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農文協トップ主張 1998年11月号

日中農業技術交流の世界史的意義

目次
◆中国との出会い
◆商・工・農連合公司方式と産直型第六次産業方式
◆中国古農書が持つ21世紀農業への意味
◆アジアの農民思想で21世紀を拓く
◆むすび

◆中国との出会い

 農文協が創立されたのは、太平洋戦争勃発の前年、昭和15年である。当然のことながら戦争協力団体であった。
 日本の農村においては「親のかけた迷惑は息子が償わねばならない」。それが“むら”の慣習的道徳である。親の代に中日戦争によって中国を侵略した罪は償わねばならぬ。たとえ、先方が許してくれても、罪は償わねばならぬ。日本の農村では、償わねば一人前ではない。
 農文協の責任者になってから、ことあるごとにこの思いは募った。そして1986年の第一回北京国際図書展を機に、私の贖罪の中国訪問が始まった。
 中国についてはまったく不案内な私の道案内人をつとめて頂いたのが、現在の駐日中国大使館公使参事官・甘坐富先生である(『農村文化運動』149・150合併号四頁参照)。当時、中国農業部(農業省)の国際合作司(国際部)の仕事をされておられた。甘先生は私の希望にそって、中国農業科学院・農業科技出版社・農業出版社・農業映画社・農民日報社・北京農業大学(現中国農業大学、同50頁参照)等々の幹部を訪問するアポイントをとってくださった。そして、会見では通訳をつとめて頂き、至れり尽くせりのお世話を頂いたのである。甘先生の誠実なご領導により、私は前述の農業関係諸機関の幹部と交友関係をもつことができた。甘先生こそ私を中国と結びつけてくれた恩人である。

◆商・工・農連合公司方式と産直型第六次産業方式

 最初に訪問したのが、農業科学院常務副院長の劉志澄先生であった。いきなり、中国の農業試験場の中心である農業科学院のトップリーダーにお会いすることができた。会見の模様を、後に刊行した『農業と工業の矛盾を克服する』(注1)の日本語版への序文で、私は次のように述べている。

 劉志澄中国農業科学院副院長に最初にお会いしたのは、1986年の9月である。お互いに同世代であるのも幸いして、大いに意気投合。その後、二晩、夕食をともにしながら意見を交換した。その際、私が「中国の農業を紹介する本を日本語で出版したい。ただし、中国農業の話ではなく、中国の個々の農家が儲かったという実例で中国農業を紹介する形がよい」と話をした。劉先生はそれを忘れておられなかった。
 翌1987年、劉先生は、私ども夫妻を中国に招待してくださった。そのとき大邱庄に御案内いただいたのである。(『農業と工業の矛盾を克服する』農文協刊 3頁)

 この天津市の郊外の農村、大邱庄の、農・工・商連合公司の実態について、私は、月刊『現代農業』1988年1月号の“主張”欄で、「中国でほんとうの『村おこし』をみた」と題して報告した。その結びで次のように述べている。「都市が農村を蚕食するのではなく、農村を生かした街づくり。農業生産力が高まることによって生じる余剰人口を大都市に排泄するのではなく、農村に雇用をつくり出して、定住させる。地域自然と調和した形での農・工・商の発展。この道こそが農業と工業の矛盾、都市と農村の矛盾を克服する道の一つだ。天津市静海県大邱庄は21世紀へむけて、人類が克服しなければならない課題に正面から取り組んでいる」(前掲書 204頁に転載)。
 農文協が日本農業の産直型第六次産業化を提起し、今日「地域循環型国際経済」「自給経済の社会化」「産直型地域経済」の方向で21世紀経済をめざしているのは、一つには、この「中国の農・工・商連合公司」型の中国農業の方向に学んでいる。もう一つは、今号(『農村文化運動』149・150合併号のこと)の第二特集「農家の『新農基法』構想」に示された「農家の自給の思想」を土台とする農家自身による21世紀型経営への構想に学んでいる。
 この「農家自身の構想」は、農文協が1989年に組織して以来綿々として続く「農家交流会」――司会者なし、指導者なしの各地の農家の炉端での話し合いの組織 ――で語り継がれてきたものだが、それが、中国の国際的な社会学者費孝通先生の「『郷土工業』を基礎にした農業論」に通じていることに注目したい。
 費孝通先生は西欧的「農業近代化」路線を批判している。「西欧は中国が従うべきモデルたり得ない」「ある伝統と環境のなかで成功を証明した諸方法はこれと異なった伝統をもつ社会には移植できず」中国にとって、「全面的西欧化の理想は幻想だ」という結論に達したのだ。(『中国農村の細密画』研文出版刊 326頁)  中国に発生した商・工・農連合公司方式と日本で提唱される産直型第六次産業方式とは、期せずして西欧型農業近代化を批判し、東洋型ともいえる新しい路線を目指している。その根底にある「アジアの農民思想」に深く学ばなければならない。その豊かな世界は、まず、中国古農書のなかにある。

◆中国古農書が持つ21世紀農業への意味

〈『中国農業の伝統と現代』の翻訳出版への経緯〉

 1986年の劉先生との懇談で、私の示した中国古農書についての関心についても、劉先生は忘れておられなかった。87年の御招待で、「大邱庄」とともに、南京にある農業科学院の中国農業遺産研究室に私を案内してくれた。この時の模様を後に日本語版として刊行された『中国農業の伝統と現代』(注2)の「日本語版のための序文」で、中国農業遺産研究室は次のように述べている。

 坂本氏は……10月16日から18日にかけて南京の中国農業遺産研究室を訪れ、研究室一同と意見を取り交わし交流を深められた。席上、坂本氏は次のように述べられた。「日本の農業は西洋の方式を学ぶことによって近代化を行ないましたが、多くの問題が生じております。これらの問題を解決するために、私たちは日本の農業伝統を回復し、それを現在の農業科学技術と結びつけようと企図したことがあります。そして全35巻の『日本農書全集』を出版し、ここから伝統農業と近代化された農業の科学技術を結合させ、日本の実情に合致した近代的な農業の建設を試みました」。さらに坂本氏から「中国では、伝統農業の科学技術と近代化された農業の科学技術をどのように結びつけたのでしょうか」との質問があった。そこで当方の研究員が中国南方の水田耕作のすぐれた伝統と現代の農業科学技術との結合を引き合いに出して、その研究成果を紹介し、あわせて共同研究の成果『中国農業の伝統と現代』一本を氏に謹呈した。坂本氏は本書に対し、深い興味を示され、これを日本で翻訳し、農山漁村文化協会から刊行する決定を下された。

〈「精耕細作」の伝統が持つ現代的意義〉

 1989年九月に『中国農業の伝統と現代』(修訂版)の日本語版が刊行された。同書で現南京農業大学での郭文韜先生(注4)は次の如く述べておられる。

 西洋の近代化農業の共通した特徴は、機械・化学肥料・農薬・プラスチック・ビニール・石油などを土台としたいわゆる「工業式農業」にある。またそれを「無機農業」あるいは「石油農業」と称する人もいる。この種の農業は、ある歴史段階のある一定条件のもとで、農業生産の発展を促す上で積極的な役割を演じてきたが、時間が推移し条件が変化するにつれて、次第に多くの短所と弊害を露呈するに至った。さきにアメリカの農業省が発表した「有機農業に関する調査報告」のなかで、現行の農業生産システムの悪影響について、次のように指摘している。「エネルギーと化学肥料のコストが急激に上昇し、土壌生産力および耕地は過度の流失と有機物の損失によって低減し、水源は土壌の流入、堆積および農薬によって汚染されている。殺虫剤の濫用も食物の安全性と人畜の健康に対して脅威を及ぼしている。また地域の農業市場の衰亡や個人経営農場の閉鎖を惹起している」(24頁)

 中国は人口10億を有する大国で、無機農業もしくは石油農業の道をたどるとしたなら、アメリカよりもさらに大量の石油エネルギーを消費することになる。アメリカ人一人当たりの年間石油消費量4.06トンを基準にすると、中国では年間に四〇億トンの石油を必要とする。現在、中国の年間石油総生産量がたった1億トンほどであるから、「無機農業」もしくは、「石油農業」への道を歩もうにも、中国ではとても通り抜けられる道ではない。(25頁)

 中国の伝統的農学思想のなかには、貴重な理論や法則が多く見られ参考になる。以下主要なるものを列挙してみよう。
 (1)三才論(天・地・人)(略)
 (2)「人定まって天に勝つ」(人定勝天)(略)
 (3)精耕細作(略)
 (4)経営能力の自覚(略)
 (5)妥当な対応と害の回避(略)
 農業の近代化において、その精耕細作というすぐれた伝統を継承発展させるべきなのである。
 中国農業は戦国時代(紀元前400年前後200年位、縄文末期―筆者注)に、すでに精耕細作の道を歩んでいた。その後、農業生産の発展や生産工具の改良に伴い、中国の精耕細作の水準は次第に高くなっていき、世界から注目されるようになった。近代農業化学の創始者であるドイツの著名な科学者リービッヒは「比肩しようのない農作方式」の賛辞をもって、中国の精耕細作のすぐれた伝統を称賛している。アメリカの著名な経済史学者で、ミネソタ大学教授グラス氏は、次のように述べている。「中国は農業史研究者にきわめて興味深い事実を示しており、次のような印象を受ける。中国にはいろいろな土壌と気候が存在し、それを一口に述べることは困難である。しかしながら、各地方の情勢は類似点が多い。……中国人は気候のめぐまれた地方では、毎年二毛作もしくは三毛作を行なっている。かれらは大規模な灌漑と排水方式を採用し、およそ入手できる動植物や人間の排出する肥料をすべて土壌に施し、二種類もしくは三種類以上の作物を同時に栽培している。……それは賢明な集約的農作方式であり、おかげでこの国が枯渇しないですむのである」。アメリカの現代の育種学者で、ノーベル賞受賞者ボーラン氏は、中国の混作および多毛作に対して高く評価し、「中国では……全国的に二毛作や三毛作が普及し、発展中の諸国の筆頭的地位を占めている。……中国人民は……世界で最も驚異的な農業変革を達成した国の一つである」と述べている。このように外国からも中国農業の精耕細作のすぐれた伝統が重視されており、むやみと外国ばかりに注目して自国を卑下してはいけない。
 中国農業は自分なりの近代化の道を歩むべきであり、それには精耕細作のすぐれた伝統を継承発展させ、中国式の近代的な農業を創造していかなければならない。(39〜42頁)

〈中国古農書の日中共同研究の必要〉

 中国古農書は、韓国・日本・ベトナムはもとより、広く東アジア諸国の共通した「古代科学」であった。天文暦数学・医学・農学の古代の三大科学は中国がリードしていた。日本においては中国古農書をベースに、『日本農書全集』に集積されている数多くの日本農書群が形成された。東アジアの共通した古代農学をベースに、近代科学のゆきづまりを打開することこそ二十一世紀においてアジアが果たすべき国際的役割である。日中農業技術交流の世界史的意義はここにある。
 当時、北京農大図書館(現中国農大図書館)館長楊直民先生はたまたま中国古農書の専門家であった。再三の会見で中国古農書についていろいろと議論した。中国古農書については、イギリスを中心にして欧米で研究が盛んであることを聞いた。北京農大の古農書と、農業科学院文献センターの古農書に、中国農業遺産研究所の古農書を加えれば、中国古農書についてはかなりカバーできる。これを電子化し、「中国古農書電子図書館」を開設し、世界の古農書研究者に資料を提供するとともに、世界各地にある古農書を電子化し、世界に分散している中国古農書を「中国古農書電子図書館」に全部集積すれば、これこそ、人類の大遺産の「博物館」になると話し合ったこともある。農水省への予算化の働きかけなどしたが、まだ実現していない。日本にしか残っていない中国古農書もあるのである。
 農水省は1996年、「中国古農書における環境保全型農業技術に関する調査」を農林水産技術情報協会に研究委嘱し、農林水産技術会議事務局企画調査課において、「執務参考資料」としてB5判120頁の印刷物を発行している。「まえがき」に、「これまで主に人文系の学者により研究され、その一部は日本語訳されているが、農業技術者の立場で研究されたものは皆無といってよい。……農業技術に造詣の深い方々に精読していただいた。そして今回は、特に、環境保全型技術に絞り、関連する記述の要約、現代農業技術とのつながり、今後の農業技術開発への将来的な応用の期待をまとめたものが本冊子である」と述べている。日中研究者の協力による中国古農書についての体系的研究の推進が望まれる。前述の郭先生はその具体案を1996年6月、「中国古農書整理研究案」(A4判五頁)にまとめておられる(原文は農文協にあるので、必要な方は文化部にご連絡くださればコピーを差し上げます)。

◆アジアの農民思想で21世紀を拓く

 アジア農業の根底に「中国古農書」がある。そしてその根底にアジア思想がある。21世紀をめざすアジア人民の果すべき役割は、このアジア思想の現代における展開である。
 農文協は、アジア思想の交流の第一歩として、日中国交回復20周年を記念して「安藤昌益の思想と現代――中国思想の安藤昌益に対する影響」の日中シンポジウムを中国で開催することを目指し、中国での安藤昌益思想の研究者である山東大学の王守華先生への働きかけを企図した。この案内人になって頂いたのが、これまた劉志澄先生である。
 1991年に劉先生の御案内で、済南市の山東大学の研究室で王先生と会見の機会を得、中日国交正常化20周年・安藤昌益生誕230年記念シンポを中国で開催することについての合意ができた。
 このシンポジウムは1992年9月22日・23日の両日、山東大学で開かれた。シンポジウムの冒頭の「記念講演」が、私と、中国社会科学院アジア・太平洋研究所所長、黄心川先生(注5)によって行なわれた。
 私は記念講演で「日中両国民衆思想の根底は、共通した東洋思想である。東洋思想を基礎に、日中両国の民衆が心と力を合わせることによって、世界の環境問題を克服する新しい時代をきりひらくことができる」(『安藤昌益 日本・中国共同研究』31頁、注3 )と述べた。
 続いて黄先生は、「東洋的世界観を持つ中日両国人民は、一致団結してこの地球的規模の問題(南北格差やエネルギー問題、食糧・人口問題、環境破壊などの問題)の解決に対処しなければならない」(同36頁)と述べられた。
 日本の農民思想家安藤昌益思想についての日中両国の研究者によるシンポジウムに引き続いて、東洋思想についてのシンポジウムが企画され、1997年四月に抗州大学で、第一回の「東洋における伝統的環境思想の現代的意義」という国際シンポジウムが開かれた。このシンポジウムでは日本・中国・韓国などの学者が、仏教・儒教・道教・イスラム教・神道等々、伝統的な東洋思想について報告し、農文協からは原田津常務理事が、「日本の村落が持つ独自の民主主義と環境思想」というテーマで、特定の思想をとりあげるのではなく、民衆の日常のなかの思想について報告した(この記録は、農文協より刊行予定)。
 シンポジウムの最後のしめくくりのスピーチで、黄先生は、原田の報告にふれて、「特定の思想家、例えば老子とか孔子とか、そういう特定の思想家の研究もいいけれども、もっと民衆の日常の生活文化にみられる考え方や行動の様式に注目することもよい」(『農村文化運動』147号「特集 日本文化の形成と熟成」 3頁)と述べておられる。
 中国の農民の思想、中国の“むら”の思想と日本の農民の思想、日本の“むら”の思想には、共通した自然と人間の調和思想がある。そのアジアの農民思想を共有し、「自然を人間が支配する」科学的農業を超え、「自然と人間が調和する」21世紀への農業を形成することこそが、日中農業技術交流の世界史的な意義なのである。  

◆むすび

 今年6月10日に、農水省の国際農林水産業研究センター(JIPCAS)の北京事務所の開設式典が北京で挙行された。これまで、雲南省農業科学院との「遺伝資源の利用による水稲の耐冷、耐病、多収品種の育成」を始め、広範な分野で、日中のプロジェクトが中国各地で展開されてきた。これら中国での中日共同研究活動が、北京事務所によって研究協力の推進がはかられる。官による日中技術研究交流の新しい段階に入るのである。他方、民においては中国農業科学院農業科学技術出版社と、農文協の提携による日本農業科学技術応用研究室が開設された。
 JIRCAS北京事務所は、訪中者には有名な北京友誼賓館の雅園にあり、白石橋路という道路をへだてた向い側の農業科学院の正門を入ったところに日本農業科学技術応用研究室がある。官民協力して日中農業技術交流をすすめる布石は終わった。21世紀にむけて、中国侵略の罪を償うために、世界の人口・食料・資源環境問題の解決をめざす中日農業・農村の交流を推進する。

  • (注1)『農業と工業の矛盾を克服する―中国社会主義の新たなる挑戦―』(呉修・張英華編著、若代直哉他訳)農文協刊・定価1470円(税込)
  • (注2)『中国農業の伝統と現代』(郭文韜主編、渡部武訳)農文協刊・定価8665円(税込)
  • (注3)『安藤昌益 日本・中国共同研究』(農文協編)農文協刊・定価6116円(税込)
  • (注4)(注5)黄心川先生、郭文韜先生には『農村文化運動』149・150号(農文協編 農文協刊 定価800円(税込))において特別インタビューに応えて、それぞれ「東西思想の融合が人類の未来を拓く」「アジアの農業思想『天人合一』は21世紀の哲学」を寄せていただいている。


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