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農文協トップ主張2001年5月号

「総合的な学習の時間」は農家の出番だ

――あなたも食農教育の「応援団」に

目次
◆「総合的な学習の時間」とは?
◆子どもの教育も「への字型」で
◆なぜ「食農教育」を重視するのか
◆だからこそ、いま農家の出番
◆子どもたちが農家の味方になる
◆「開かれた学校」が共生の地域をつくる
◆プロとして子どもたちに向き合う
◆あなたも食農教育の「応援団」に

 読者諸氏は、いま地元の小学校や中学校にどんな関わりを持っておられるだろうか。我が子がいま学校に通っているという世代もあるし、孫が通っているという人もいるだろう。自分が卒業した学校であっても、近頃はとんと関わりがなく、たまに学校が選挙の投票所になったときに体育館に入るくらいで、どんな校長先生かも知らないという人も多いかもしれない。

その学校が、いま大きく変わろうとしている。「開かれた学校」に変身しようとしており、地域の人たちの積極的な関わりが求められているのだ。

学校はいま、明治の改革と昭和(敗戦後)の改革に並ぶ第三の教育改革の真っ只中にある。

「総合的な学習の時間」とは?

 第三の教育改革の大きな柱は、2002年4月に施行される「総合的な学習の時間」の創設である。

 各学校において児童生徒が「生きる力を育むことを目指し、特色ある活動を展開する中で、自ら学び自ら考える力の育成をはかる」こと。

 その実現のために、「地域の人々の協力も得つつ」「地域の教材や学習環境の積極的な活用」も工夫して、「ものづくりや生産活動など体験的な学習」「問題解決的な学習」を積極的に取り入れる学習活動を行う時間を、新たに「総合的な学習の時間」として設けることになった。

 新しい「総合的な学習の時間」は、理科や社会科のような「教科」ではない。教科書もないし、点数による評価もしない。時間のワクだけがある。小学校3年・4年が年間105時間、5年・6年が110時間。国語・算数に次いで多く、週に3時間ほど。毎週やってもよいし、まとめて1日を当ててもよい。自由度の高い時間だ。(中学校では、選択教科の時間との関連で、70時間から130時間までの幅がある)

 教育改革は、「3割削減」の教科学習での「基礎・基本の定着」と、「総合的な学習の時間」の2つの柱で進められる。「総合的な学習の時間」は、知的好奇心や探求心の育成を重視し、体験的な学習や問題解決的な学習によって、ゆとりの中でじっくり学ぶ「基礎・基本」を定着させる場でもある。自分で学ぶ、学び方がわかり、自発的な学習意欲の高い子どもに育つのを待つ。

子どもの教育も「への字型」で

 農家ならおわかりと思うが、子どもの教育というのは、イネつくりとよく似ている。

 「への字型イナ作」で、美味しい米をたくさんとっている農家は、本田では元肥ゼロ、耕起前に堆肥をふる程度でスタートする。植えた苗を肥料で甘やかさないから初期の生育はじっくり進む。苗は、養分を求めて根を深く伸ばし、地上部は小作りに育つ。

 一方、元肥をたっぷりやった苗は早く青々と育つが、地下部の根っこはさみしい。早々と茎数が増えるが、途中で無効茎が落ちこぼれて消え、収穫期には細茎小穂の秋落ちイネになる。風が吹けば倒伏する。

 「への字型」のイネでは、初期から肥料を詰め込まず、根っこ優先に自立をうながす生育をさせ、がっちり養分を食い込める体制になった生育中期に、肥料をやる。イネはしっかり肥料を吸収・消化して太茎に育ち、大きい穂をつけ、倒れない。ビワ色に熟して美味しいコメをもたらす秋まさりイネになる。

 小中学校の時代は、生きるための基礎・基本を身につけ、じっくり自立の体制をつくる時代、落ちこぼれを出さず、どの子も「根っこ優先」の生育をさせ、それぞれの個性の芽をふくらませる時代だろう。

 そして、子どもへの基礎・基本の定着と自立への体制づくり、根っこ優先の生育を応援するのが、体験的な学習を取り入れた「総合的な学習の時間」である。

なぜ「食農教育」を重視するのか

 小学校で週3時間設けられる「総合的な学習の時間」は、具体的にはどんな学習活動をやるのか。

 新しい「学習指導要領」によれば、「児童の興味・関心に基づく課題」「地域や学校の特色に応じた課題」など、それぞれの学校の裁量で決めればよいことになっている。

 農文協は、以前から、小中学校で「食べものと、それをつくる農業の総合的な学習」を進めるように提案し、各地の実践例を発掘し、紹介してきた。平成十年には「食農教育」と名づけた「総合的な学習の時間」のための教育誌を創刊、11号からは季刊から隔月刊へと移行し、学校の先生と、食農教育を応援しようとする人たちに読者をふやしてきた。

 なぜ、食農教育なのか。「食農教育」誌を隔月刊にするに当たっての挨拶では、次のように述べている。「食と農は、自然によって産み出された人間が心と身体を働かせて地域の自然と交通し暮らしを立てる、人間の最も根源的な営みであり、『いのち』と、地域に根ざした人間らしい生活文化、そして鉱工業をも含めた文明を生み出す元であり、『人間が生きるとはどういうことか』を学ぶのに最適だからです。食と農を軸とした総合的な学習は、その根源性をどこまでも追究していける奥行きの深さを持っています。そこから、環境、福祉・健康、国際理解、情報等、あらゆる領域に学習を広げることも、教科学習との相互連関をつくることも容易です」(「食農教育」2001年1月号No.11)

だからこそ、いま農家の出番

 だからこそ、食と農を軸とした学習は、「総合的な学習の時間」の課題として、どの学校でも中心に据えるべきものであり、教育改革のもうひとつの柱である「基礎・基本の定着」の面からも、確実に定着すべき「基礎の基礎、基本の基本」であると考える。

 自然と人間は食べものを通してひとつになる。自然は、あくまで地域の自然であり、どこも同じではない。農業も地域ごと、田や畑ごとに異なる。「みんな違ってみんないい」そんな関係を、個性的な自然を生かし、生かされながら、そこに暮らす人々が長い歴史をかけてつくり出してきた。自然と人間、風土と人間の「つなぎ手」となる知恵と技を蓄えているのが農家である。例えば、野菜の地方品種は、その地方の人間(の味覚)と固有の自然が育てた、その地方でこそ最高に美味しい個性的存在である。

 学校も、生徒ももっと個性的でいい。全国1律の金太郎飴のような指導はやめて、「みんな同じでなくていい」ことを積極的に認めていく。小中学校で(さらに2003年度からは高校でも)「総合的な学習の時間」を導入するねらいは「特色ある教育活動を展開する」ためでもある。

 だからこそ、「総合的な学習の時間」には、「食農教育」を中心に据えたい。個性的な食、個性的な農業、個性的な地域を自慢できる子どもを育てたい。

 だからこそ、いま農家の出番である。

子どもたちが農家の味方になる

 東京都練馬区。都市化のなかで、畑を小中学校や高校に囲まれて農業を続けている吉田和生さんは、近頃元気がいい。子どもたちが味方になってくれていると感じているからだ。

 10年前、新・生産緑地法が施行されたころ、畑に「生産緑地」とか「農地を守ろう」と看板を立てておくと、「値上がりを待っているのか」などと、マスコミに悪者扱いされて、「あんな悲しいときはなかった」という。雨が降ったあとは、道端のキャベツは穴だらけ。学校帰りにみんなで傘の先で刺していくからだ。周りがみんな敵に見えて悩んだ時期だった。

 そんなとき、小学校の先生が「子どもたちに畑を見させてください」と、訪ねてきた。このときは、3年生が授業の一環としてやってきて、キャベツの収穫を見てもらった。いろんな質問が出て、正直に答えてやる。すると「その日の夕方から、子どもたちの目つきが変わって…」それからは、いい傾向に、いい傾向にと進んできたという。

 吉田さんからも学校にいろいろ提案をして、次の年には全学年が畑を見にきた。畑に子どもたちが来だして7〜8年経つが、いまは5年生が吉田さんの畑で大根をつくるという形で、体験学習が定着している。

 吉田さんと話すなかで、子どもたちの畑や作物を見る目が変わる。自分たちの畑だから、畑の隅に犬の糞などを見つけると猛烈に怒るようになる。家に野菜を持って帰って、親に体験を話すから、親の見る目も変わってくる。吉田さんの農業も変わってきた。ほとんど市場出荷だったのが、地元の人への自家販売が増えてきた。つくる野菜も多品目になった。とりわけ、トウモロコシ・枝豆などは、朝穫りのうまさを知った人が、収穫日を心待ちするようになる。

 子どもたちを畑に呼び込み、子どもたちが味方に変身すると、親たち、地域の人たちも味方になる。いまでは自家販売6に市場出荷4、「市場にはあまり期待していない」形の農業になり、吉田さんの畑は、地域みんなに期待される存在になった。だからやりがいもあり、元気なのだ。

「開かれた学校」が共生の地域をつくる

 「開かれた学校づくりを進める」ということが、新しい学習指導要領に、初めて明記された。学校を地域に開かれたものにし、地域の教育力を学校に取り入れようという改革である。

 教科書の上での知識だけでなく、生身の農家と作物にふれさせたいと思う意欲的な先生がいて、吉田さんは「畑の先生」になり、その畑は子どもたちのものになり、地域のものになった。

 「地域に開かれた学校づくり」は「学校を中心とした地域づくり」でもある。全国に小学校の数は、およそ2万4000校あり、同じ数の「小学校区」という地域がある。小学校区という顔の見える地域の単位で、学校を中心にした地域コミュニティ(共同体)を、子どもと親と地域の人々で再生していく。それが、教育を荒廃から救う道でもある。

 学校は、子どもたちにとって学びの場であると同時に、暮らしの場でもある。昼になれば、みんなで給食をいただく。その子どもが我が子であり、孫であり、自分の出身校であるならば、心の通う給食にするのに、農家としてもっと協力できるのではないか。田んぼがあれば、お米や麦や大豆を、それを加工した味噌を。畑があれば、新鮮な野菜を。ひとりでは量がまとまらないなら、農家が集まってネットワークをつくる。

 埼玉県和光市の直売組合(農家27戸)では、地元の学校の要望で朝穫りのトウモロコシを給食に提供しているが、午前中に学校で子どもたちに栽培のことを「出前授業」し、その場で皮むきの体験をさせる。これを給食で食べた子どもたちは、そのうまさとつくり手の技に驚いて「大きくなったら農業をやりたい」という、うれしい感想文が農家に届くのである。

 顔が見える地域のための農業、子どもの体験活動の場としての農業なら、自ずと環境保全を意識したものになる。天敵を生かした農業で、田んぼや畑に、天敵のクモや小さなハチ、トンボなどが多様にすみ着いていれば、子どもにとっては環境学習・自然観察のための「屋根のない学校」になる。害虫だけでなく、天敵やただの虫が多様にいる空間こそが安定した生態系であることを、体験的に話せるのは農家だけである。

プロとして子どもたちに向き合う

 もちろん、「開かれた学校」が地域に求めているのは、農家の先生ばかりではない。千葉県我孫子市にある我孫子第二小学校は、プロゴルファーの青木功さんや飯合肇さんの出身校だが、この学校には「地域の先生」が150人もいる。「大工の先生」「新聞作りの先生」「寿司作りの先生」「手話の先生」「機織りの先生」といった具合だ。

 この学校には、「子どもたちに、生きるための基本となる体験を」という思いがあるから、当然、農家の出番も多くなる。農家といっても、「さつまいもの先生」「米作りの先生」「麦作りの先生」「トウモロコシの先生」「小松菜の先生」などなど、その道のプロとして、真剣に子どもたちと向き合っている。

 この学校ほど、敷居の低い学校は他に知らない。夕方5時を過ぎると、校長室に「ジャガイモの先生」や「炭焼きの先生」などがふらりとやってきて、打ち合わせをし、ときにはビールを飲みながらお互いの夢を語りあう。

あなたも食農教育の「応援団」に

 開かれた学校をめざす教育改革の柱として、「総合的な学習の時間」は、2002年4月の本番開始を前に、この4月から、「移行期」の最終年として、どの小中学校でも独自の取り組みが進められる。

 うれしいことに、食と農を軸にした総合的な学習を「特色ある教育」の柱にしようという学校が全国に広がりつつある。これは「食農教育」の応援団が、各地で支援活動を始めているためでもある。全国のJAが「バケツイネ」や「学童農園」設置の支援に動き、地方農政局・食糧事務所・農業改良普及センターなどが「出前授業」に出かけている。

 学校へ出かけて教壇に立つだけでなく、子どもたちを自分の田んぼや畑に呼んで、農作業を体験させる取り組みも各地で行なわれている。体験前は「いやだ」「きたない」「疲れる」などと言っていた中学生が、汗だくで仕事に熱中し、農家の話を聞き、とりたてを味わううちに、「大変だけど楽しい」農業の営みへの共感が芽生えてくる。「なぜ私たちが農業に関心がないかは、親の農業をやる姿を見ていないからだと思う」という感想は、秋田県雄和中学校の女生徒が体験学習のあとに書いたものだ(秋田地域農業改良センターの農業教育支援活動報告集より)。

 さて、あなたの出番である。学校の先生に声をかけてほしい。学校はいま、「生きる力を育む」地域の先生として、農家の応援を待っているのである。

 地域の学校のために一肌脱いでもらいたい。

 「総合的な学習の時間」は農家の出番なのである。

(農文協論説委員会)


●「食農教育」は、先生と応援団の最適資料として購読をおすすめしたい(隔月刊定価800円・定期購読予約前納1年6冊4800円)。
●「21世紀の日本を考える」12号に、吉田和生さんたち都市農業者の座談会、埼玉県和光市の産直給食の事例が掲載されている(農文協刊・定価400円・定期購読予約前納1年4冊1600円)。
●我孫子第二小の取り組みは「『地域の先生』と創るにぎやか小学校」をお読みください(農文協刊・定価1890円)。


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