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農文協トップ主張 1999年11月号

学校を核にしてむらの教育を興そう


目次
◆学校がむらから離れていく
◆「学校の教育」と「いえ・むらの教育」
◆「総合的な学習の時間」の創設と「むらの教育」の新しい意味
◆生活文化を継承する
◆「ふるさと」を捨てる教育から「ふるさと」を育む教育へ

学校がむらから離れていく

 秋、運動会の季節である。孫や子どもの応援に久々に小学校に足を運んだ方も多いと思う。ところであなたは、今年学校に何回通っただろうか。1回? 2回? 昔にくらべてなんとなく学校の敷居が高くなったような気がしないだろうか。

 いま60歳くらいの読者のみなさんが子どもの頃には、学校はむらともっと身近な存在だった。先生も、たとえむらの出身者ではなくとも学校のすぐそばの官舎に住んで、児童・生徒ばかりでなく、放課後にはむらの青年たちに歴史や裁縫を教えてくれた。もっと年代が下でも宿直室の先生を囲んで夜遅くまで語り合ったという思い出をお持ちの方は多いことと思う。運動会は児童ばかりでなく、むらの老若男女が参加し、子どもから大人までの部落対抗リレーが呼び物だったりした。運動会は学校の行事というより、むらの行事だった。

 山形県金山町杉沢の栗田和則さんに、冬季分校の代用教員として働いた頃の思い出を伺ったことがある。冬のあいだ、2メートル近い雪が積もる杉沢では、子どもたちが小学校に通うのは容易なことではなかった。そこで、杉沢が雪に閉ざされる間だけ、むらのなかに小さな分校が開設されていた。場所はむらが提供し、校舎を建てたり補修する材は共有林から切り出したものを使った。昭和39年に定時制高校を卒業した栗田さんは約2ヘクタールの水田を耕作し、約50ヘクタールの山林を管理する傍ら、冬の間だけ教壇に立った。むらの子どもたちにとって見れば春から秋には自分の父親と同じように田んぼを耕したり、山の木を切り出したりしている近所のおじさんが、冬になると急に先生になって算数や国語を教えたのである。

 杉沢の冬季分校ほどでなくても、昔は「むらの学校」という意識がもっともっと強かったはずだ。いまはどうだろう。学校の統廃合でむらの中にあった小学校は公民館に変わり、子どもたちは役場の近くの一町(村)一校の学校にスクールバスで通っている。統合した小学校の先生も、大きな町から車で通ってきて、町(村)内に住む人はほとんどいない。そんなところが多いのではないだろうか。「むらの学校」という意識は薄れる一方だ。

 むらという場から学校が切り離されてしまったこと――そのことがいまの教育の危機といわれることと根っこのところでつながっていないだろうか。

「学校の教育」と「いえ・むらの教育」

 一口に教育というけれど、ずいぶん意味の異なるふたつの教育がある。

 「学校の教育」と「いえ・むらの教育」である。「学校の教育」とは国語、算数、理科、社会など、つきつめていえば科学的な普遍知の伝達である。普遍知(あまねくあてはまる知識)だから、北海道から沖縄まで全国一律の教科書で教えることができる。

 これに対して「いえ・むらの教育」とは農業や料理、遊びや年中行事など地域的な背景をもった生活文化の継承である。「いえ・むらの教育」に教科書は通用しない。となりむらとうちのむらでは農業の流儀は違うし、同じむらでもむこうの田んぼとこの田んぼでは肥料のやりかた、防除のしかたがちがう、というのが農業というものだからである。味噌のつくりかたでも同じことである。「手前味噌」という言葉もあるように、いえによって、むらによって、塩加減が違えば、味も違う。その背景にはいえやむらの歴史や風土の違いがある。

 むらの子どもたちは「学校の教育」に接する前から、「いえ・むらの教育」の生徒になった。まず子どもたちが学ぶのは遊びである。むらには「がき大将」をリーダーにした年齢を超えた遊び集団があった。小学校に通う前の子どもたちはこの集団の一番後ろにくっついて先輩たちにさまざまなことを学んでいく。食べられる木の実はむらのどこに生えているか。川で遊ぶときはどこに流れの速いところや深みがあって、どこに気をつけなければならないか。川で遊ぶときも、幼いうちは魚とりをするにも泳ぐにも支流の○○淵で遊ぶ、10歳くらいになったら本流で遊んでもいいというような不文律もあった。子どもたちがむらで成長していくために長年のあいだに自然につくられていった教育課程(カリキュラム)である。そこでは試験もあった。大きな川を一人で泳ぎ切ったらむらの子どもとして認められるというように。

 このような遊びの学習はむらで暮らしていく知恵に通じていく。川でウナギやナマズをとるのは子どもたちの遊びであると同時に、いえ・むらの暮らしへの参加であった。子どもたちはむらの大人たちから、あるいは自然そのものから、自然を生かし、自然に沿って生きていく術を身につけていくのである。

 それは学校の教育のように目的があって、手段があって、その効果を測定するというような「たくらむ教育」ではない。「親がまじめに生きている。子はその姿から生きるとはどういうことかを学ぶ。村の中(地域)で、人々がたすけあって働き、ときに楽しみあって生きている。子どもたちはそういう大人たちをみていて、みんなで生きていくとはどういうことかを学ぶ」(本誌1986年11月号主張「都会の子に餅つきは必要か――農業の教育力を考える」)といった「たくらまない教育」なのである。

 子どもたちは「学校の教育」を受けながら、同時に一人前の人間を育てる上で「いえ・むらの教育」というしっかりしたベースがあり、その上に「学校の教育」がのっかっていたのである。

「総合的な学習の時間」の創設と「むらの教育」の新しい意味

 高度経済成長以降、「いえ・むらの教育力」は急速におとろえていった。そして「いえ・むらの教育」という土台が揺らぐにつれて「学校の教育」もまたおかしくなっていった。いま騒がれている学級崩壊とか、少年犯罪ということも、人が生きていく土台が揺らいでいるなかで知識だけを注入していることと無関係ではないだろう。

 かつては普遍的科学的な知識もまた、「むらの教育」の土台の上で伸びていった。「マルチメディア活用と科学」をテーマにした勉強会に出席したことがある。その場で一流の老科学者たちから出されたことは、いまの学生や若い研究者たちがいかに昆虫や植物についての具体的な体験や知識を欠いているかという嘆きであり、自分たちが子どものころ、昆虫少年・植物少年であったことが、その後の研究上のインスピレーションといかにつながっているかということであった。

 それではいま「いえ・むらの教育」を復興することは可能だろうか。それはかなり難しいことだ。子ども同士の遊びひとつとってもわかる。いまのように、むらの中に住む子どもが少なくなってしまうと、年齢を超えた遊び集団ができなくなる。じっさい、都会の子よりも田舎の子のほうが外遊びの時間が短いというデータもある。周りには昔とそう変わらない豊かな自然が残っている。それにもかかわらず、一緒に遊ぶ仲間がいないばかりに、家にこもってコンピュータゲームに熱中するという現象が起きているわけである。

 いえやむらをとりまく条件は大きく変わった。昔は遊びにしても、生産・生活にしても、むらの自然を生かし、自給をベースにして生きていくしかなった。人々は否応なく、そうして暮らしていたし、それゆえ、むらの自然を生かして生きる知恵と術のないものは一人前と見なされなかったのである。

 ではどうするか。変わったのは自然ではない。自然と人とのかかわり方が変わったのである。そのかかわりを取り戻す条件がいえやむらにないとすれば、むしろ学校を拠点として「いえ・むらの教育力」を現代的に発揮させる「場」をつくるほうがいい。

 時折しも、2002年からの新しい学習指導要領の実施に向けて文部省は思い切った改革を進めようとしている。ひとつは学校5日制の完全実施にともなう3割におよぶ学習内容の削減、そして「総合的な学習の時間」の創設である。小学校3年から高校に新設される「総合的な学習の時間」は教科書も使用しない、教科外の学習活動である。文部省は「総合的な学習の時間」の学習内容として、現代的な課題とかかわる「環境、情報、国際理解、福祉・健康」の四つを「例」としてあげているが、これにとらわれることなく各学校が地域や児童の実態を生かし、各学校の独自の判断と創意工夫に基づいて展開してよいという。要は、これまでの知識注入型の教育の反省に立って、具体的な事物に触れたり、生の体験を積むことを重視し、自ら学び、自ら考える意欲(生きる力)を伸ばしていこうということだ。この趣旨に沿ってさえいれば、学校長の裁量で学校の個性を発揮することが大いに奨励されている。この時間の呼び名だって「ふるさとタイム」でも「○○農園の時間」でも学校ごとに定めていいという。まことに画期的な政策なのである。

生活文化を継承する

 むらのなかには「総合的な学習の時間」の教材となる具体的・個性的事物や生の体験の機会があふれている。ソバを育てて打つのでもよいし、炭を焼いて、身近な川の浄化に役立ててもいい。サツマイモで水飴をつくるのも、大豆を育ててきなこや豆腐をつくるのも立派なテーマである。

 いま、こうしたことを子どもたちが学ぶのは、、かつてのようにそれを学ばなければ生きていけないからではない。きわめて現代的な課題である「自然と人間との折り合いをいかにつけるか」ということは、そういう身近な自然とかかわる体験を通してこそ、はじめて理解できるからである。

 愛知県の安城市立安城西中学校(神谷輝幸校長)では「総合的な学習の時間」に子どもたちに自然と人間とのつながりを学ばせようと、近くを流れる明治用水・矢作川を遡り、上流の長野県の根羽村でブナを植林し、炭を焼く。給食の生ごみを堆肥化して、校内の自然農法農園で活用する。今日の地球環境問題を学ぶ上で、抽象的に、オゾン層の破壊がどうのとか炭酸ガスの増加と地球温暖化の関係がどうのとか学んでも、ただでさえ頭でっかちな子どもたちの「知識」がふえるだけのことである。自らの体を動かしながらの食・農体験が循環型社会づくりの生きた学習になるのである。

 こうした活動には地域の農家の応援が欠かせない。学校の先生はいま「総合的な学習の時間」で何をやったらいいか悩んでいる。何しろ教科書がない。その上、いまの若い先生は、勉強はそつなくこなすが、体験は苦手という優等生タイプが多いのである。まずは農家の応援で、活動の核として、学校農園をぜひ充実させたい。学校の敷地だけでなく、あいている田畑を学校に貸して、ダイナミックに農業体験に取り組ませてもいい。むらの中の農産加工場で味噌・豆腐やそばを加工し、直売所や「道の駅」で販売するのもおもしろい。生きる力を育む教育は教室のなかでちまちまやってはだめだ。計画的につくれば、学校給食にも子どもたちが育てた米や野菜をふんだんに取り入れることができる。

 そして「餅は餅屋」という言葉があるように、体験学習の先生役はむらの人が引き受ける。学校の先生には体験学習から本やインターネットで調べる学習へ広がるところで本領を発揮してもらえばいい。

 おもしろいことに学校でこんな動きが生まれてくると、地域の中でもいったん廃れかけた食べ物が復活してくる。子どもたちの体験学習がきっかけになって、ソバやコンニャクの栽培や加工が復活したむらがある。

 学校の体験学習にかかわるもうひとつのメリットはここにある。息子夫婦に直接ソバを打てとか、味噌をつくれといっても素直に聞いてくれなくとも、孫がやりはじめると、親としては無関心でいられなくなる。いまのPTA世代はちょうど高度経済成長期に子ども時代を送っている。「消費は美徳」という考え方がむらのなかにも浸透してきた頃の世代である。むらの生活文化はこの世代でいったん切れかかっている。切れかかった生活文化を孫世代を迂回して息子世代に伝える。「総合的な学習の時間」はむらのなかで忘れられかけた生活文化のつながりを復活させ、次代に継承するきっかけにもなるのである。

「ふるさと」を捨てる教育から「ふるさと」を育む教育へ

 これまで学校教育の優等生は「ふるさと」を捨てて都会に栄達の道を求めて出ていった。それは学校の教育が「ふるさと」とは切れた普遍的な知識の伝達であることと深くかかわっている。

 私たちは深く学べば学ぶほど「ふるさと」に愛着を抱くような教育、「むらの教育」を再構築しなければならない。

 いま30代から40代に達している栗田さんの冬季分校の教え子たちはひとりもむらから出て行かなかった。栗田さんは国語や算数を教えながら、一人のむら人として「どんと焼き」のやりかたを教えたりしていた。一個の人格の中に「学校の教育」者と「むらの教育」者を体現した栗田さんに多感な子ども時代に触れたことと、その後の青年たちの生き方とは無関係ではあるまい。いまむらの青年たちは農林業に携わりながら、栗田さんとともに森林体験のインストラクターとして、都会の人たちとともに森を歩いたりイタドリで笛をつくる方法を教えたりしている。「むらの教育」で得たことが、都会の人々の自然とのつきあいかたを変えるという、新たな意味を持って生かされているのである。

(農文協論説委員会)

※「総合的な学習の時間」について、「出版ダイジェスト」4月11日号で現役の文部省の教科調査官である嶋野道弘さんは、「総合的な学習の時間」では地域の文化の向上と学校文化の向上を重ね合わせてとらえなければならないと述べている。この時間の意義を校長先生にわかってもらうには最適だ。好評につき、増刷したのでこれを持って地元の小中学校に働きかけていただきたい。希望者には無料で贈呈します。〒107-8668東京都港区赤坂7-6-1農山漁村文化協会 出版ダイジェスト・現農主張係まで、葉書またはFAX(03-3589-1387)でお申し込みください。必要部数明記のこと。


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