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農文協トップ主張 2001年4月号

足元の、当たり前の豊かさに気づく「地元学」

――不況のなかで生まれた確かさ

目次
◆広がる「地元学」
◆地元学の先進地・水俣市の「もやい直し」
◆「当たり前」がじつはすごいことなのだ
◆地域の人々が当事者になる契機としての「地元学」
◆「水俣だからこそ安全安心」な農産物づくりをめざす
◆風景と人々の表情が明るくなってきた

広がる「地元学」

 「長引く不況で社会全体に停滞ムードがまん延する中、『不況』をきっかけに、新しいライフスタイルを見いだした人たちがいる。彼らは自然災害や高齢化などで行き詰まり、大量消費を前提にしたこれまでのやり方を見直さざるを得なかった。『自分が変われば世の中が変わる』と信じる彼らを見ていると、依然、消費拡大で不況を乗り切ろうとする政府の矛盾も見えてくる」(1月8日付毎日新聞)

 「災害や高齢化で一足早く『不況』に突入して、そこから立ち上がった中山間地域、大型店の影響で衰退した商店街の復活。身の回りのものや地域資源を生かし、自分たちの生き方を見つけた人や地域の姿は、大量生産、大量消費の行き詰まりの結果ともいえる不況の先にある社会を見せてくれる」(2月5日付中日新聞)

 以上は、現代農業2月増刊『不況だから元気だ――小さな消費で豊かな暮らし』へのマスコミの反響である。この増刊は、災害や公害、高齢化などの要因で日本全体にさきがけて「不況」や「苦境」に突入しながらも、それを突き抜けて立ち上がった人や地域の事例を紹介したもの。農(むら)と地元商工会(まち)の連携で「元気」な地域や、「大量生産・大量消費」に身をゆだねない新しいライフスタイルを求める人々の姿から、これまでの「大量生産・大量消費に支えられた景気」とは異なる「つぎの社会の元気」が伝わってくる。

 「不況だから元気」なのは地方である。産業が発展し、都市に人口が集中する「好況」期が、いわば都市の時代なのに対し、「不況」期は地方の時代である。地方もまた深刻な不況に見舞われてはいるが、地方には、固有の自然があり農業があり、地域に密着した生業があり、歴史的に培われた文化がある。「好況」のなかで寸断されてきた「地域にあるもの」を紡ぐところから、地方に新しい「元気」が生まれている。それは、グローバリゼーション(世界市場化)の中で、「生活の場」としての地域を守り、自ら豊かな地域をつくる新しい地方自治形成への取組みでもある。

 こうした地方の時代への胎動のなかで、自治体関係者を中心に、「地元学」と呼ばれる新しい試みが大きく広がっている。岩手県の「いわて地元学」、三重県の「三重ふるさと学」など県レベルの動きとともに、各地の市町村で「地元学」の実践が始まっている。この「地元学」を通して、地域おこしの方法を考えてみよう。

地元学の先進地・水俣市の「もやい直し」

 今、「地元学」の「先進地域」として注目されているのが、熊本県水俣市である。水俣病発生(1956年に公式確認)以来、「不況」どころか「地獄」のような、あるいは「失われた10年」どころか半世紀近くの苦難を突き抜けて今、水俣は新しい元気を生み出しつつある。これを支えているのが「もやい直し」という取組みである。

 「もやい直し」とは、壊れてしまった人々の絆を結び直すこと(もやいとは舫い―船の元綱をしっかり結び合うこと、あるいは催合い―協働してことにあたること)。「水俣病問題は、(患者だけではなく)水俣に住む者誰もに対立と反目の混乱をもたらして地域住民も何らかの被害を受けており、疲弊した内面社会の修復を図らなければ、問題の解決にはならない」と、かつて吉井正澄市長が述べたように、水俣病発生以来、地域のなかに不信、偏見、中傷が渦巻き、人の心は地域から離れようとしていた。人々のまなざしを足元の地域に再び向けさせ、地域の再生をめざす行政・住民の協働作業――「もやい直し」の過程で生まれたのが「地元学」と呼ばれる方法であった。

 水俣市の環境対策課長・吉本哲郎さんが、「もやい直し」にむけ「地元学」という方法を編み出す契機となったのは、水俣病の語り部でもある杉本栄子さんとの出会いである。

 両親も、栄子さんも夫も水俣病になった杉本家。発生当初、水俣病は「伝染する病気」とされていたため、杉本さん一家は、筆舌に尽くしがたいイジメや差別を受けた。

 「だが栄子さんは、父の戒めでいじめ返しはしなかった。他人様は変えられないから自分が変わるようにした」

 「栄子さんは、大学の医者でも手当てできず、死んでしまうと予測された体だった。『それなら自分で治す、食べものでなった病気だから食べもので治す』と、草木などを食べて漁ができる体に回復させた。教えられたことは、他人に文句を言わずに水俣も変わればいいということだった」(吉本氏「水俣は『いじめ返し』はしない!」―『不況だから元気だ』)。

 他人を変えるのではなく、まず自分を変えて、生活している範囲に動きを紡ぎ出していく。「もやい直し」は、地元に「あるもの」を見直す作業から始まった。地元の人みんなで、白地図とカメラ、筆記用具を持って、歩いて、記録して、写真を撮って、調べるという「あるもの探し」に始まり、「地域資源マップ」「水のゆくえ」などの絵地図づくりへと展開していく。1991年、各地区でいっせいに寄り合いがもたれ、子どものころ遊んだ思い出の海、山、川がどうなっているのか写真を貼った地図を見ながら語り合った。これを契機に26の自治区ごとに世話人総勢210名の自治的組織「寄ろ会みなまた」がつくられた。

 「あるもの探し」は、文字通り地元にあるものを探し、探して磨く。「ないものねだり」ではなく、地域にあるもの、地域の生活・生産文化を発見することに重きを置く。

 「水のゆくえ」は、生活に使う水のゆくえを調べることから始まる。水の流れを調べることで、水のある周辺の生き物、樹木や植物、そして動物、水の中の生き物、そこで暮らす人々の生活文化まで調べていく。

「当たり前」がじつはすごいことなのだ

 でも最初は、とまどいもあった。
世話人「うちに資源は何もない、どうすればいいのか」
吉本氏「そうかぁ。では、川には何がいる?」
世話人「川? 川には、アユ、コイ、ダクマ(テナガエビ)、ウナギ……」
吉本氏「そうや、山にはどんな食べ物がある? 大きな樹はあるか? 神社は? 漬け物のおいしいのは誰がつくったものか?」
世話人「そらぁ、山にはドゼン、ゼンマイ、ワラビ、ヤマイモ、ヤマモモ、大きな樹はイチョウにナギノキに……」

 聞きながら、場所が特定できるのは1万分の1の地図のその場所に、特定できないのは余白に書き込んでいった。
世話人「そんなのでいいのか?」
吉本氏「そんなのでいいんです」
世話人「そんなのでいいんだったら、いっぱいある」

 そんなやりとりののちにできあがったのが地域資源マップである(吉本氏「『あるもの探し』の地元学から『みなまたグリーンツーリズム』」2000年1月増刊『日本的グリーンツーリズムのすすめ』)。

 「当たり前」に存在するものに対し、そこに暮らす者はつい「何もない」と思ってしまいがちだが、当たり前が当たり前でない「外の目」を借りてみると「当たり前」がじつはすごく豊かなことなのだと気づく。ほかならぬ吉本さん自身も、農家である自分の家のまわりの有用植物を植物に詳しい友人に調べてもらって、ざっと調べただけで84種類もあったことに驚いたという。

 地域に「あるもの」、それは長い歴史をもってそこに「あるもの」である。吉本さんは言う。

 「今は情報化社会と言われるが、江戸時代の恩恵や、はるか弥生時代、縄文時代の恩恵も受けて暮らしていることには気がつきにくいものだ。貝塚遺跡から出土した食糧の名残りには魚や木の実、動物など、現代人と変わらない食生活があったことがうかがえる。祖先たちが築き上げてきた文化や暮らしの延長線上にあるのが今の私たちの暮らしだ。異なる時代の恵みを受けて今がある」

地域の人々が当事者になる契機としての「地元学」

 本誌1月号主張「『戦争と革命』の世紀から、『文明によって文化をつくる』世紀へ」では、「農村空間は、人間の意志(労働)が加わっているのだから、決して天然の自然ではない。(中略)かといって人工的自然とも根本的に異なる。農村空間は人間と自然の個性が織りなす『歴史的生命空間としての地域』である。客観的自然条件(気象、土壌、水質等)が同じでも、そこに暮らす人々の意識=暮らしようによって、それぞれの農村空間は地域によって異なる。長い歴史をかけて、自然と農民の働きかけ働きかけられる関係が農村空間をつくり出してきたのである」と述べた。

 吉本さんによると、地元学とは、「郷土史みたいにただ調べるだけでなく、地元の人が主体になって、よその人の視点や助言を得ながら、地元のことを知り、地域の個性を自覚することを第一歩に、外からのいやおうのない変化を受け止め、または内発的に地域の個性に照らし合わせたり、自問自答しながら考え、地域独自の生活(文化)を日常的に創りあげていく知的創造行為」であり、「地元の者()が当事者になり、外の目()借りながら、当たり前にあるもののすごさに気づくこと。足元をいっしょに調べ、考える。考えるだけじゃなく、ものや地域、日々の生活文化をつくり上げる連続行為」。

 言い換えるなら地元学は、主体と対象とが切り離されたたんなる「調査」や「科学」ではなく、個別的な主体が個別的な対象の中に入り込み、働きかけ働きかけられて相互に豊かになっていく実学なのである。それは、地元学が対象とする、地域に「あるもの」そのものの性質からくる。

 「農業や林業、漁業に従事している人たちはあんまり環境という言葉は使わない。ずっと農業をしてきたうちのおふくろなんか『見たことも食ったこともないものは分からない』という顔をしている」と吉本さん。農家が地域の自然に対し「環境」という言葉を使わないのは、それが働きかけ働きかけられる対象であり、そこには主客同一的な認識があるからである。田畑や作物は、自分でつくり育てる「自分のもの」であると同時に、「自然のもの」でもある。そんな農家、漁家の見方、感じ方は地域の自然全体に及ぶ。地域に「あるもの」は、ただ客観的に「環境」としてあるものではなく、自然のものであると同時に自分とむらの歴史そのものであり、それゆえ「あるもの探し」は地域の文化を見つめ直すことにつながっていく。それは、自分の中や人間関係の中の「あるもの」を探すことでもあり、こうして「地元学」は、地域の人々に自覚と元気を呼びおこす契機になる。これを触発し、励ますのが「風」の役割である。地元学は、「歴史的生命空間」としての地域自然と生活文化への自覚と再生を促がす、生活者自身による文化運動である。

「水俣だからこそ安全安心」な農産物づくりをめざす

 そんな取組みを通して、水俣は元気を取り戻してきた。

 元気の第一は農水産物。地名が病名となったために、市場では長いあいだ敬遠されてきたが、最近では「水俣だからこそ安心安全」と、逆に水俣産を前面に押し出すようになった。それをリードするのが「環境マイスター」である。環境マイスターは、有機無農薬のお茶や米、野菜、無添加のイリコ(煮干し)、化学薬品を使わない和紙、健康畳など、環境に配慮しながら生産する人を市が認定する。98年から始まり、これまでに16名が認定された。

 半農半漁の杉本栄子さんの家では、健康被害と汚染とで漁ができなかったあいだ、天恵緑汁や土着菌を利用してボカシ肥をつくり、それを生かした有機無農薬の甘夏の栽培で暮らしを支えてきた。その杉本さん夫妻もマイスター。

 土着菌利用は「水俣だからこそ安全安心」な農産物づくりをめざす人々のあいだに広がり、鹿児島大学入来牧場での「土着微生物利用ワークショップ」(本誌2000年12月号グラビア)には、水俣から30人もの人が参加した。その中には杉本さん夫妻、「天の紅茶」を有機無農薬で生産しているお茶農家マイスターの天野茂さん・浩さん親子、有機無農薬茶のマイスター・松本淳さんの跡取り息子・和也さんの他、航空自衛隊パイロットを退官後、「水俣だからこそ、無公害の食べものをつくらなければ!」と10年前に定年帰農した坂本龍虹さんの姿もあった。また、市全域で、土着菌による家庭生ゴミの堆肥化がすすめられていて、それを指導しているのもお茶農家マイスターの丸田清隆さんである。

 元気の第二は環境先進都市づくり。水俣病の犠牲を無駄にせず、悲劇を2度と繰り返さないための仕組みとして、92年に環境モデル都市づくり宣言、93年に環境基本条例の制定、95年には2005年までの環境基本計画を策定、99年に自治体としては全国6番目に環境管理システムの国際規格ISO14001の認証を取得、ゼロエミッション(廃棄物ゼロ)の町づくりをめざして日本のトップクラスから世界のトップの仲間入りをめざしている。そうすることが「水俣出身と胸を張って言えることにつながる」からだ。6地区では住民どうしで地区環境協定が結ばれ、水を大切にする、市のゴミ分別にしたがいちゃんと分けるなどの環境に関する最低限の生活ルールをつくり、自分たちの住んでいる地区の環境を自分たちで守る自治活動が進められている。

 「水俣グリーンツーリズム」も盛んになってきた。かつて水俣の子どもたちは、修学旅行先で「水俣病が伝染る」などと、他地域の子どもたちの偏見にさらされたが、いまは他地域の子どもたちが修学旅行で水俣を訪れるようになった。水俣を訪れた子どもたちは水俣病を学ぶだけではない。今や水俣は5種類23分別にも及ぶゴミ収集を3万人の全住民参加で行なう住民協働の環境先進都市。月1回の資源ゴミ回収の日は地元中学生がクラブ活動を休んでお年寄りのゴミ出しを手伝う町で、修学旅行生も分別を体験する。視察を含めた宿泊客も増加している。

 生ゴミなどの廃棄物も地域に「あるもの」としてとらえ、地域の土着菌を使って活かし方を考えていく。「環境問題」は「地元学」という方法と結びつくことで、「元気」を生む自らの、地域の課題になる。

風景と人々の表情が明るくなってきた

 吉本さんよりやや先んじて、東北・仙台の地で地元学の動きを起こした結城登美雄さんは、『不況だから元気だ』で、空き店舗と耕作放棄地は同じ地域の共通課題だとして農商工連携の道を探り、地場産大豆を使った豆腐つくりセットを3000セットも売った宮城県角田市の例、1500世帯の典型的中山間地でありながら、町中の人が1品ずつの家庭料理を持ち寄って1100品も集まった同県宮崎町の「食の文化祭」の例をあげ、「不況とはむしろ、景気という灰色の霧を晴らす大きな力なのだと思いたい」「厚い雲が薄れ、東北農山村の風景と人々の表情が明るくなってきたような気がする」と述べている。

 角田市商工会の報告書には「これまでの特産品づくりは、その多くが大都市をターゲットにしてきたが、そのため市場にほんろうされ、撤退を余儀なくされた面も多い。私たちはむしろ、外に向けてではなく、角田の市内に住む人々との連携をめざす。私たちの3年間の試みに最もよく応えてくれたのは、ともすれば忘れがちであった身近な隣人たちであった」と記されていた。また宮崎町の食の文化祭で住民がみせた無償の行為の根底には、「現在なお健在な講や結の『お互い様の文化』があった」と結城さん。

 結城さんは、10年ほど前、仙台市郊外の七郷《しちごう》地区で、バイパス工事によって変貌する田園地帯を地区の老人たちと記録に残そうとしたときの体験を、こう記している。

 「記憶の中の七郷。それが一気にあふれ出したのは圃場整備以前の、昭和37年頃の田んぼのカタチを空中写真から復元し、テーブルに広げた時のことだった。ひとつとして同じ形のない、何千枚という小さな田の集まり。それを見た瞬間、ふだんは控え目な老人たちの顔つきが変わり、セキをきったように饒舌になった。『あっ、この三角の形は俺の田んぼ、じいさんの代に拓いたんだ。隣りの細長いのは○○さん。こんな田でも豊作の時は3俵半もとれたんだ』。『今でこそ水田のダム効果というが、七郷の田に全部水を引くのに1カ月もかかったんだ。それこそ広瀬川の水が干上がるぐらい俺たちの田んぼは水をのんだもんだ』。水争い、水番、堀払い、こやし汲み、俵あみ……。1枚の図面を囲み、老人たちの話はいつまでも尽きることはなかった」

 水俣の吉本さん、仙台の結城さんのようなまなざしをもつ人々による「地元学」が今、自治体関係者を中心に全国に広がり、農家・農村に基礎をおく地域からの社会変革が、静かに、確実に広がろうとしている。

 「現代農業」5月増刊は『地元学のすすめ 地域から変わる日本』(仮題)である。

 

(農文協論説委員会)



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