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農文協トップ主張 1999年1月号

人類史の大転換

不況はどのように克服されるのか。
何の時代が終わり何の時代が
新しく始まろうとしているのか。

目 次


 1999年、1000年台の最後の新年である。来年からは新しい千年紀、2000年台が始まる。100年に一度の百年紀の新しい世紀に巡り会える人類は少なくないが、100年に一度の新しい千年紀に巡り会える人類は極めて稀である。

 その大きな変わり目の新年を「百歳現役」の特集で飾ることができたのはまことに目出たい。新しい千年紀の特質は人類全体が「人生80年の時代」に入る点にある。日本はその先端に位置している。日本は世界一の長寿国なのである。そして世界各国は次々と「人生80年時代」を迎える。

 平均寿命50年の動物と、平均寿命80年の動物では「種」が異なる。「人生50年の時代」と「人生80年の時代」とでは、動物の「種」が異なるくらいの大きな変革があったのである(この点については1991年1月号主張「人生80年時代の農業・農村を考える」で詳論)。人々が気がつかないうちに時代は大きく変わった。新しい時代がどのような時代なのか、その特質を正しく認識しないと、新しい時代に適切に対応して幸せになることができない。千年紀の変わり目の新年に当たって、新しい千年紀の特質について考えてみたい。

◆大量生産・大量販売時代の終わり

 世の中挙げて不景気である。人に会っても、車に乗っても、挨拶代わりに不景気についての話題である。国民一人当たり平均1000万円以上の預貯金をもっているというのに消費は減退。当分景気回復のメドが立たない。

 この不況は景気循環の不況ではない。「新しい時代」に入る警鐘の不況なのである。

●出版界の不況、農文協出版物の好況

 出版界も不況である。これまでどんな不況の時代でもダウンしたことのなかった出版物の売上高が、昨年度初めて前年比ダウンした。今年度も昨年度以上にダウンすることは確実である。

 その出版界不況の最中に、農文協の出版物は何と前年比2桁台のアップである。それは何故か。理由は二つある。

 一つは農文協の読者は高齢者の比率が極めて高いからである。日本の高齢者人口は年々増加しつづけている。青年や子どもを主なる読者としている出版社の読者層が減って青息吐息の中で、農文協は読者層がふえて意気軒昂なのである。そして『現代農業』98年2月増刊の「定年帰農」の好調な売れゆきに表徴されるように、高齢層の農業志向は著しい。

 理由のもう一つは、農文協は販売政策として「既刊本」を大事にしてきた点である。

 日本の出版販売のきわだった特徴は、「新刊本」中心の販売システムである。つまり雑誌型販売システムなのである。どこの書店も雑誌と新刊で一杯。日本の書籍は、約60万点が流通している。そのうち1年間の新刊は約6万点。60万点も本があるのだが、その一割の6万点の新刊で書店の店頭は満杯。既刊本のスペースは小さい。しかも書店としての品揃えに特徴が少ない。どこへいっても同じ本しか並んでいない。金太郎飴である。書店は店の大小があるだけで、品揃えによる店の差がないのである。2年前、3年前に出版された、いや5年前、10年前に出版された寿命の長い「ロングセラー本」は沢山あるのだが、新刊本にスペースを奪われて並んでいない。本の購入の大部分は書店の店頭に並んでいるものから選択して買うのが普通であるから、並んでいない本は購買チャンスがないのである。

 しかし、店別に売上の統計をとり、その店に向いた既刊本を新刊本とともにきちんと並べれば、既刊本も新刊本と同じように売れるのである。農文協は手間ひまかけてそのように書店に本を並べて売ってきた。決して、ベストセラー狙いで新刊で勝負するといった経営政策はとってこなかった。

 高齢者は「マンガ本」にも「ベストセラー本」にも強い関心を示さない。「まともな本」「ロングセラー本」に関心を寄せるのである。農文協は「ロングセラーを作って、長期間売りつづける」という政策をとり、新刊中心の大量生産・大量販売・大量廃棄の政策はとってこなかった。それが「人生80年時代」にふさわしい経営政策となっていたのである。

 「 新しい時代」は大量生産・大量販売の画一化の時代から、多品目少量生産・個性化の時代に大きく変化したのである。農文協の経営政策は、既刊本を含めた多様な書籍をその店の個性にあわせて並べるという多品目少量・個性化の政策であった。たまたまこの時代の変化を結果的に先どりしたから、不況期の中で、農文協の出版物は前年比2桁台の売上伸長率を実現しているのである。

 高齢者がふえるということは、決して経済に対してマイナスの影響を与える原因とはならない。子どもがふえるということは所得のない人口がふえるのだから、経済的にプラスになるわけではない。反対に子どもでなく高齢者がふえるということは所得のある人口がふえることであるから経済効果はプラスなのである。  ただし、生産と販売のしくみが新しい時代、「人生80年時代」にふさわしく変わらねばならない。その新しい時代の先端を走っているのが農家の「産直」である。「人生80年時代」の経済は産業革命以来の「工業」ではなく、新しい「産直型の農業生産」によってリードされている。

◆農業による「生産革命」――産直

 読書人の書評専門紙『出版ダイジェスト』(旬刊)の10月20日号は「地域からの経済再生特集」である。その一面で「大不況から脱出する地域からの産業大転換――不況克服事例を追究する雑誌『現代農業』」と題して、本『現代農業』誌を追っている。しかも、この『出版ダイジェスト』に同封したアンケートがすごい反響で、直ちに数百通ももどってきたという。農業雑誌に、不況克服の方法を示唆する記事が掲載されつづけていることへの反響である。農業サイドが不況克服の先頭に立つなどということは、経済史上にかつてなかった現象である。

 どの企業も売上が伸び悩み苦しんでいるこの不況の時代の中で、どこでも、誰でも不況に打ち勝って売上を伸ばしてゆける可能性をもっているのは農家の「産直」である。だれがどこで決心しても、「産直」を開始すれば売上は例外なくふやせる。農協のような大きなグループであろうと、個人であろうと「産直」は可能である。

 「産直」の特質は、少品目・大量生産・大市場販売から、多品目・少量生産・地域直接販売の実現という大きな転換である。昭和30〜40年代のような、若い人が中心になって産地をつくり、大量生産、大量販売で他産地と競争したのとは全く違う。「産直」の担い手の大部分は60歳以上の高齢者と女性であり、自給の手法による多品目少量生産、そして地域直販。まさに「新しい時代」にピッタリの生産・販売なのである。

 消費者はすでに有り余るほどのモノを持っており、「必要なもの」ではなく、いまや「私の好みのもの」を求めているのである。それが食べ物では安全で、新鮮で、おいしい「産直」品であった。「産直」品の根本的な特徴は、自分が食べておいしいと思うもの(自給)を生産し販売する。それぞれの商品に個性がある「自給」の社会化にその商品の特徴がある。

 先進国の消費市場は個性を求める時代に入っている。その先端を走っているのが農家の産直である。生産・加工・流通を統合した新しいタイプの生産と販売。工業の「産業革命」に代わる農業の「生産革命」が出現したのである。

◆衣食住に直接かかわる中小企業に未来がある

 「新しい時代」は、工業も農業に見習って、多品目少量生産の大量生産化という新しい「生産革命」に向かいつつある。生産工程が電算化することによって、生産品の多品目化も可能になったのである。

 工業の中でも、時代を先どりするのが可能なのは大企業ではなくて中小企業である。また、自動車・テレビ等の工業製品ではなく、直接衣食住にかかわる産業、例えば、食品産業である。

 食品産業は製造業、流通業、外食産業からなり、その売上・市場規模はそれぞれ31兆、43兆、30兆円、合計104兆円で、農業総生産10兆円の約10倍である。従業員も908万人で、基幹的農業従事者255万人(1995年)の3.5倍である。食品産業は中小企業が多く、その中でも地場に立地している中小企業が少なくない。その食品産業が「生産革命」を開始した。

 例えば、福島市の銀嶺食品工業では外国産小麦でなく地元でとれた小麦や雑穀と自家発酵酵母を使って、独自の「日本のパン」をつくり(『今輝く国産麦』JA全中)、宮城県の米山町の北上食品工業では地元の超小粒で収量少なく、選別の手間がかかり、生育の遅いコスズ大豆にこだわり、市販の納豆より割高な「とちごめ納豆」をつくり(『現代農業』11月号)、大成功を収めている。これらの食品産業の「生産革命」による成功は、枚挙にいとまない。

◆都市から農村への人口の逆流――農都両棲の時代

 工業の「産業革命」に代わって農業の「生産革命」(産直)が時代をリードするといったが、「農業」という表現は実は正確ではない。時代をリードするのは「農山漁村空間」略して「農村空間」なのである。時代は「都市空間」が時代をリードした時代が終わり、「農村空間」が時代をリードする時代に入ったのである。  政府の新・全国総合開発計画「21世紀の国土のグランドデザイン」では「中小都市と中山間地域等を含む農山漁村等の豊かな自然環境に恵まれた地域を、21世紀の新たな生活様式を可能とする国土のフロンティアとして位置付けるとともに、地域内外の連携を進め、都市的なサービスとゆとりある居住環境、豊かな自然を併せて享受できる誇りの持てる自立的な圏域として〈多自然居住地域〉を創造する」(「21世紀の国土のグランドデザイン」第2章「計画の課題と戦略」第2節「課題達成のための戦略」)と述べ、「農村空間」を21世紀の国民生活にとっての根本的空間と位置づけようとしている。

 この「多自然居住地域」という新概念を生み出した新・全総「人と自然の小委員会」座長の武内氏は「農村地域を従来のように生産の場として維持してゆくというだけではなくて、様々な居住者が生活し得る場として考え」ると述べている(東京大学大学院農学生命科学研究所教授・武内和彦、『地域開発』)。

 農村空間こそ、「新しい時代」の「指導的空間」「基礎空間」なのである。

 アメリカでもイギリスでも、「農村空間」との直結あるいは農村居住の気運が急速にすすんでいる。

 農村と都市が極めて接近し、農村人と都会人の血縁関係の強いわが国においては、都会に住む者は農村に別宅を持ち、農村に住むものは、都市に一室をもち、農都両棲のライフスタイルをつくる。さらには、都市に流出した高度経済成長の頃の青年が「定年帰農」する新しいライフサイクルをつくる。農家は何も20歳で後継ぎするとは決まっていない。60歳で後継ぎする家もあれば、都会の孫が後継ぎする家もある。多様な農家の継承のライフサイクルが生まれている。

 「 新しい時代」は、そればかりではなく、農家に縁のない都会人にも「産直縁」での援農に始まり、別宅の建築、定住と、都市から農村への移住も始まっている。

 日本だけではない。イギリスでは、かつての大農場主「ジェントルマン」に使われていたファーマーやコテッジャー出身層に農村回帰、ないし農村的な文化への回帰の気運が起き、1971年から95年の人口変化は農村が21.0%増であるのに対し、それ以外の地域では0.5%増にとどまり、「逆都市化」と呼ばれる現象が起きている。

 「田舎に実際に移り住んだ人や、将来住みたいと考える人は確実に増えている」「この現象はここ30年ほどにわたって先進国、なかでも英国をはじめとするアングロサクソン系の国々に共通に見られた。英国では、19世紀なかばに農村から都市に人口が流れはじめ、第二次大戦後はいわゆる過疎が社会問題になった。ところが、1950年代を境にそれは一変した。大都市圏と古い工業都市で人口が減る一方で、地方にある小さな都市や大きな町で人口が増えはじめ、さらに次の時代には、小さな町や村にその動きが拡大した」(季刊「21世紀の日本を考える」4号――「英国に見る農村への人口還流と田園生活」名古屋大学情報文化学部助教授・高橋誠)。

 農文協発行のこの雑誌は一冊400円。現在4号まで発行され、8号で終わる「8号刊行雑誌」で、主張の読者にはピタリの内容なので、購読をおすすめする。8号分3200円で、一括払いされれば一冊80円の送料が割引される。

 都市から農村へ、人口の逆流が始まっている。

◆田園住宅の生みだす巨大な消費需要

 わが国における「新しい時代」=農都両棲の時代には、大金持ではなく誰もが農村に別宅をもち、連休は別宅で暮らす。一戸が二つの住居をもつ、これが日本の新しい住生活の変革である。狭い都市空間で、すべての住民が一戸建庭付きの住宅に暮らすことは不可能である。しかし、農村に庭付きの別宅をもつことは可能だ。休日日数の増加によって、農村別宅の効能は極めて高いものになる。「休日庭づくり」も「休日菜園」も可能になる。「農」のある農的空間が形成される。

 経済的に見れば、別宅建築の建築需要だけでなく、そこに備えつける家財道具一式。冷蔵庫も電気洗濯機も、布団も、ベッドもすべて、2倍の需要を生む。消費需要は確実にふえるのである。日本人の生活における最大の貧困部分が住の部分であるという日本的特性は、農村空間との結合によって豊かに克服されるのである。

◆福祉は仕事を生む

 「 鳥取県の山あいの日南町。町の人口は7500人、高齢化率は35%で全国平均の15%をはるかに上回る。主産業だった農業や農林業も後継者難で衰退という、過疎と高齢化が進んだ典型的な僻地の地方自治体である。ところが、町立病院を中心とした熱心な在宅ケアをはじめ、県内最多の訪問回数を誇るホームへルパーの活動等、気軽に必要なサービスが受けられるよう、医療・保健・福祉の「コンビニ化」がこの町のキャッチコピーだ。……町で一番若いヘルパーの女性に食事を手伝ってもらいながら、87歳のおじいさんがうれしそうに語った。『町に仕事がないというが、老人は仕事を出しますよ。こういう(ヘルパーの)仕事も、若いもんがわーわーやりよればこっちもにぎやかになってなあ』。町立病院の院長もこう言う。『在宅の医療や福祉を充実させ、そこに住みたいというお年寄りが増えれば、支える人も必要になる。それが人口減に対する最後の抵抗だ』」(『朝日新聞』97年11月14日―関西版、「笑顔見つけた高齢化の町」)

 この記事を引きながら、福祉を社会経済のお荷物と見る論説に対して、岡本氏は次のように斬る。

 「ここには、高齢者福祉と、これからの地域経済の活性化、過疎化を緩和する新しい方法論が端的に、しかも、町の人々自身の口から素直に発信されている。……「町おこし」「むらおこし」といえば、従来の大型の土木系の公共事業誘致しか考えられない固定観念から脱却し、高齢者福祉を地域の経済循環として前向きに取り込むことによってこそ、地域全体の活性化をはかることが可能になるのである。」(『世界』1998年11月号・52頁「福祉こそが次代の経済を開く」神戸市看護大教授・岡本祐三)

 商品券を配れば、消費需要が拡大するというような単純素朴な従来型思考から脱却しなければならない。時代が新しく何を求めているのかに対する発想の転換と深い思考が必要である。

◆農山漁村の文化が求められている

 書店に「農村回帰」ブーム――売れ筋は田舎、自然、有機、環境/「定年帰農」も人気。「読書の秋」がやってきた――。東京都内の書店は、ちょっとした「農村回帰」ブームが起きている。田舎、自然、有機、環境……に関する本が売れ、農業書を購入するサラリーマンも珍しくない。

 以上は10月23日『日本農業新聞』三面トップの記事である。ついに東京のドマン中の書店の棚構成に「農村」が現われる時代になったのである。

 高度経済成長の行きついた先は自然破壊、自然と人間の敵対矛盾関係である。そして、自然と人間の調和をめざす地域の形成、「農」を基本とした空間の形成をめざすその基本は、人間の日常の「生産文化」「生活文化」の変革である。農山漁村文化をベースにした文化によって「自然と人間の調和する暮らしの文化」を高度な科学文明の水準で創造しなければならない。その根本は「食と農」の文化にある。かつて家庭と地域によって自然に培われていた「食と農」の文化の教育は今や衰えてしまった。折しも文部省は「明治の学制」、「戦後の教育改革」に次ぐ第三の教育改革として「生きる力を培う教育」「自ら課題を立て 自ら解決する 総合学習」に真剣にとりくんでいる。

 年一度、日本教育新聞社によって開かれている日本最大の教育イベントである教育総合展では、何と東京ビッグサイトの近代的展示場に田圃と畑が再現され、アイガモも害虫やその天敵も放たれる「食教育コーナー」がつくられた。この「農」の展示は、パソコンの教育ソフト展示を圧倒して 来場者の関心を集めた。そして、食教育ゾーンの一部に設営されたセミナー会場で「食と農」で総合学習をすすめるセミナーが開かれた。

 教育の場にも「農の空間」が大きく拡がっているのである。

 21世紀の我が国の方向を「土と共に生きる農型社会にすべきである」と、食料・農業・農村基本問題調査会会長(木村尚三郎)が答申後の農業新聞のインタビューで述べている。「農型社会の形成」――新基本法の制定についての答申は、美しく住みよい農村空間の創造に向けて、関係省庁が連携して総合的対策を講じるように求めている。

 まさに、時代は「農」が時代をリードすべき時代に入った。新年に当たって、新しい時代をきりひらく決意を表明して筆をおく。

(農文協論説委員会)


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