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農文協トップ主張 1994年09月

農協は米流通活性化の先頭に立とう

目次

◆保有米の増加・農家による自主的流通は米流通の革命だ
◆いまこそ、農協の出番だ
◆地域付加価値を丸ごと流通させる時代

 今、米の流通が劇的に変わろうとしている。一つは極めて多くの農家が歴史上初めて、大きな誇りと楽しみとともに責任を感じつつ、自分で、米の流通に乗り出したことである。もう一つは、少なくない農協が米の産直的流通支援を農協の重要な政策として位置づけ、農協の事業そのものを自己変革しようとしていることである。この二つのことは、米の輸入自由化・食管廃止・農協解体を叫ぶ無責任なマスコミや評論家諸氏に対する現実からの反論でもある。

保有米の増加・農家による自主的流通は米流通の革命だ

 国の米備蓄のない状態で起こった今年の米騒動。それまで国民がマスコミから聞かされていたことは、米は国内にあり余っているお荷物であり、高い国産米でなくても外国からはいくらでも安くてうまい米が来るということであった。ところが事実は全く違ったのである。米の貿易量は全世界の合計でわずかに一三〇〇万tくらいのもの。しかも日本人が食べているジャポニカは二〇〇万tもあるかないか。それとても日本人が育てた米とは違うもの。いくら待っても米が来ない。やっと店頭に米が並び始めてみると、今までとは様子がだいぶ違う。農家に縁がある人は米を分けてくれるよう懸命に頼み込みもした。子供には何とか素性がはっきりとした安心できる米を食べさせたいと思うお母さんも必死であった。青空市でいつも新鮮な野菜や果物を買っている消費者も、米も分けてもらえないかと頼み込んだ。米屋も農家に頼みに回った。しかし、作況が七四の昨年はなおさら、農家にあり余る米はなかった。

 この米騒動を通じて、少なくない消費者が農家に保有米が豊富にあって、それを安定して供給してもらえる状態のありがたさをつくづく感じたのである。そして多くの農家は、自分の米がこんなにも当てにされている存在であったのかということを、また、自分の米を食べてもらってその感想を直接に聞けることが、米作りにとってこんなに励みになるのだということを強烈に実感したのである。それが縁故米であろうと、特栽米であろうと、ヤミ米であろうと。

 今年、農家は保有米をたくさん持とうとしている。いままで七〜八俵しか保有米を持たず、あとは出荷していた人が一〇俵、二〇俵と持とうというのである。保有米をたくさん持って、家族・兄弟はもちろん、親戚や友人、そして自分の米を求める人に思う存分分けてあげようとしている。特栽米などやったことがなかった人も、経営改善にもなり消費者にも喜ばれるのならと、特栽米に取り組むことを考え始めている。そのためにも、一俵増収の意気込みは近年になく高いものであった。

 これは米の流通に革命が起こりつつあることを意味する。昭和十七年にできた食管法はその後運用上の何度もの改変を経ながら、基本的には米を守ってきた。農家と消費者を守ってきた。何らの食管法的な制度がなく、米商人と呼ばれる人々の投機利潤を目的とした流通に任されていた大正時代であったなら、今回のような極度の米不足のもとで流通・価格は大混乱したであろう。しかし、食管法は国家の責任で一元的に集荷し、供給していくという体制なのである。その米に、個々の農家・地域の顔はない。物としての米、国家的な需給安定・治安維持のための食糧としての米である。ところが今年農家が経験したのは、自分の米が誰それに食べてもらって喜ばれたという事実である。悪天候で実は細いし、味は何時もより落ちるのだがと思いつつ分けてあげて、それでも喜ばれたという事実である。肥料の加減を工夫し悪天候と格闘して苦労して作った米、この村でこの川の水でこの田んぼで自分が作った米、つまり物としての米ではなく自分の分身としての米が、喜ばれたという事実である。これは、自分で流通させることで初めて分かったのである。米を自主流通米あるいは政府米として出荷すればおしまいの米作りではない。分けて貰った人から具体的に感謝される米作り、流通なのである。一部の人だけでなく、非常に多くの農家が経験したこの流通こそ、これからの米流通活性化の裾野を構成するものだろう。物としての国家的な一元集荷・供給から、農家・地域の顔があり米作りの励みが生まれる多元的な集荷・供給へ。この転回点に今はある。

いまこそ、農協の出番だ

 いま仮に他人に米を分ける余裕のある米作り農家が二〇〇万戸あるとしよう。その農家はおそらく全国で二〇〇〇〜三〇〇〇万世帯と何らかの関わりをもっている。自分の兄弟の世帯、またその子供つまり甥や姪の世帯。外に出ている息子や娘夫婦世帯、家族で勤めに出ている人が一人か二人いればその勤め先の友人の世帯。子供を学校に行かせたとすればそこでの友人。おばあちゃんの遊びの友達。青空市の客。商店……。こうして一戸の農家は一五や二〇の世帯と密接に関係している。二〇〇万戸×一五世帯と掛け算すれば、三〇〇〇万とか四〇〇〇万の世帯に農家は付き合いを持っていることになる。全国の世帯数は四〇〇〇万であるから、現在の農家はかなりの世帯と実は何らかの結び付きを持っているわけである(もちろんダブリがあるが)。これら付き合いのあるうちの大多数は消費者である。今年、米を分けてあげた人々もこんな付き合いの中からであろう。息子がすぐには継がない、勤めに出るということも逆に付き合いを広げていることでもあるわけである。

 しかし、実際にはこれらの人に個々人が自分の責任で直接に米を分けることなどできない。一世帯四人として四俵近く食べる。仮に二〇世帯の米となると八〇俵。その半分に自分の米を送ることにしたとして四〇俵。これを毎月少しずつ発送しなければならない。どこに保管する?保管中の虫やカビの発生をどう抑える?品種によっては通常の保管では梅雨越し出来ないものもある。代金の回収はどうする? 米代金は一ぺんに入らないが資金繰りは大丈夫か―無限に難しい問題が発生してくる。米の流通には多大な実務と施設・人員がともなうわけである。だから今年できるだけ増収して農協に出荷した余分を保有米にたくさんとって「希望している姉や弟、娘たちに、そしてお盆に帰省した友達に予約をとり、欲しいという時期に送ろう」と思っている富山県の高島さんも、「契約書類・米の保管・精米・発送・代金回収などについて、農協が積極的に特栽米を取り扱ってくれないものかと期待しています」と述べている(四六頁)。もちろん個人で大きくやっている人が自分で体制を作る人もいる。グループで特栽米の実務を分担してこなそうというところもある。しかし大部分の農家にとっては、農協が、これまで作った自らの施設・事務能力等を、農家が是非行いたいと思っている米の産直的な流通を支援してくれる方向に使ってほしいのである。

 農協には、縁故米にしろ、特栽米にしろ米の保管・精米・発送を請け負う力はある。倉庫を持ち、運送力を持っている。農協によっては精米能力もある。特栽米の場合なら、消費者の取りまとめ、契約の申請・代金回収の請求事務などをかわって行なうことも可能である。しかもコンピュータを活用できるからこれらの事を迅速にもれなく確実に行なうことができる。信用力もあるから前渡金を払うこともできる。

 実際、特栽米を全力で位置づけ支援する農協も出てきた。そこではもちろん右のような実務に対応する体制を作る努力をしている。しかしそれだけではない。米の産直型流通の持っている特別な意味がある。つまり米の産直は米作りに励みをもたらすだけでなく、米に止まらずに地域全体の良さ、地域の持っている価値全体、農産物・加工品・水・その他もろもろも含めて、つまり農家の根源的な自給・健康さを流通させていく事につながっていくのである。国家レベルの需給対策によって一元的に集荷・供給するのと違って、地域―日本の自然―の丸ごとの良さが流通の内容を占めていくのである。当然、農家の元気の出方も違う。二つの農協の例を見てみよう。

茨城県JA岩瀬町

「消費者に喜ばれる米を作るんだ。安心して食べられておいしい米。これから皆、相当に意欲がわくと思うよ」と二平昇組合長。二五〇〇人の組合員のほとんどが兼業で米が中心の農業だ。コシヒカリで「百将米」と「太陽ひかり米」の二つのブランドを作っているが、一〇分の一を占めるまでに成長した「太陽ひかり米」(一七〇ha)は今年から一部、特栽米を目指す。これまでは特別表示米として出荷していた。このブランドは徹底的な施肥改善と独特な乾燥法によって作られる。近くにゴルフ場ができそこからは農薬が流れ出るという情報が入り、おいしい米作りにとって困ったなと農協部内で検討を開始したのが六年前のことだ。結局、農薬も浄化できるという光合成細菌を使う農法に行き着いた。それの提唱者である京都大学の小林達治氏のもとを、専業農家でつくる受委託部会員二七人が訪ね、自分らの米作りの感覚と合致したのが始まりである。かつてここでは多くの農家に馬がいた。その糞を、石灰窒素も入れながら堆肥作り競争をしてよい堆肥にし、硫安が一反で一貫しか配給がなかった時に、堆肥の力で七〜八俵も取っていたのである。その経験からして、完熟堆肥を重視する(し尿汚泥で作ったものを購入)、化学肥料は堆肥と合せてボカシにしてガスを抜いたものを中期重点に何回か打つ、幼穂形成期から急速に落ちる土の中の溶存酸素(収穫時にはほとんどゼロになるとのデータあり)を光合成細菌の水口滴下などでふやすなどの方法は体験に照らしてピンとくるものがあった。

 七月上旬に稲を見せてもらうと、葉色が非常に濃いが病気の気配がない。茎葉が固くて開帳している。田の表面には藻がでていてこれも酸素を供給し窒素を供給するとのことだった。このやり方で土作りを始めて四年、栽培をして三年。年がたつにつれ土がよくなり、昨年も普通のやりかたでは七・五俵くらいのところを九・五俵くらいとった。

「農業は土をこやさなければだめだ。金肥でも何もしなくても五〜六俵はできるがそれでは健康な食べ物とはいえない。これからは健康が大切なんだから」と、やっと昔の土に戻れる方法がみつかったことを誇りに感じている。乾燥は大きな鉄骨ハウスに巨大な船の底の様なスチールを敷き、そこに無数に開いた穴から水分を吸収する太陽熱利用の自然乾燥方式。昔、ムシロでじっくり干しあげたことの現代版である。発芽率抜群の米になる。発芽率が良い米は食味がよい。

 そしてこの誇りを農協としては管内の半分の田んぼ=六〇〇haを特栽米にしようという夢につなげているのである。ある二八万都市に目を付け、ここの三万人を特栽米で獲得する目標で数千人に対しての働きかけを農協として開始した。「太陽ひかり米と一緒に水も売ります。この地域の源流は非常によい水の所。この米をはぐくんでくれた水でごはんを炊いて貰いたい。特栽米のお客さんが広がれば、ハウスや露地の野菜も届けられます。婦人部では転作大豆での豆腐作りにも入りましたから豆腐やその他の加工品も供給できます。お客さんのデータはコンピュータに入れて総合的にきちんと管理して要望に答えられるのも農協の力です」と夢は無限に広がるのである。

 現在低温倉庫、育苗施設、ライスセンター、精米工場、加工場、後継者マンション等の施設を持ち、近い将来には営農創造センターを持ち、農村型リゾート開発事業も展望している。また村の農業全体を守るために、管内の三つの旧村(五六集落)を一二の営農集団に分け、農協が間を取り持って受委託のネットワーク農業を発展させる事業にも平成二年から着手した。そしてこれらの事業はすべて部落座談会にかけられている。昨年の米不足下、農協に対する信頼感から、米集荷率は一〇〇%であったそうだ。

熊本県JA産山村

 産山《うぶやま》村は阿蘇の外輪山の上にある村である。JAの組合員数は四〇〇人弱。ここでは一万二〇〇〇俵の出荷のうち、今年は七五〇〇〜八〇〇〇俵が特栽米になる。そのうち一二〇〇俵は「ピロール米」と呼ぶ特別の作り方の米。品種はコシヒカリとミネアサヒ。カルシウム含量が従来の一・六倍もあるという機能性食品ともいえる。平成三年に五人で試作を始め、それを食べた農家自身の「これはうまいなー」の感激も手伝って、今年は五〇人が部会を作っている。「農家は自分の健康を害するものは食べない。いい米を食べいい野菜を食べる。これまでは見場のいいものを外に出すという流通だったがここに問題がある。自分が食べて健康になれる食べ物を消費者に渡す。そういう思想で物を作り流通させれば、必ず消費者の認知を受けるだろう。それにしてもこれまでの米の流通は生産者や単協にはメリットが薄かった。生産者にメリットがあるようにならないと、今以上にいい米はできてこないのですよ。働きたくない百姓と、いい米を作りたい百姓の米を同じにしないで、いいものには報いがあるようにしなければ」と渡辺六男組合長。ここでも特栽米の保管・精米・発送・集金は農協が施設・コンピュータで支援する。また、農協の倉庫に保管したとたんに即、一俵当たり三万円を農家に支払う。

 特栽米の名簿は、ピロール米のモニター募集を新聞広告にだし(六〇万円もかけた大決断)その反応のよさに確信を持つなどしてどんどん広がったことが一つ。他に、大阪の流通業者で健康に非常に関心を持っている人と繋がって、そのルートで開発したものもある。その業者は病院の食事を改善することに意を砕いている人だった。病院の経営者に会って、患者が健康を一日も早く取り戻すためには、給食の米もまともなものにする必要があるという点で意気投合すると、そこには特栽米の名簿が誕生した。いい米を流通させることに誇りを持つ米屋も配送に協力しているという。これは単に農協から直送するだけでなく、外部の既存の流通組織も地域の顔の見える誇りのある米を流通させたいという観点で再編されているということである。

 ピロール米は完熟堆肥を二〜四t入れることを出発に、出穂三〇日前、出穂始めにカルシウムベースの特殊資材を六〇kgづつ追肥して作る。この稲も穂作り期の葉色は非常に濃い。出穂二〇日前で葉色六ぐらい。色は濃いが病気の気配はない。

 堆肥は材料がふんだんにある。山の上は広大な草地として管理されており、ここに五月から十一月に赤牛を放牧したあとの冬の舎飼いのときに十分出るのである。輸入牛肉の影響で経営が苦しいのは堆肥の量にも影響することなのでまことに困るが、堆肥は何としても確保して「なにがなんでもピロール米を広げる。いい米を作る」決意である。

 ピロール米をはじめ特栽米のルートには産山村のさまざまの産品も紹介する。草をたっぷり食わせた赤牛の肉で作る「さわやかビーフ」はその代表であるし、シイタケや漬物も阿蘇の大自然と一体のものだ。消費者を招待しての交流会には力を入れる。「来る日に来ないのは困る」「電話するまで発送してなかった」などクレームを率直に聞いて原因を完全にフォローする。

地域付加価値を丸ごと流通させる時代

 現在、少なくない農協が米流通の見直しに入った。そこでは右の二つの農協に見られるように共通していることが三つある。

 一つは米の作り方の再発見。地域の土を養う視点を持ち施肥改善の工夫をしていることである。健康でおいしい食べ物を創造しようとしている。

 二つは地域の力の再発見。地域の産物全体を米を中心とした産直的な流通に乗せようと、地域の総体の見直しを計っていることである。従来の一元集荷・供給にのった物としての米流通ではなく、自らの地域の丸ごとの産物、健康な食べ物を届ける「地域付加価値流通」への変化と言ってもいい。一戸の農家が一〇戸の消費者に米を届けるということは、一〇戸の消費者に自分の地域の潜在的なすばらしさすべてを流通させる(知らせる)ということである。一戸の消費者が例えば一〇の「地域付加価値」とつきあうとすれば、その一〇の具体的な地域付加価値が共存共栄してその人の暮らしを育てるのである。農家が消費者の生活を育てることがますます課題になってきたのである。

 三つは農協自身の力の再発見。近世の講に始まり産業組合を経て現在の農協ができあがっている。米の集荷力(販売事業)を持ち、倉庫(利用事業)を持ち、信用力(信用事業)を持つ総合農協は世界にも稀な日本独自の組織である。そしてその最大の特徴は地域に根を持つ組織、農家の側から作られている組織であるという点である。三〇万人の職員を抱える農協が真に自らの力を自覚して農家と消費者の間に立って事業展開するならば、安易な食管廃止論や米の輸入自由化論、農協解体論などの間違いが現実過程に入る余地はない

 新しい世紀を真に健康で美しい国土の世紀とするために、農協は米流通活性化の先頭に立とう。

(農文協論説委員会)

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