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農文協トップ主張 1996年11月号
村と町を結んで病に打ち克つ食を


 歯の病気に悩む人がふえている。虫歯もいやなものだが、歯槽膿漏はよけい始末が悪い。どうも近頃、歯茎がはれやすいな、と思っているうちに、だんだん悪化して、口の中に血や膿がたまってくる。歯がぐらぐらしてくる。歯医者に通って歯磨きのしかたを直し、手術を受け、金冠をかぶせたり、連結したりするのだが、いっこうによくならない。ついに医者に見放され「まだ若いのに、総入れ歯か」とあきらめる。
 群馬県高崎市で歯科クリニックを開業する丸橋賢さんは、こういう人でも、食生活を改善することで治る可能性があるという。いままで、歯科医は歯槽膿漏の治療をするのに、口の中だけを診て、ブラッシングを指導したり、手術をしたり、技術的治療のみを行なってきた。しかし、歯槽膿漏の根っこにある身体そのもの、歯周組織そのものを健全にしなければ、治らない。
 歯は歯にして歯のみにあらず。
 この関係は歯にかぎらず、さまざまな病気についてあてはまりそうである。
 今月は歯を糸口に健康と食の関係について考えてみよう。

◆歯槽膿漏は食事の改善で治る

 群馬県高崎市にある丸橋歯科クリニックの待合室は一風変わっている。
 カウンターの前の床には泥つきの野菜が段ボールからはみだしている。陳列棚には無添加の味噌、醤油、ゴマ、海藻がおいてある。冷蔵ショーケースには低温殺菌牛乳、豆腐、納豆など。まるで自然食品店のようだ。
 このクリニックを訪ねる患者さんには、重い歯槽膿漏にかかり、ひょっとしたら治るかもしれないという一縷の望みをかけて遠方から駆け込んでくる人が多い。丸橋さんはそうした新患の人の口の中の状態を診る前にまず、顔と爪の色を診る。歯槽膿漏の患者には顔色は土気色か蒼白、爪の色は紫がかった暗赤色の人が多い。口を開けると歯茎も爪と同じ色をしている。1週間単位で食事の内容を詳しく聞き取る。患者さんの大半は食事内容に問題があるという。歪んだ食生活が浮かび上がってくる。
 朝食は食べないことが多く、昼は外食、夜も外食か、家で食べてもインスタントもの、コーラやサイダーを小学生のときから……。そういう食事を学生時代から通して、30歳近くまで続けてきたビジネスマン。食事に手をかけず、野菜が嫌いでせいぜい淡色野菜にドレッシングをかけたサラダしか食べず、海藻や小魚はほとんど食べない30代前半の女性。
 こういう人は決まって、歯だけでなく、全身が半病人状態になっている。倦怠感がある。胃腸の調子が悪い。肩こりや頭痛がする。花粉症がある。視力が低下している。
 こうなると、歯の中だけの治療をしてもよくならない。仮りに治ったように見えてもじきにガタがくる。丸橋さんはいう。
 「お花や野菜、小鳥や魚などを育てた経験のある人なら誰でもわかるはずです。病み体、死に体状態の体質や、それを取り巻く環境をそのままにして、切ったり貼ったりして、果たして生き物は元気を取り戻すでしょうか。悪い環境や悪い栄養状態では、どんな手を打っても生物は弱り、死んでしまうのは明らかです。反対に、お花や野菜、魚など自体には何もしなくても、水を変えたり栄養状態を改善してやれば、それだけでも驚くほど元気になります。環境を改善しておいて、薬などを利用すればもっと効果的です」
 患者たちは治療とブラッシング指導とともに、食事の改善の指導を受ける。主食を3分づき米、5分づき米など精製されない穀類にかえ、小魚や海藻、ゴマを毎日、野菜を毎食摂るようにし、大豆を増やして、肉、魚、砂糖をセーブする。水はアルカリイオン水に変える。水はともかく、食事の内容は1昔前の日本人の「あたりまえの食事」だ。その「あたりまえの食事」のなかに自然治癒力を引き出す鍵が含まれているのである。

◆病いは自分のうちにある

 自然治癒力が注目されるのは、歯の病気だけではない。慢性的な成人病全般に同じことがいえる。
 よく知られているように、日本人の死亡原因の上位は、昭和20年代までは結核、肺炎などの感染症がしめていた。しかし、昭和30年代半ばからは、がん、脳血管疾患(脳溢血や脳梗塞)、心疾患、などの成人病がとってかわった。感染症と成人病はどこが違うだろうか。感染症では病気の原因が患者の外部にあって、それが体内に入ってくることによって病気が引き起こされる。しかし、成人病のばあい病気の原因は患者自身のなかにある。病気の原因が患者自身の内部にある以上、しかも、それが、取り除くことも、破壊することもできない、患者自身を形作る要素のひとつである以上、患者は発現した病気を、文字どおり死ぬまで自分の身内に抱え込んで生きていかねばならないことになる。
 たとえば、がんのばあい、臓器の摘出や抗がん剤の施用の効果はがんの発生部位によって異なるといわれている。一方で臓器の一部、または全部とリンパ節を失うことで、合併症や機能障害を誘発し、抗がん剤には副作用を伴う。つまり、患者の人生の質(QOL)は確実に低下する。そこで患者は「自分の一部であるがん」と死ぬまでどうつきあっていくかという、生き方(死に方)の問題に直面することになる。じっさい、いま抗がん剤の使用を拒否し、それにかわる治療法を求めるがん患者が増えている。がんを直接攻撃するかわりに、がんが増殖しにくい環境を作る。すなわち、免疫力、自然治癒力を強める。そこでもビタミン豊富な野菜の摂取をはじめとした、食事の改善が注目されている。がんをなだめながら、がんとともに生きる道である。
 しかし、自然治癒力が見直されているのは、成人病だけではない。私たちが克服したと信じていた感染症からのしっぺがえしとでもいうべき現象がいま起こっている。
 たとえば、抗生物質に耐性をもつ新たな菌の出現。院内感染が問題になった黄色ブドウ球菌は正確にはMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)という。ペニシリンに耐性をもった細菌類をたたくために細工されたメチシリンという抗生物質に、さらに耐性を獲得してしまった黄色ブドウ球菌のことである。黄色ブドウ球菌そのものはどこにでもある、さして害のない菌であるが、それが変異の過程で恐るべき毒性を獲得する(このへんの事情は大腸菌O―157に似ている)。次々に開発される抗生物質に対し、病原体のほうも次々に変異を繰り返し耐性菌化する。まさしくイタチごっこである。
 アリゾナ大学医学校社会医学部副部長であり、アメリカ合衆国議会「がんの代替療法研究委員会」評議員でもあるアンドルー・ワイル医学博士はこのような事態を前にして、人間の自発的治癒の力への信頼を回復し、病原菌を撲滅しようとするのでなく、病原菌に接しても病気にならない力を高めるような生活こそが必要であり、病気になったばあいの回復法には現代医学以外にも実に多くの選択肢があること、そして、大切なのは現代医学を含めてそれぞれの治療の得手不得手を見極め、適切な治療で自身の自発的治癒の発揮を支援することだと説いている。

◆身体は自然に向かって開かれた環境である

 現代医学は「閉じられ限定された生命体」という生命観に立ち、病変や病原菌をたたく方法を精緻にすることで発展してきた。しかし、こうした生命観はいま限界にぶつかっている。自然治癒力について考えていくことは、環境に向かって「開かれ連続する生命体」という生命観への転換を意味する。そして、ほかならぬ現代医学の知見そのものが環境に向かって「開かれ連続する生命体」という生命観を徐々に指し示しているようにみえる。
 ここでいう環境は、非常に多様な意味を含んでいる。たとえば、自然界に無数に存在する細菌も、私たちにとっては環境である。しかも、単純な外界でなく、自己の成立に欠かせない環境なのである。東京大学の多田富雄教授は無菌飼育動物では免疫系の発達が著しく阻害されるだけでなく、消化管の構造も、細菌がいなければきちんと発達しないと述べている。人間の身体というものも、つまるところ管の集合体であることを考えれば、興味深い事実ではないか。
 多田氏は現代日本におけるアレルギーの一般化に関して、いまではめっきり見かけなくなった青洟を垂らした子どもの免疫系は無数の細菌に反応するのが精1杯で、花粉のような弱い抗原に反応し無用な症状を起こすような余裕がなかったのではないかとさえ推論している。
 回虫やぎょう虫といった寄生虫の減少とアレルギーの一般化のあいだに因果的な相関があるという学説もある。われわれが体内に寄生虫を抱えているあいだは、体内の異種タンパクに対する抗体形成反応がもっぱら寄生虫に発揮されており、その重要な相手がいなくなってしまったので、抗体形成が、本来、相手にしなくてもいい相手に向かったというのである。
 免疫は外界と共存することで自己を維持する仕組みであって、「敵をやっつける」仕組みではない。私たちの健康もこのような考え方を基本とし、個体と環境の調和をはかっていくべきではないか。
 では、個体と環境との関係の調和を回復するためにはどうしたらよいだろうか。人間の身体は環境と接触し、呼吸、吸収と排泄をくりかえしている。すなわち環境とのかかわりの基本は「食べて、出す」ことである。

◆全自然に向かい合った主婦の知恵(地域の原理)を生かす

 私たちの先祖は地域地域で、長い時間をかけて、環境とかかわり合い、それを取り込む知恵を蓄積してきた。
 たとえば、木曽の開田村に伝わる「すんき漬」。この地方ではかぶ漬を塩をまったく使わず、乳酸発酵だけで行なう方法が伝えられてきた。すんき漬の素(タネ)は山に自生するズミや山ぶどう、山梨などの木の実をたたいて発酵させたもの。この素を、冬、ゆがいたかぶの茎、葉とともに漬け込む。次の年の素には、まだ雑菌のはびこらない寒いうちにかぶを引き上げ、陰干しして保存しておいたものを使う。この素が翌年、ほかほかした床の中で目を覚ますのである。主婦たちは家々でこの素を切らさないように引き継いでいった。
 この地方で塩漬が行なわれなかったのは、雪深く交通不便なこの地にあって、貴重品である塩をなるべく節約しようとしたからに違いない。そのために、人々は木の実やかぶの茎葉全体、寒冷な気候、発酵といった地域の全自然に向き合い、漬け床の中に小宇宙をこしらえたのである。その料理は、けっして最初から栄養や衛生を考慮したものではなかったが、結果 として、今日的にみても完璧な健康食品になっていた。
 いま、食を通じた身体と環境とのかかわりという土台が揺らいでいるのは、このような、食の本質的性格である「地域の原理」(「生活知」)がくずれているからではないか。
 食べものは、もともと地域の山、川、田畑(これらは水でつながっている)の反映したものである。地域の自然とのかかわりそのものが健全でなければ、健全な食べものは生まれない。いま、求められているのは、食における「地域の原理」を今日の次元で再構築し、地域の自然と食をともに健全にしていく――そのために、村の中で、あるいは村と町の人が手を結び合うことではないか。
 さる8月6日、O―157問題で揺れる堺市で病院や学校給食関係者による緊急集会が開かれた。堺市ではセンター方式でなく、各校で調理する自校方式を守ってきた。だが、同一素材を大量 に低価格で購入するという点では、センター方式となんら変わらなかったのである。集会ではこの点が大きな反省ポイントとなった。参加者たちは、たとえ、コストがかかろうとも生産者の顔が見える関係をつくろう、お互いに子どもたちの健やかな成長を手助けする関係をつくろう、と決議した。
 今月号のグラビアページには橋本紘二カメラマンによって福島県熱塩加納村の加納小学校の学校給食が紹介されている。この小学校の給食で使う米と野菜は村の20軒の農家のお母さんが生産している。その日給食で使った食材は「2年の○○さんのうちのレタス」「××(地区名)の○○さんのホウレンソウ」といったように作った人の名前入りで実物と一緒に毎日紹介され、給食時の放送でも流される。給食時間がちかづくと、その日の料理の実物見本を見に子どもたちがやってくる。
 地元の農家のお母さんが手塩にかけた安全で新鮮な米と野菜。それには栄養価だけで評価できない力がこめられているであろう。そして、調理のにおいが教室に流れ、実物見本をのぞくことで、子どもたちの食欲や消化力は高まっていくにちがいない。
 わたしたちは合理的・科学的な栄養価とか衛生とか、経済性とか、医師や栄養士といった専門家が指し示す抽象的なものさしを、あまりにも信頼しすぎてきた。健康を「地域の原理」に立った食との関係で守る時代――生活知にもとづいて、健康と食をつなげる新しい人と人のつながりが、いま求められているのである。
(農文協論説委員会)

〈注〉
(1)丸橋賢『新しい歯周病の治し方』農文協
(2)村上陽一郎『医療―高齢社会へ向かって』読売新聞社
(3)村上陽一郎、前掲書
(4)アンドルー・ワイル『癒す心、治る力』角川書店
(5)波平恵美子『いのちの文化人類学』新潮社
(6)波平恵美子、前掲書
(7)多田富雄『免疫の意味論』青土社
(8)村上陽一郎、前掲書
(9)『長野の食事』(日本の食生活全集S)農文協。なお、木曽の「すんき漬」は(財)味の素食の文化センター企画・制作(農文協発売)のビデオ『映像記録 日本の味・伝統食品 日本人は何を食べてきたか?』の1巻に収録されている。



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