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農文協トップ主張 1997年6月号
「勝つ防除」から「負けない防除」へ
――田畑の自然治癒力を生かして「小力防除」を実現しよう

 人生80年時代、60を過ぎたら無理せず楽しく農業を続けたい。そのためのアイデアや工夫が続々と生まれているのが現代の農業の特徴だ。それは、機械や肥料や農薬に依存する「近代化技術」の延長上にあるものではなくて、枠組みがちがっている。近代化技術は規模拡大と省力技術を追い求め自然を排除する方向で進んできた。自然を排除して作物を育てるには次から次へと人工的な手だてが必要となり、それを効率よく行なうために「省力技術」が求められてきたのだが、この延長線上に果たして無理のない楽しい農業があるだろうか、そうした問いとともに、新しい試みが各地で広がっているのである。
 「省力技術」に対し本誌では「小力技術」こそ今求められており、それが高齢化時代の農業を支えると主張してきた。「小力」は自然を排除することとは逆に、作物や田畑、自然の力を生かすことによって成り立つものであり、それゆえの楽しさややりがいが1層の工夫やアイデアを生みだす。
 そして小力がもっとも求められているのが防除である。つらい防除から楽しくやりがいのある防除へ、そのすじ道、小力防除の戦略を害虫防除を中心に整理してみよう。

◆防除=農薬散布という見方は時代遅れ

 防除とは農薬を散布することなり、という考え方が近代化技術のなかですっかり身についてしまったわけだが、この考え方そのものから身を引くことを、小力防除の出発点にしたい。なぜ防除すなわち農薬散布という考え方が定着したのか。異常事態に農薬で対処するというのではなく、日常的に繰り返し農薬散布をせざるをえなくなったのはどうしてか。
 それは、農薬が農薬を呼ぶからである。このしくみについて、井上雅央氏(奈良農試)は、害虫を1次害虫、2次害虫という2グループに分けてときほぐしている(119ページ)。1次害虫とは農薬をかけていない畑で発生するような害虫、2次害虫とはいわばプロの農家の畑で発生するような農薬をかけてもなかなか防ぎきれないような害虫である。そして、1次害虫への不適切な農薬散布が2次害虫を生み、その2次害虫を防除するために農薬散布が大幅に増えていると井上氏はいう。1次害虫は農薬が効きやすいのだが、この防除に合ピレ剤などのよく効く農薬を使うと、土着の天敵が減ってしまう結果、ハダニなどが増えてしまう。ハダニ、コナガ、ミナミキイロアザミウマなど現在問題になっている難防除害虫は2次害虫であり、これらは微小で農薬がかかりにくく、そのうえ薬剤への抵抗性が発達しやすいという特徴をもつ。こうして、農薬散布を増やさざるをえない2次害虫は実は1次害虫への農薬散布が生みだしており、それが防除を泥沼化させているというわけだ。そこで井上氏は、土着の天敵への影響が少ない農薬の選択や、フェロモン剤、購入天敵の利用など、2次害虫を増やさない1次害虫の防除法の工夫を防除体系の改善の中心におくべきだと提唱している。
 農薬が農薬を呼び薬剤抵抗性害虫が深刻化するなかで、最近では農薬もひとつの手段と考え、他の防除方法と組み合わせる「総合防除」の確立にむけた試験研究が盛んに行なわれるようになり、フェロモン、購入天敵、黄色灯などの物理的方法などがすでに実用化されている。防除をめぐる技術と、その考え方は大きく変わった。防除=農薬散布という見方はすでに時代遅れになりつつある。

◆天敵だけではどうにもならない

 しかしこの総合防除が農薬に代わるあれこれの手段を組み合わせるというだけなら、農家の小力防除にはならないだろう。総合防除で肝心なのは井上氏が指摘しているように「土着の天敵」を生かすことにある。それでは、土着天敵を生かすにはどうするか。
 害虫を食べるのが天敵であるから、原理的には害虫がいないと天敵は生きられず、普通は害虫が増えてから天敵がやってきて増え、その結果害虫が減る。どんなに大発生しても放っておけば害虫の発生は終息するのだが、その間に被害が出てしまう。また、害虫と天敵がなれあうという現象もある。安定した条件下では害虫は天敵を食べる能力を高める方向に進化するのではなく、逆にその能力を低下させ害虫を生かすことによって自らも生きていけるような関係をつくりだすのである。こうした天敵の出遅れやなれあいがあるために、農家はやむなく農薬散布をすることになる。それによって天敵が減るうえ、農薬によって害虫を皆殺しにすることはとうてい不可能だから、残った害虫が天敵が少ない状況下でふたたび増え、こうして繰り返しの農薬散布が必要になるわけだ。
 つまり、害虫―天敵を1対応1の関係としてみていては、天敵の力を生かしたくても生かせないのである。特定の害虫を殺す能力のある購入天敵が、害虫の発生のたびごとに繰り返しの放飼が必要になるのもそのためだ。実際、特定の害虫だけを餌にする優秀な天敵ほど害虫を食べて餌がなくなったあとは生きていけないので、ふたたび害虫が発生したときに再度放飼しなければならなくなる。それだけの話なら、農薬で殺すのとそれほど違いはない。

◆生物群集がもたらす田畑の自然治癒力

 そこで注目されるのが、害虫だけでなく他の虫も食べるクモのような「広食性天敵」である。彼らは害虫がいなくても生きられ、害虫がくればそれを食べるから、出遅れることなく、害虫を低密度に維持してくれる。そして広食性天敵が生きるには彼らに食べられるふつうの虫がたくさんいなければならない。雑草を食べる虫や土壌の有機物を食べる虫、その虫を食べる虫、そうした種類数でいえば田畑にいる虫の99%を占めているただの虫が豊富にいる豊かな生物相が、害虫がいても被害が出ない状態を維持してくれるのである。土着の天敵を生かすということは、天敵以外の虫を生かすことであり、排除の論理とは逆にすべてを生かすことなのだ。
 このただの虫は病害の抑制にも役立っていることが10分に考えられる。キチン、キトサンが人間や作物の病気を防ぐということで注目されているが、多くの害虫のからだはキチン質でできており、これがフザリウムなどの病気を抑制していることも10分考えられる。田畑の昆虫相が貧困になりキチンの循環が断たれてしまったことが病気の慢性化の大きな要因になっているのではないか。さらに、有機物を分解し、微生物のエサにもなる虫たちは、土つくりにも貢献しているのだから、もはやただの虫とはいえない。
 こうした田畑の生物群集がもつ害虫抑制の働きは、田畑の自然治癒力というにふさわしい。よく農薬散布のことを「消毒」と呼ぶが、人間が傷をつくったときに行なう消毒は、傷口から菌が侵入するのを防ぐためのものであり、傷が治るのはヒトのからだがもつ殺菌力(免疫機能)、再生力、自然治癒力によっている。消毒は1つの補助手段にすぎない。作物もそうした防除力をもっているが(長い育種の過程でその力は弱められているが)、ヒトの自然治癒力にあたるより基本的な力は、田畑では生物群集がもつ1定の生物相にもどろうとする働きなのである。この田畑の自然治癒力を弱めてしまうがゆえに農薬は農薬を呼ぶ。

◆小力防除にむけた3つの技術的課題

 農薬や化学肥料を使った慣行農法から自然農法に切り替えると数年間は害虫の大きな被害を受け、やがて害虫も減って生産は安定してくる。これは田畑の自然治癒力が回復する過程であり、これには時間がかかる。時間がかかるのは慣行農法と自然農法の間に大きなカベがあることを示している。このカベのために経営的にも無農薬に移行するのは難しいということになる。それではどうするか。田畑の自然治癒力を回復するという大きな戦略目標を掲げ、柔軟な戦術でこれを実現していくことである。そのための武器が出揃ってきたのが現代なのである。
 今から15年ほど前、農文協は、農家が農薬から解放される道を次のように描いた。
 農薬段階 農薬を科学的に使いこなす
 作物段階 栽培技術によって作物を病害虫に強くする
 農法段階 農薬に依存しない田畑の利用のしかた、農業のしくみをつくる
 有吉佐和子氏の『複合汚染』がベストセラーになり、農作物の残留農薬が問題にされ、農家が加害者のように見られる風潮が広がるなかで、農家こそ最大の被害者だという立場から、農家が自ら農薬から解放されていく道を構想したものである。
 この3つの段階に照応する形で、現代の小力防除にむけた課題を整理してみると、以下のようになろう。
1)農薬も含め土着天敵に悪影響のない防除手段を工夫する
2)作物を丈夫に育てる
3)生物群集が豊かになるような田畑や周囲の環境をつくる
 以上は段階であるよりもむしろ技術の三つの分野であり、これらを自分の経験を生かしつつ、身体と地域自然に合った形で総合的に仕組んでいく、これが、農家の総合防除=小力防除だ。
 1)では、まず合ピレ剤のような天敵にもよく効く農薬を極力使わないなど、農薬散布体系の改善が課題になる。根本久氏(埼玉園試)は、106ページで土着天敵を生かす農薬の利用体系例を提案している。今注目のフェロモン剤も天敵に影響せず、その結果、フェロモン剤が対象としている以外の害虫も減るといった効果も期待できる。購入天敵の利用も農薬の使い方が変わることによって土着天敵を増やすことにつながる。
 2)の作物を丈夫に育てるという点では、施肥改善その他の栽培法の改善とともに、木酢液や天恵緑汁などの植物農薬の利用もおもしろい。ヨモギやタケノコなど生長力や生理的な活性が高い身近な植物を黒砂糖と漬け込んで発酵させる天恵緑汁には、直接的な防除効果というより体質の強化の作用がある。天恵緑汁をネコブセンチュウの被害が出ていた土壌に散布したところ、キュウリの根にコブはできていたがそこからさらに根が出て被害にはならなかったという農家もいる。
 土着天敵などによって田畑の自然治癒力を生かそうとする時、作物の抵抗力のちょっとした強化は大きな意味をもってくる。害虫の密度と被害との関係は直線的なものではなく、1定の密度までは被害に至らずそれを超えるとはじめて局所的に被害が出るというのが害虫被害発生の1般的パターンである。粗法的な農業では、初期害虫による間引き効果で収量増にむすびつくこともある。そうした関係においては作物の抵抗力の多少が、被害が出る、出ないの大きなちがいに現われることが考えられる。最近、ウンカがくるとイネがウンカの嫌う物質を出すという知見が話題を呼んでいるが、こうした作物の防御力や抵抗性品種の力は、慣行農法ではたいした成果として現われなくても、生物群集が豊かな場合には被害の有無を左右する重要な要因になることがありうる。
 土着天敵を生かすということは害虫もほどほどにいて、害虫がいても被害が出ない状態をつくることである。それを作物の側から支えるのが、この分野の課題である。

◆防除は地域の景観を豊かにする

 そして3)の、生物群集を豊かにする環境整備にもいろいろなアイデアがあるだろう。
 ハウスメロンの無農薬栽培をめざしている会津の小川光さんは、ハウスの周囲の雑草を大事にしている(76ページ)。もともと手取りしていたのだが手が回らず、背の低い草は手抜きして放置しておいたところ、メヒシバなどの悪質な雑草が減り、メロンの害虫も減ってしまった。中でも注目しているのがヨモギで、ヨモギにはメロンには害が出ないアブラムシがつき、これをねらって集まるテントウムシがハウスの中のアブラムシも食べてくれるのである。こうして当初多発していたアブラムシは5年目には問題にならなくなった。小川さんは、ヨモギの茂みのようなものを「野草帯」と呼び、ヨモギにつくアブラムシを「代替餌」と呼んでいる。自然は土着天敵の棲みかとエサを提供してくれるのである。もちろんメロンに害を与えるアブラムシの巣になるアブラナ科などの雑草もあり、これは抜くことにしている。放任でも排除でもなく、上手に手をかける、これが田畑の自然治癒力を生かす極意である。
 14年前から村じゅうで無農薬のお茶づくりに取り組んでいる愛媛県新宮町の脇博義さんのところでは、茶園周囲の杉の木を切って雑木を植え、圃場には山草を敷き込んでいる(62ページ)。こうして広食性天敵やただの虫が生きやすい環境をつくっているのである。
 負のイメージが強かった防除は今、地域を豊かな生命空間として創造し、村の景観を形成していく原動力になろうとしている。 

◆「勝つ防除」から「負けない防除」へ

 以上、小力防除の道筋を整理してみたが、実はもうひとつ別の課題がある。
 小川欽也氏(信越化学)によると、リンゴの場合、年間の1ha当たり防除費用は、ドル換算でイタリア300、フランス350、米国西部350に対し、日本では1800にもなっている(126ページ)。これには欧米のほうが害虫の発生が少ないということも関係しているが、それ以上に影響を与えているのが防除水準のちがいだ。要防除水準という指標でみると、欧米は1〜2%なのに対し日本は0.1%。つまり、欧米では100個に1〜2個の被害果があってもよいが、日本では1000個に1個の水準におさえなければならないというぐあいだ。これが徹底防除を求め農薬散布回数を増やしている。
 きびしい要防除水準は、農家と消費者が疎遠な関係になってしまった大市場での品質競争の結果である。他の産地より、より「きれいな」ものをという競争が農薬依存に拍車をかけてきた。より「きれいな」ものをと競争しているうちに、外国の、より「安全な」ものの消費が増えてしまうこともありえない話ではない。
 競争するなら、どれだけ田畑の自然治癒力を生かしているかで勝負しよう。その豊かさを消費者にアピールしていこう。自然治癒力の生かし方は地域や農家でちがうから、それぞれ独自の価値をもった消費者にも魅力的なリンゴになりイネになる。そうすれば勝てなくても負けることはない。
 「勝つ防除(害虫を徹底的に殺す防除)」から「負けない防除(害虫がいても被害がでない防除)」へ、それは高齢者や婦人にあった防除の変革である。勝つ防除は勝ちつづけなければならず大変シンドイ。それでも負ける(被害が出る)ことがままある。負けない防除は自然治癒力が働いているから、多少の失敗でも大被害にはなりにくい。
 今、防除は大きな変革期にある。
(農文協論説委員会)


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