で「『新農政』は人生八〇年時代の社会システムを形成する」と題し次のように述べた。「日本の農業は日本のGNPの二%を占めるにすぎない。その農家に日本の人口の一四%が住む。注目すべきは、全国で六五歳以上の老人は一五〇六万人いるが、そのうち三四一万人二三%が農家に住んでいることである」。日本の農家は世界的に見て、高齢化社会の最先端を走っている。「小さい農業」の生産革命とは、老人が生きがいをもって生きる社会をつくる革命でもある。「小」を守ることは「老」を守ることであり、それはまた、婦人が前面に立った農業をつくりあげることでもある。

 今回の凶作では、決して大型の企業的経営が被害を免がれたわけではない。本誌が報じるように、老人経営も婦人経営も見事に凶作に勝った事例にことかかない。むしろ、老人、婦人の活力のある地域に凶作に打ち勝った例が多い。被害が大きかったのは企業的イナ作経営である。凶作にも強かった老人、婦人による生産革命の道こそが二十一世紀にむけて未来を形成する。なぜなら二十一世紀には世界が高齢化社会に進む世紀だからである。

 二十一世紀は全世界が確実に高齢化社会に進む。隣国中国で一は「一人っ子政策」をかなり長期間推進しているから二十一世紀初めには高齢化社会の仲間入りをするであろう。

 また、中国について注目しなくてはならないことは、日本と同じように、人口に対して耕地が少ないことだ。しかも日本とちがって農村人口は多い。中国だけではない。世界人口の大部分が住んでいるアジア。その人口の大部分が農家であるアジアは、おしなべて「小さい農業」が営まれている社会である(大農経営の行なわれるアメリカとオーストラリアは、世界農業の例外中の例外であって、例外を一般化しようとする政策に未来はない)。

 世界のどこでも行なわれている「小さい農業」。とりわけアジアの農業。その未来を先駆的に切り開くのが、他ならぬ日本の「小さい農業」の「小さい」ままの生産革命、ハイテクノロジーの応用と社会システムの再編成による生産革命である。

 一度「小さい農業」を打ち壊した上で再建しようというのは極めて苦渋に満ちた道である。それは、社会主義の農業、とくにロシアの現実が示している。資本主義的経営であろうと、社会主義的経営であろうと、家族による「小さい農業」を打ち壊す大農型生産革命の道は、世界の人民に多大の困難を強制する道である。

 日本が「小さい農業」の生産革命に成功して、人口超大国、中国の農業の発展論理に示唆することができれば、二十一世紀の世界はスムーズに、自然と人間の敵対的矛盾の関係を克服する道に乗ることができるであろう。

 日本の「小さい農業」の生産革命が「小さい」まま、どのように具体化するかを、世界が期待し、そこに希望を見出そうとする世紀がやってくる。

 よいお年を。

 注 川勝氏の論文「江戸時代農業の世界史的位置」は「出版ダイジェスト」十月一日号に掲載されています。本誌定期購読者に無料進呈いたします。ハガキに愛読者番号を記入してお申し込みください。

(農文協論説委員会)

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