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農文協トップ主張 1994年03月

いま、「むら」に住みイネをつくる意味
日本のためでなく、自分たちのために! そして限りなく「自分たち」の輪を広げよう

目次

◆イネは子孫を残そうとする
◆イネと「交流」してわかること
◆みんなが反省してイネの身になってみる
◆課題が見えれば解決法が生まれる
◆やりかたはいろいろ、だからイネはおもしろい

 ずっと農村に住んできて、あなたがいま六〇歳だとしたら、少なくとも五〇回の四季の巡りを自分の目で見、自分のからだで感じてきたはずだ。もし、そのあいだ、田を起こし畑を耕してきたとすれば、四〇回も作物を育て、四〇回も稔りを迎えたことになる。

 とりわけイネ。四〇回育てたなかで、今度ばかりは、経験したことのない凶作。イネを作らぬ人は、天災か人災かなどという。そういう問題の立て方をする。

 どうでもいいじゃないか。あなたの思いでは、天災であり人災であるにきまっている。

 どうでもよくないことがある。いったい、こんなにひどい天候のなかで、イネはなにを考えていたのだろう。

イネは子孫を残そうとする

 四月の初旬、まだ雪の残る田にガンの舞い降りる姿を見る頃から始まった北国のイナ作は、記録的な大凶作で終りました。種まきの頃は天気も良く、苗も立派に育って、田植えも順調に進みました。

 農家にとって田植えの終った後ほどほっとする時はありません。さあこれから育ってほしいと願うこころといっしょの“ほっと”です。ところが、昨年はその後の低温と雨続きで七月の半ば近くまで田植後と変わらぬ姿のままでした。誰もが異常な気象に不安を持ちはじめました。でも、幸いなことにその後しばらくは暖かく良い天気が二週間続いてイネはぐんぐん遅れをとり戻し、お盆前にはほぼ平年同様の姿をしてきました。

 ところが安堵の気持ちもいっときで天気は再び悪い方へ大きく傾き、八月十日頃に咲くはずの花が九月にまでずれ込んでしまったのです。これは過去に経験のないことで誰もが不安を越えてあきらめの気持ちになってしまいました。食べる米も種籾もとれないだろうと観念しました。

 幸いなことに九月は平年並みの天気にもどり、わずかに受粉したイネは霜が遅くきたこともあって思いのほか実入りがあり、自家飯米と種籾と、わずかばかりの販売する米もとれたのです。あきらめが大きかっただけに、わずかの収穫でも大きな喜びとなりました。

 この凶作のイナ作から、私たちが教えられたことは、とても大きかったように思います。田んぼごとに育ちと稔りがちがうのです。青田のころは同じように見えていたイネが、秋には大きなちがいとなって現れました。

 以上は、北海道厚真町でイネをつくる本田弘さんからいただいたお便りの要旨である(注1)。もう少し本田さんの話を聞こう。

イネと「交流」してわかること

 私は収量に差のある一枚一枚の田のイネ刈りをしながら、いろいろなことに気がつき、教えられました。長年かかって土地を豊かにしてきた田んぼ、それは土の中の微生物のエサになるようにと有機物を多く施し続けた田ですが、そのような田んぼに化学肥料を少ししかやらず、なお水を深く張り続けた所では、そうでない田んぼよりずっと、減収は少なくてすみました。

 イネは一穂に約百粒の実をつけますが、穂が出ても一斉に花を咲かせることをせず、一週間くらいかけて少しずつ花を咲かせていきます。これはイネ自身が子孫を確実に残すために身につけた知恵ではないでしょうか。

 一週間という気候の変化の幅のなかで、一粒でも多くの子孫を残そうとイネは考える。考えることのできるイネを、耕す者は支えていくことができる。本田さんは次のように結ぶ。

 作物と人間との深い交流があって、より一層の稔りの保障があったのです。私は、ふたたびび今回のような寒い夏があっても、もっと多くの収穫ができるのだということを確信しました。異常な気象でも、イネは健康で豊かな土と水があれば、わずかな太陽エネルギーで子孫を残そうとする生命力を持っている。人間が考え、しなければならないことは、おのずと明らかではないでしょうか。

 どの農家にとっても初めて経験する記録的な悪天候の中で、昨年のイネはさまざまな表情を見せてくれた。田んぼによって、あるいは一枚の田の中でも、株ごとに稔りのちがいがあった。ほとんどつっ立った穂しかない一株の中にも一本だけ垂れた穂があった。

 不作の中でなんとか稔ってくれた穂を見つけた時、農家の心は揺り動かされたにちがいない。生命としてのイネに対してである。悪天候の中で子孫を残すことのできなかったイネのことを思い、子孫を残せたイネの生命力に励まされる−そして自分とイネとの関係を問う。

 農家はいつだって不作を天候のせいだけにはしない。自分とイネとの「交流」のありようを反省することから、来年のイネつくりを考えはじめるのだ。

みんなが反省してイネの身になってみる

 現在のイネつくりを担っているのは、圧倒的に高齢者と女性である。これを農業の衰弱とみて、だから今回の凶作がなくたって、いずれは米の輸入が必要になる−というのがマスコミの論調である。みんながそのように思ってしまっている。これは、大いにまちがっている。イネをつくるということが、どういうことなのかを、少しもわかっていない。今回の凶作をまともに受けとめ、反省し、何かを生みだす。そのことに高齢者や女性が、もっともふさわしく、また、事業熱心だということをわかっていない。兼業の小さな農家が、いろんなアイデアを生みだしながら、おもしろくたのしいイネつくりを展開している。その人たちが反省し、ことしのイネつくりを考えなおしている。

「への字イナ作」の兵庫県・井原豊さんは、自分のイネつくりのしめくくりとして育種に情熱を傾けている。イネをつくり続け、イネとの交流が深まっていくと、どうしても自分の品種をつくりたがるものだという。実際には育種をしなくても、その気持ちはわかる!という高齢者は多い。

 この「への字」の広がりも、高齢者や兼業農家が広く支えている。元肥減、中期の追肥で手間と金と農薬を徹底的に減らす。熟れ方がきれいで食味もよくなる。「安全でおいしいコメつくり」は高齢者によって力強くおしすすめられている。「アイガモ水稲同時作」や「コイ・フナ農法」で元気な高齢者や兼業農家もたくさんいる。

「とにかく水を深く、深くと(福島県の薄井勝利さんに)教わってやってきて、このくらい水の力が偉大だとはわからなかった」というのは岩手県の千葉美恵子さんである。ご主人はお勤め、おじいちゃんが亡くなって「きらいだった田んぼの仕事だけど、そろそろ自分らの世代がやるしかないな」と思って、いろいろ教わりながらイネつくりをしてきた千葉さん、その千葉さんにとって、昨年の冷害は大きな経験を残してくれた、青立ち凶作のど真中で深水のイネはよく稔ってくれた。そんな千葉さんがくやしく思ったのは、アゼが低くて深水にできず不稔を多くだした田があったことだった。今年はアゼもしっかりつくって寒さからイネを守ってあげたい、そんなイネの生命をいとおしみ育てる母ちゃんたちが、日本中にたくさんいる。

 現代のイナ作は、すでに高齢者や女性によって担われているし、これからもそれで充分に成り立つのだ。農家の技術力と、機械や資材の発達がそれを可能にしている。高齢化=農業衰退論者にはそれが見えない。こういう人たちは農業は重労働という古いイメージでしかイナ作を見ていない。そんな前提が狂っているうえでの「コメ論議」にふりまわされず、私たちは高齢者や女性がよりやりやすいイネつくりの開発をいっそう進めたい。この点でも、昨年の凶作はさまざまな経験と課題を残してくれた。その点を、冷害対策としての深水をめぐって考えてみよう。

課題が見えれば解決法が生まれる

 昨年の異常低温の中で「田に水をためよう」という言葉が村々をかけめぐったはずである。しかし、事態はそう簡単ではなかった。

 不耕起イナ作を推進する千葉県の岩澤信夫さんは「いつまでも(幼穂形成期まで)中干しを続けたことが冷害を大きくした」という。長雨で田がなかなか乾かず、低温が続く中でも、水をためるどころかいつもより中干し期間がのびた農家が多かった。きちんと田を乾かさなければコンバインでの刈り取り作業に苦労する、という強い気持ちが働いたからである。東北のある普及員さんは、深水を指導することはしたが、それを強く押しだせなかったという。深水が本当に効果があるかという確信がもう一つだったうえに、深水で秋の刈取りに苦労したと農家にいわれるのではないかというおそれをいだいたからだ。  中干しは、今やイネのためというより機械作業のやりやすさのために行なうものになっている。そんな点から、人間の都合ばかりを考えてイネのことを考えていない、今度の冷害は人災だ−という声も現場ではいわれている。しかし、作業のしやすさは大変大切なものである。年輩者やかあちゃんに担われる多くの、そしてこれからのイナ作は、作業のしやすさぬきには考えられない。

 課題は、水を生かすこと(イネによいこと)と、作業がしやすいこと(人間によいこと)とを、どうやっており合いをつけるかということである。そこに現代のイネと農家の「深い交流」を可能にするカギがある。

 課題が鮮明になる時、そこに必ず、それを解決する方法、技術が生まれる。日本のイナ作の底力である。そのよい例が今注目の不耕起イナ作だ。

 耕さず代かきもしない不耕起田は、表層の土がしまっているうえに、根がつくる独自の根穴構造によって透水性がよくなる。そのため、刈取り間際まで常時深水にしても、刈取り作業に何ら支障はおきない。そして深水は、登熱期の根の活力を維持する。「冷害に強かったイネつくり」として不耕起が話題を集める理由の一つはここにある。不耕起イネでは水を生かすことと作業のやりやすさが両立する。本格的な不耕起栽培には専用田植機が必要だが、一方では今ある田植機でやれる半不耕起が今年は大きく広がりそうである。苗が植わるように軽くハローで数センチだけ耕して田植えするやり方だ。かつての深耕→増収とまったく逆の発想だが、不耕起独自の土壌構造の発達とイネの活力によってやり方によっては増収も可能である。

 その点では、「プール育苗」もおもしろい。木枠にビニールを敷いて浅いプールをつくり、そこに水をためて育苗するやり方だが、水管理は水が減ったら蛇口をひねって足せばよい。それに水が保温してくれるのでふだんはハウスのすそはあけっぱなし。大変ラクなうえに、病気もでにくく、冷害に強いしっかりした苗ができる。

 他にもいろいろあるだろう。作業のやりやすさから出発したことがイネにもよかった、そういう方法が生まれるのが、これからの高齢者によるイナ作のダイゴ味なのだ。

 機械も上手に使いたい。子どもたちが戻ってこないとわかって一時は田畑を売り払ってしまおうと考えた茨城県の高松求さん(六三歳)は今、夫婦二人で楽しく農業をやっていこうとはりきっている。そんな高松さんは、「つらい仕事は機械におまかせ」と、機械をよく吟味し日用大工店をのぞいては便利そうな小物道具を探していく。「年をとってこそ最高の機械を」、高松さんの持論だ。

 こうした技術開発が、一月号の主張で述べた「小」が「小」のままであり続ける生産革命を支える。小とはただ小さいということではない。自分の身体とイネと土が見える条件がととのった姿である。

やり方はいろいろ、だからイネはおもしろい

 作業をしやすくするためには、イネにもがんばってもらわなければならない。山形県の佐竹政一さんは「登熟期のイネに活力があれば、イネは充分に水を吸収するから田は自ずと乾いて固まる」という。長年の経験が生んだ、含蓄のある指摘だ。イネ自身の力を見直す。凶作はそんな機会を与えてくれる。

 障害型冷害による不稔で激甚の被害を受けた青森県でも、自然農法のイネは冷害に強かった。周囲がほとんど皆無作なのに五俵、六俵ととれた田があった。有機質(ワラ)による土つくりを進め化学肥料は一切やらない自然農法が、冷害には強いことは昭和五十五年から続いた冷害の時にも示された。本田さんの手紙にもあるようにイネは出穂期をズラして子孫を残そうとする力があるが、自然農法のイネはその力が強く働くという。天候が不順で出穂しても受精しないような場合は出穂するのを自分で待ち、少しでも条件がよくなると、出穂してくるというのである。イネの自己調節能力が強い、活力のあるイネとはそういう自然の力を持っているイネだ。冒頭に言った考えるイネとは、そういう意味である。

 イネの活力を高めるこんな方法もある。山形県の門脇栄悦さんは、冷たい川にタネモミを浸種するという明治時代の老農、林遠里がすすめた「寒水浸法」を復活させた。冷たい水に長期間漬けることで低温出芽、低温育苗が可能となり、それが寒さに強いイネの体質をつくるとにらんでのことである。薄井勝利さんがすすめているヤロビゼーション(低温種子処理)も似たねらいをもっている。ふつうの家庭用の冷蔵庫を利用してもできる。寒水浸法もヤロビも手間がかかるものではなく、逆にイネが強くなることで、その後の手間を減らすことができるやり方だ。

 水や低温といった、いわば自然物を生かした工夫の一方で、自分の腕前でイネの力を引き出す手もある。深水をしようにも水がこない田もある。そこで肥料のやり方を工夫する。凶作の中で、中期のリン酸追肥が注目を集めている。とくに畑地的な田は肥料が効きやすい。そこでイネの反応を見ながら、それこそここが腕の見せどころと、これまでの観察眼を生かしてリン酸を効かせ、穂肥を工夫してイネの登熟力を高めていく。栃木県では薄植え、元肥減で天候不順の中でも穂肥を打てた「じっくり型イネつくり」は登熟がよかったと栃木農試の山口正篤氏は述べている。

 リン酸が話題になると、リン酸をやるより水と微生物の力を生かしてリン酸分を効かすことが大切だと、光合成細菌など微生物資材に注目する農家もでてくる。

 いろいろだ。そして、いろいろあることが大切である。高齢者や女性に担われるイネつくりは、自分の身体と自分の蓄積した腕前と、そして田や地域の気象条件に合ったムリのないイネつくりでなければならない。そのどれもがそれぞれちがうのだから、いろいろになるのは当たり前だ。

 自分が満足できるイネつくりであればよい。そのための知恵を出し合おう。年をとったから見えてくるイネや自然がある。年をとったから発見できる方法がある。

 今年も元気にイネをつくりたい。四〇年やってきて、ここでやめるのと正反対に、人生八〇年、イネとつきあい、イネの生命をきわめよう。それが人生をまっとうするということだ。イネを通じてつながる仲間がいる。ハウスで花を作っていても、田んぼを見ると気が休まると語った若い園芸家がいた。日本中の村々で新しいイネつくりが始まる。イネと語る新しい方法が発見されていく。自然とのつきあいを限りなく楽しく、まじめにやれる人たち、それは農家をおいて他にない。

 過剰も不足も、過疎も兼業化もない。それよりまえに私の人生、私の暮し、私の農業がある。日本のためにイネをつくっているわけではない。自分のため? そうかも知れない。しかし、それは好きなイネに生きて稔ってもらうためであり、そうして稔ったコメを日本人ならよろこんで、感謝して、食べるだろう。

 注1 本田弘さんの手紙の全文は「自然と人間を結ぶ」平成六年二月号(自然教育活動27)に掲載しました。

 注2 読者の皆様のいろいろな「イネとの交流」をお知らせください。なお、ここに掲げたさまざまな技術は、つぎの本(いずれも農文協刊)に詳しくまとめてあります。

 井原豊『ここまで知らなきゃ損する痛快イネつくり』、『ここまで知らなきゃ損する痛快コシヒカリつくり』、『写真集・井原豊のへの字型イネつくり』

 古野隆雄『合鴨ばんざい』

 薄井勝利『良食味・多収の豪快イネつくり』

 岩澤信夫『新しい不耕起イネつくり』

 高松求『図解・六〇歳からの水田作業便利帳』

 片野学『自然農法のイネつくり』

 林遠里『勧農新書』(明治農書全集第一巻所収)。

 内田和義『老農の富国論−林遠里の思想と実践』

 山口正篤『だれでもできる安心イネつくり』

 小林達治『光合成細菌で環境保全』

※『イネの不耕起移植栽培』(全2巻)、『アイガモ水稲同時作の実際』(全2巻)のビデオもあります。

(農文協論説委員会)

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